2022年は日食暦9836年--新たな「2000年問題」を2022年に考える
「西暦2000年」などというと、「2000年も歴史を積み上げて、人類はとうとう大台に乗った」感がある。下三桁がぜんぶ0なので、なんとなく「人類が新時代に突入した」みたいな勘違いをしてしまう。これは非常に良くない。驕りが出る。
ぼくは2000年から2100年くらいに起こる人類史の悲劇は、のちの人類から見ると「2000というキリ番に興奮し、"新しくなった"人間の理性と未来を盲信したバカたちが連鎖的にもたらした悲喜劇」として捉えられるのではないか、と思っている。
「西暦1000年の人類も、同じように『シンギュラリティ〜』みたいなバカなアイデアに踊らされていたのか」と思って調べてみたところ、そもそも西暦(Common Era)という概念が最初に発明されたのは西暦0年ではなかった。西暦500年ごろに、東ローマ帝国の神学者であるディオニュシウス・エクシグウスという人物が考え出したらしい。イギリスでベーダという聖教者が731年に利用し始めてから徐々に広まったものの、現存する書物に最初に現れたのは1615年。実は、一般の人々が西暦を使い始めたのはヨーロッパでも16世紀に入ってからだという。つまり、西暦1000年には「今年ってキリ番じゃん」と気づいた人すら、ほとんどいなかったのだ。
ちなみに日本では、明治5年12月2日に天保暦が終わり、明治6年12月3日が突如として西暦1873年(明治6年)1月1日になった。この時に初めて「1873年」という年号が日本に導入されたが、西暦が日常生活に浸透したのは第二次世界大戦以降らしい。
このように、日本の和暦と同様、世界中の無数の共同体がそれぞれに暦を持っていたはずだ。今でも中国には民国紀元、タイには仏暦があり、中東などではイラン歴、イスラム暦も幅広く使われているらしいが、多くの国が西暦を国際標準として受け入れている。
つまり、人類が「西暦」という共通認識を手に入れてから、まだほんの数十年しか経っていないのである。
数十年しか経っていない、このタイミングで2000というキリ番を踏んだのは、おそらく偶然ではない。もうすぐ2000というキリ番がくる、「なんだかわかんないけどすごいでかいのくるよ〜!」という興奮が、1900年代の人々に西暦を受け入れさせたのではないか。これがもし、4200年代とかだったら、次のキリ番も遠いし、テンションも上がらず、安易には受け入れられなかったはずだ。
人類は、キリ番を踏みたがっている。
おそらく人類は、次のキリ番が西暦3000年、およそ1000年後であることに、早晩耐えられなくなる。僕は耐えられない。はやくミレニアム迎えたいもん。
そんな人類の無意識が近い将来、西暦カルチャーの破壊と、新たな世界歴の創造を誘発する可能性はないだろうか。
しかもそれは、西暦が生まれた時のように、新たな始まりをゼロから数えるのではなく、これまでの世界にすでに存在していた何かを利用しつつ、あと100年くらいですぐにミレニアムが来る、そういうやつがいい。
ということで調べてみると、2186年7月16日に、7分29秒にわたる長い日食が予想されており、これは約一万年に一度起こる、理論上の最長時間に非常に近いレベルの日食らしい。ということで、前回この「過去最大」の日食があった年を日食暦0年、2186年が日食暦10000年になるように設定してはどうか。つまり西暦2022年の今は、日食暦9836年である。
今年は日食暦9836年。次のミレニアムまで、あと164年もある。なんだか人類、当面はまだまだ謙虚にやっていきましょう、という感じがする。少なくとも、シンギュラリティーとか、2045年問題(正確には日食暦だから9859年問題)なんて、どうでもいい気がしてくる。
日食暦10000年を迎えるひ孫世代が笑って暮らせるように、頑張りたい。人類、そんな気分です。
参考文献
https://en.wikipedia.org/wiki/Common_Era
https://ja.wikipedia.org/wiki/22%E4%B8%96%E7%B4%80