『時の万華鏡店』(短編小説)


——— 失恋の記憶はね、一人の女性として持っておきなさい。


   初夏の陽射しが、寂れた街の輪郭をくっきり映し出していた。水のない噴水。錆び付いた商店街入口の看板。色褪せたコイン式遊具。そこには、かつて新興住宅地として多くの人たちで賑わっていた面影が残像のように散らばっていた。

   東京郊外にある「海ヶ丘ニュータウン」。私が18まで過ごした街だ。今、20年の時を経てその地に立っている。自分が育った街にもう一度行きたい、そう思い立ってはるばる北海道から一人でやってきたのだが、私の知っている故郷は今にも時間に飲み込まれてしまいそうだった。海ヶ丘団地に住んでいた住民たちはそのほとんどが都心の方へと出ていってしまったようで、ゴーストタウンへのカウントダウンはすでに始まっていた。

   ひと気のないシャッター商店街を歩きながら、無意識にあの日の私へと還っていく。文房具屋で父にスケッチブックをせがんだあの日。オムライスの美味しい洋食屋で誕生日を祝ってもらったあの日。噴水広場でびしょ濡れになって母にこっぴどく叱られたあの日・・・。

    平家物語に「盛者必衰」という一節がある。この世は無常であり、どんなに勢いのある盛んな者もいつかは必ず衰え滅びていくという、この世の真理を表す言葉だ。それは人だけではなく街にも当てはまるのだと身をもって感じた。


   懐かしさや寂しさを噛みしめるように一歩一歩進んでいると、商店街のメインロードからはずれた路地に見慣れないお店が看板を出しているのを見つけた。

   「ん?」と、二度見する。この街で営業しているお店なんて、もう存在しないと思っていた。店構えからしてかなり古いことがわかるのだが、不思議と自分の幼少期の記憶にはないお店だった。看板には「時の万華鏡店」と書いてある。きっと店主もお客が来なくて暇を持て余しているだろうと想像し、思い切ってお店のドアを開けた。ドアベルがカロンコロンと鳴った。

   狭く薄暗い店内はまるで異世界だった。天井、棚の上、平台など、店内のいたるところが万華鏡で埋め尽くされていた。小ぶりのもの、長いもの、透明のもの、ボックス型のもの、円柱の先にガラス細工がついたもの、望遠鏡みたいな大きさのもの、デザインが艶やかなもの・・・色も形も様々な万華鏡が、私の好奇心をくすぐった。ただひとつ、手に取ってみて気づいたこと。それは、全ての万華鏡が、覗き穴から中が見れないようにシールが貼られていたことだ。

「すみません、誰かいますかー?」

   静寂の店内に私の甲高い声が響き渡る。しばらくすると、奥の暗闇から人影が出てきた。濃紺のベルベット生地の衣装で身を包んだお婆さんの姿が浮かび上がってきた。

「あらお客さんかい。めずらしいね」
「こんにちは。あの〜、ここにある万華鏡って中を覗けないんですか?」
「その万華鏡があなたのものになれば見れるわ」
「買わなきゃ見れないってことですか?」
「うちはね、売っているわけではないの。交換してるのよ」

   お婆さんの口が一瞬笑みを浮かべたのを私は見逃さなかった。私は変なお店に入ってしまったのかもしれない。

「交換?どういうことですか?」
「あなたの記憶との交換よ」
「記憶?」
「そう。例えばね、そこにある手のひらサイズのミニ万華鏡なら、あなたの小学生時代の修学旅行の記憶と交換になるわね」

   変な冗談を言うお婆さんだと思ったが、お客が来なくてきっと寂しいのだろうと慮り、持ち前のボランティア精神で話し相手になってあげることにした。

「本当ですか。じゃ、こっちの透明のキラキラしたやつは?」
「それはそうね、亡くなられたお爺さんの記憶と交換になるわね」
「えっ、お爺さんが亡くなっていることをなぜ知っているんですか」
「・・・何でもわかるわ」

   きっとたまたまだ。当てずっぽうで言って当たっただけだ。実際、生きてるか死んでるかなんて確率的には半々だ。そう自分に言い聞かせてさらに聞く。

「じゃあ、この顕微鏡みたいな形のやつは?」
「ああ、それはねえ、すごく高価なのよね。交換するなら、あなたの家族の記憶の全てかしら」
「父と母と弟の記憶ですか?」
「祖父、祖母、親戚なども含めた全員の記憶よ」
「・・・棚の上にあるあのレトロなデザインのやつは?」
「ああ、それはね、高校時代の片思いの苦い記憶をいただこうかしら」

