【たがやすメンバーコラムvol.5】 未来をつくる、機会をつくる。 希望としての学び。
こんにちは。たがやす理事の山田智之です。
メンバーコラムの5回目を担当いたします。
どうぞよろしくお願いします。
今回は、鹿児島県肝属郡錦江町の「錦江町まち・ひと・『MIRAI』創生協議会」さまと協働のもと、携わらせていただいた2つの取組「錦江町ジュニアチャレンジ」「南大隅高校チャレンジ」について、対談形式で紹介させていただきます。
(なお、この記事での発言はあくまで私個人の考えであり、それぞれの取組を代表しての意見ではありません。何卒ご了承くださいませ)
記事作成にご協力いただいたのは、同事業にご協力くださっているアーティスト/映像クリエイターの水谷拡嗣さんです。(以下敬称略)
もしこの記事が、何か少しでも、何かのご参考になれば心より幸いです。
水谷:「錦江町ジュニアチャレンジ」「南大隅高校チャレンジ」という事業に取り組むに当たって、どんなことを考えていました?
どちらの取組も、主体、主役は生徒さんなので、私の役目はそのチャレンジされるみなさんの、ほんの少しのお手伝いです。
その上で、結局、教育しか無いと思うんです。未来をつくれるもの、というのは。
そう考えた時に、たとえばインターネットの情報にアクセスできるのは、都会の生徒さんもローカルの生徒さんも同じなのに、その情報が自分の将来につながるという実感を持っているかどうかは、もしかしたら同じでは無い可能性があるかもしれないな、と感じることがあって。
何かの情報に触れた時に、前向きに好奇心を持って見るのか、自分には関係ない世界だと思うのか。
学びの前にある、自分の中の無意識の前提があると思うんです。
だから、せっかくなら、学校の勉強に限らず、自分が学べば学ぶほど自分の未来が広がっていくという実感を持ってもらえたら、その分人生の楽しさや幸福度は増える可能性は上がると思うので、その一助になればと考えています。
水谷:実際にやってみてどうでした?
昨年度の「錦江町ジュニアチャレンジ」のお話をさせていただくと、取り組みが回数を重ねるにつれて、主体となる池田小学校の生徒さんたちがどんどん前向きになっていかれたと感じました。
錦江町の特産品が売れるのだったらぜひ販売したいと提案したり、「自分たち子供が喜ぶのだから、東京の子供たちも喜ぶはずだ」とガチャガチャを自作して、実際に東京の商店街に来た子供たちにとても喜んでもらえたり。
自分たちの町の物産や、自分たちで企画したアイデアが、町の中だけでなく東京に持って行っても価値を見出してもらえるんだ、という経験を生徒さんたちがされたことは、シビックプライドにもつながると思うんです。
やっぱり、学んだことを、実際の、外の場で実践する、チャレンジするって大事なことなんだな、と。
それから、実際に、東京の方南町銀座商店街で出店スタッフをしてくださったのが首都圏の高校生という、小学生の生徒さんから見て、お兄さんお姉さん的存在だというのがとても大きいと思います。
自分たちの近い未来の姿ですし、同じ時代を生きているという感覚を持ちやすい人たちに協力してもらってプロジェクトを実行していく体験で得られたものがあるんじゃないかなと、関わっていただいたみなさんの笑顔を見ていて感じました。
あらためて、ご協力いただきましたすべての方に感謝を申し上げたいです。
水谷:「外を意識する」という意味では、今年の「南大隅高校チャレンジ」もそうですよね。
そうですね。いま、水谷さんにも発信をご協力いただいているSNSもそうですが、学内や町内だけではない、外からの評価や数字が見えるのが大事だと思うんです。
自分が普段所属しているいつものコミュニティの中だけでは、周囲からの評価が、本心からのものなのか、それとも気遣いからの評価なのかが、どうしても構造的にわかりにくい。
でも、自分のことや自分の取組を知らない外部の人、いわゆる世間の人々から広く評価されたら、受け取り方が変わると思うんです。
それはきっと自信につながる。
そして、仮にもし評価されなくても、なぜ評価されないのか、どうすれば評価されるのかを考えるきっかけになるので、外を意識して取り組む、外を前提とした実験をすることは、社会に出る前の生徒さん学生さんだからこそ、大事なことではないのかなと。
水谷:私は横浜から鹿児島に、薩摩半島ではなく大隅半島の、この錦江町に来ましたが、とてもみなさんに親切に接してもらって。
若い人にとってローカルは可能性のある場所だと感じています。
本当そうですよね。
時代はずっと変わっていくじゃないですか。
昭和型、平成型のリーダーではない、むしろ全く違うタイプの、これからの新しい世の中をつないでいくような、未来の時代のリーダーというものがあるんじゃないかと感じています。
もちろん全員が全員、リーダーになる必要は全くないんですが、でも、場と機会がないと、なかなかそんな存在は生まれない。
才能というのは発揮される機会があるからこそ認識されるのであって、それがなければ自分でも気付くのは難しいのではないでしょうか。
同じように、世の中にはいろんな場、いろんな機会があると思うんですが、児童、生徒の若いみなさんの才能が何かしらの形であらわになるような場をつくるのは大人がつくらないと、なかなか発現しにくいんじゃないかと考えています。
これは守備範囲の話だと思うんですけど、普段周りにいる大人だからこそ届くことと、私や水谷さんみたいに別の土地からの移住者のような、そうではない大人だからこそ届くこととがあると思うんです。
人の数も種類も少ないローカルだからこそ、これからの若い世代のみなさんが、自分にとっての新しい外の世界や望む未来につながっていけるような、そんなお手伝いができれば幸いです。
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