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正義とは。

先日かなり久しぶりに映画【タクシードライバー】を観た。
きっかけは最近ハマっているフライトジャケット→ミリタリー→M-65(主人公トラヴィスが着ていたジャケット)という流れなのだが。
そういえばしばらく観てないなー。
昔観た時はもうひとつ掴めない作品だった気がするが。。。
それが観るまでの経緯。

なるほど。
観終わると確かに掴みどころがないような気もする。
でもそれは監督のマジックというか、わざとなんだと思った。
今回は映画のレビューではないのでそれについて詳しくは書かないが、特にラストシーンがそういうマジックを使っている。
解釈をぜんぶ受け取り手に委ねるアプローチ。

中心にあるテーマは完全に『正義』についてだと思った。
それについてはとても分かりやすく具現化している映画だと思う。

私自身も昔からこの正義ってやつについては何かと書いてきたし、考えてきた。
やっかいな奴でね。
正義は万国共通ではないので。。。

共通であればどれだけ平和だったろうか。

正義は持っていないとダメだけど自分の正義は他人に押し付けない方がいい。
特に人に迷惑をかける場合は。

正義とは内側でそっと燃やすものだ。
掲げるまではいいが、正義を『正解』と勘違いして提示してしまうと、対岸のひとを傷つけてしまう可能性がある。

「いいえ、私は自分の正義を掲げただけです」では通じない時代が来ました。
SNSで自由に発言できるのはすばらしいことだが、上記事象が起こり得る。
つまりどんな発言であってもセンスが必要となる。
私も細心の注意を払っているつもりだが、いちゃもんつけようと思えばいくらでも可能である。
実際に会ったことのあるひとならわかってくれると信じたいのですが、私は他人に自分の考えを押し付けるようなことは決してしない。
ただ、他人の正義(自分のそれと異なる場合)も『正』として受け入れることはない。
(もちろんいい意見は参考にするが)
私の正義は私の中でだけでただ凛と正義なのです。

これを書いていて、中島らもの短編集【白いメリーさん】に綴られている【脳の王国】という作品を思い出した。

生まれながらに植物状態の11歳の息子の心の中はどうなっているのだろう?と両親が特殊能力を持つ乾物屋の主人に依頼して、脳内にアクセスしてもらう話。
他人との交信を完全にシャットアウトした世界。
そんな風に生きられるならば、ひとはみんな幸せなのかも知れない。
でも知ってしまったなら接触は避けられないのが私たちニンゲンであって。

接触はないと淋しい。
でもじょうずに接触していかないとね。

戦隊ものとか、アニメとかで描かれる正義
それは普遍的な正義ではなく、だれかの正義を脅かす悪の暴力的正義を退治するお話なのだろう。

ヒトの数だけ正義は存在し、どんな正義も悪になり得る。
これを覚えておくことが大切です。

※ほかに記事用意してたのだけど、ちょっとXで知り合いの危険な投稿見てしまったので急遽こちらを執筆、差し替え。

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