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嫌いなものは少ない方がいい論

「好き嫌いせずなんでも食べなさい」
ではないが。
嫌いなもの•苦手なものはなるべく少ない方が楽しいのではないかという持論がある。
よく言われるのは、
『嫌いなものには理由があり、好きなものには理由がない』
というもの。基本的にはそう思う。
嫌いなものは嫌いになろうとしている節がある。
それは以前にここにも書いた。

とは言え私にも好きになれないものはある。
なるべくそれらを潰そうと努力している。
音楽で言うと、
【Red Hot Chili Peppers】
ロックやってるニンゲンでレッチリ嫌いってひと、あんまり聞いたことないけどなぜか好きになれない。
何度もチャレンジするが自分の内側に入って来ないのだ。
勘違いしないで欲しいのは、私はヒップホップも好きである。それを生演奏でやるわけだから好きなはずなのだが、何かが違うのだ。

【Bruce Springsteen】
尊敬するアーティストが好きだったり、自分にも好きになれる隙間はあるはずなのだが、何度聴いても「違う」となる。
爽やかすぎるのだ。歌詞はそうではなかったりするようだが、そのサウンドがとても爽やかに聴こえる。
爽やかっていい意味で取られがちだが、ロックって少し屈折していて欲しい。いや、もしかしたら聴くアルバムによっては好みのものもあるのかも知れないが、そこにまだ出逢えていない。
また、屈折具合もひとの好みによるのだろう。
屈折すればするほど好きというわけではない。

【Prince】
グルーヴ重視で音楽を選ぶ僕にとってプリンスは、必ず僕に感動を与えるはずなのだが。。。
なぜだろう。ある意味この例の中で一番頑張って近づこうとしているアーティストかも知らない。
ただ、まだ扉は開けていない。


映画とか役者とか。
ひとと話をする際、否定するひとの多くが観ていない場合が多い。
「どうせこんな作品だろう」と決めつけているのだ。
もしその批評が言い当てているとしても、あなたがそれを好きだと思う気持ちは疑う必要はない。
観れば感想が変わるということは往々にしてあり得る。

『理由』というやつは厄介で、イメージにまで付随する。
子どもが描く気の絵のように、想像の中で枝葉が伸びあたかもそこに立っているかのように存在してしまう。
他人が立てた幻想の木を信じる必要はない。
あなたが実際に見て描いた木の方がきっとリアルなはずだ。

私はそうはなりたくないから、実際に見るがうまく描けないのだ。
ただそれだけのこと。
そしていつか描けるかも知れないと思い、何度も見るのだがやはりイメージが沸かない。これはもしかしたらここまでの関係なのかも知れないし、もっと近づけば、あるいは角度を変えれば好きになれるのかも知れない。
なので否定はしないようにしている。上記のように「いつか好きになりたい」という姿勢を保つようにしている。

「嫌い」ときっぱり言ってしまった意見を「最高」と覆すのはあまりカッコいいと思えないのだ。中にはそういうひとも多くあるが。
それもあって『嫌いなものはなるべく少ない方がいい』に達するのかも知れない。

とは言え。
私は好きじゃないものがひとより多いように思う。あるいは好きなものにまで理由をつけているのかも知れない。
どんな音楽にもニコニコし、楽しもうとするひとたちをいつも羨ましく思っている。
私がレコードを多く収集しているのは、なるべく嫌いなものを克服しようとしている行為なのかも知れない。
もちろん自分で選んで買うわけだから好きじゃないレコードなんてほとんどないのだが、自分で描けるまでイメージの枝葉が伸びるよう他人の世界観を覗き見しているのではないか、時々そのように思う。

ヒントになるかわからないが、おそらく私の内側に最もスッと入ってくる類いの音楽を最後にふたつ紹介しようと思う。
なぜもっともてはやされないのか不思議に思っている。

余談だが、ロイヤルクラウンレビューのドラマーは、私が知る限りこの世で最も好きなドラマーである。

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