不幸な指
先日、指をケガした。
左手の親指である。わりと深めにいった。
野菜サラダを作ろうと、だいぶ小さくなってきた冷蔵庫の中のキャベツを取り出し、キャベツスライサーで刻んでいる時にキャベツを支えている左手の親指にスライサーがあたったのだ。
すぐに痛みが走った。
包丁で指を切ったことも何度かあるが、切ってすぐよりしばらく経ってからの方が痛みが強くなる。
キャベツスライサーは切った後のキャベツがきれいになるように刃先がギザギザになっている。
それが指に当たったため鈍痛がしたものと思われる。
料理もそこそこにすぐに止血、怪我の手当に切り替えた。
音楽活動をやっていて、ちょうど愛知県への遠征ツアー直前の出来事だったのだ。
今はまだ稼ぎになるものではなく、プロモーションの一環で行っている遠征であり、自腹を切っての布教活動のようなもの。
もちろん気合いを入れてその日に向けて準備をしていた、その矢先のことである。
うまくいかないことが重なっていた。
細々としたことが思い通りにならずなんとなくイライラしていた。
一番大きいのは前の週から風邪をこじらせていたことだ。
ぜったいに成功させたいツアーの数日前に風邪を引き鼻声になってしまっていたのだ。
その他ここには書ききれない、いや書くと恥ずかしくなるような細々が私をナーバスにさせていた。
指から流れる血は、その私のストレスの権化であった。
流れ出るストレスをなんとか止めようと努めるのだが、抑えても抑えても私を嘲笑うかのように出てくる赤い血についにキレた。
ずっと抑えていた感情が爆発した。
なぜこのタイミングだ!
なぜこんなにうまくいかない!
ふざけるな、ふざけるな!
と言うようなことを関西の方言で叫び散らし、あれやこれやを投げ散らかすような行動に出た。
その後も何かと面倒なことが続いたのだがそれについてはたぎり屋会報【指とTシャツと愛知。】を読んで頂きたいと思う。
たまたま三連休と重なったツアーで、名古屋へ向かう近鉄特急は混んでいた。
荷物を置くスペースがある一番後ろの席をかろうじて取ることはできたものの、満席であることは知っていた。
大阪難波発、近鉄名古屋行き
端から端までが私の目的地で、同じ距離と時間を知らない女性と隣の席同士で共有する必要があった。
通路側に座った私は持って行ったiPadを開くことはしなかった。
別に公共の場で不適切な動画を観ることはしないが、知らないひとが何を不快と感じるかはわからない。
iPhoneの小さな画面で配信サイトのアニメの続きなどを観て過ごしていた。
次の駅かその次の駅かあたりで車両は満席になった。
家族旅行だろうか、団体客が前の席とその前の2列を埋めた。
私の前には幼稚園か小学校低学年くらいの子どもがふたり。
斜め前の席にまだ2才か3才くらいの女の子とその母親と思われる女性が座った。
黒いワンピースを着たその女性はとてもきれいなひとだったが顔に化粧気はなかった。
私の前の席の子どもふたりもそのひとの子なのだろうか、終始世話をしながら有名店のドーナツを配るなどしていた。
そのひとが子どもたちに向ける視線はやさしく、笑顔を絶やすことがなく余計に美しく見えた。
歳は私と同じくらいだろうと思う。
私が持ち得ない『しあわせ』のカタチを彼女は手に入れていた。
彼女が通路を挟んで私の前の席の子どもたちの世話をしている時、隣(窓側)に座らせた小さな女の子がひょっこりと顔を出した。
ムスッとしているであろう私に笑顔を向けて来たのだ。
私もそれに気づき、精一杯の笑顔を返した。
そのラリーが数回続いた。
終始笑顔を絶やさない母親に育てられているのだ。素直にすくすくと純粋に育っているに決まっている。
私は何度も引きつりながら笑顔を返していた。この女の子にひとを疑う人生を歩んで欲しくない。
母親がついにこちら側の席までその身を移動させた時、女の子の全身が見えた。
私は驚いた。
その子は左の腕を吊っていた。
痛々しくギプスで固められた腕を、首から下げた白い三角巾で吊っていたのだ。
その子は笑顔のままだった。
途端に私は自分がたまらなく恥ずかしく思えて来た。
いい歳をして、指を少し切ったくらいで苛立ちを覚え、誰かのせいにしようとしている自分が情けなく思えた。
私は悔い改めることを心に誓った。
名古屋に着いた時、私の腹からストレスは消えていた。
それが故だろうか。
物販用のTシャツ(おそらく10枚くらい。2〜3万円相当)を全部どこかで失った今回の旅だったが、イライラすることはなく全部MCのネタに料理することができた。
あの小さな女の子が教えてくれたのだ。
ただ、とてつもなくカナシイ。。。