   このお婆さん、いったい何者なんだろう。だんだんと怖くなってきている自分に気づいた。でもなぜかその場の沈黙がもっと怖くて、間を埋めるためにさらに質問した。

「じゃあ、お店の真ん中にある望遠鏡みたいな大きさのやつは?」
「全部ね」
「全部って?」
「生まれてからここに来るまでの全部の記憶よ」
「・・へえそうですか」

   頭の中に不気味さと驚きが入り交じっていて、抑揚のない声で返事をしていた。しばらく黙っていると、お婆さんはこちらを凝視してゆっくり口を動かした。

「ねえ、あなた迷ってるわね?」

   私には、高校時代、片思いの人がいた。クラスメイトの高橋君。背が高くて私と並ぶと頭ひとつ違う。無口だけど誰にでもやさしい人だった。彼に彼女がいることを知ったのは、私が彼のことを好きになってからだった。友達関係まで壊したくなかった私は何も言えなかった。彼と彼女が二人でいるのは何度も見かけた。学校生活は毎日苦しかった。卒業式では力を振り絞って「あんたが寂しくなったら彼女になってあげる」なんて強がって言った。彼は笑ってた。

   その後、できるだけ遠くに行きたいと思った私は、札幌の大学に進学した。数年後、両親は一人っ子の私を追いかけて北海道に移住した。

   正直もう思い出したくない苦い記憶。思い出すたびに胸が締め付けれる記憶。あの頃のあふれるほどの思いは消化されぬまま、今日もこの街のどこかに浮遊しているのだ。こんな記憶いらない。私を苦しめるだけの記憶なんて交換してしまおう。そんな気持ちがよぎっていた。

「やめときなさい」

「えっ」
「失恋の記憶はね、一人の女性として持っておきなさい」
「・・・私の心が見えるの??」
「この世界はね、陰と陽、光と影、喜と悲、過去と未来、そういった相反する2つのものがバランスを取り合って成り立っているの」
「・・・」
「持っておきなさい」
「・・・はい」

   なぜだろう。お婆さんの声がとても優しく温かく聞こえて、何かが私の中で弾けた気がした。目のあたりに感情が溢れ出そうになった。

「あの・・・、私におすすめの万華鏡はありますか?」
「そうねえ・・・」

   お婆さんは瞳を一瞬上にあげてから手をパンと叩いた。

「ああ、そういえばいいのがあったわね。ちょっと待ってなさい」

   お婆さんがお店の奥から持ってきたのは、ネックレスみたいに首から掛けられるペンダントタイプの小さな万華鏡だった。静かにゆっくりと私の手の平の上に置いた。小さいけれど装飾がきめ細やかな万華鏡だった。

「どうかしら?」
「あの、この万華鏡だと、私のどんな記憶が?」
「今日このお店に来た記憶よ」
「え、それって・・」
「そう。このお店のことも、私のことも、あなたは思い出せなくなるわ」
「・・・」
「決心がついたようね」
「お婆さん、その前に一つ教えてください。このお店の万華鏡をのぞくと何が見えるのですか?」
「交換して失った記憶よ」
「え、どういうこと?」
「記憶つまり時間を万華鏡の中に閉じ込めるの。もちろん失った記憶は万華鏡をのぞいても思い出せないわ」
「・・・」
「以前このお店に来た老夫婦はね、それぞれの記憶を万華鏡と交換していったわ。死ぬ前に二人の記憶を永遠のものにしたかったのね」

   私は、羽田空港に向かう電車に乗っていた。車窓から見る空は見たことがないような色に染まっていた。

   正直に言えば、私がこの歳になるまで故郷を避けてきたのは、そこに行くことによってずっと忘れようとしてきた心の傷を刺激されるのが怖かったからに他ならない。でも今日海ヶ丘を20年ぶりに訪れてみて、自分は案外もう平気なのだとわかった。それと同時に、今にも消えてしまいそうな故郷を前にして何もできない自分に、ただただ無力さを感じていた。札幌からの日帰り旅行でぐったり疲れてうつむきがちになっていた私は、ふと気づいた。

「あれ? 私、こんなネックレスしてたっけ」

   よく見ると、ペンダント部分が万華鏡になっている。記憶が飛んでしまうほど私は身も心も疲れて果てているのか。お酒を飲んで記憶を飛ばしたこともないはずなのに。

   ゆっくりと万華鏡を覗き込んだ。どこか懐かしい煌びやかな濃紺の破片が幾多にも折り重なっていた。

(了)


読んでいただきましてありがとうございます。1日1編を欠かさずに続け、今日ついに「31日31短編」を達成しました! 

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