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【たがやすメンバーコラムVol.9】たがやすの原点を旅する

白状します

みなさんこんにちは! NPO法人たがやす理事の天野です。2月は私が担当です。
正直に言います。忘れていました。投稿期限。

他メンバーがしっかりと期限を守る中、完全な、そして痛快な、失念です。何を書くかも全く決めておらず、こうして筆をとっている今も、どう着地するのか全くわかりません。

しかしまぁ、まだ2月!

ギリギリセーフということで、私からは、たがやすがスタートした背景やら、農福連携のことやら、熱い想いやら、まとまりのない話しをさせていただきます。どうかお付き合いくださいませ。

たがやすへの想い

さて、我々たがやすが目指すのは、「誰もがたのしみ続けられる土壌をつくる」ということ。これは、自分を含む地域に暮らすすべての人々が、生きがいや居場所を見つけ、共に支え合いながら生きていくための基盤をつくることに他なりません。たがやすメンバーは大小あれど、そんなことに日々向き合っているのだと思っています。

「地域課題解決」や「地方創生」などとは到底言えませんが、自身の専門領域で、自身が持つ課題意識を、多様な背景を持つたがやすメンバーそれぞれが持ち寄れば、小さいかもしれないけれど何かしらのアクションが起こせるかもしれない。我々のできる範囲内で、その範囲を少し越えようとしながら、豊かな暮らしを形作っていけるかもしれない。

孤独であろうチャレンジを隣で応援し、助け合える仲間。私は大好きなたがやすメンバーに、そんな想いと期待感を持っています。

たがやすが生まれた背景

私は大学を卒業後、大手旅行会社に就職しました。詳しくは省きますが、働いている中で心も体も病になってしまい、「人にとっての豊かさって何なんだろう?」という問いを持つことになります。そんな中、半ば逃げるように、妻の実家のある大隅半島に移住をしました。家族には本当に迷惑をかけたと思っています。しかしながら、ここで2つの大きな出会いを経験しました。それが、「農福連携」と「錦江町(=後のたがやすメンバーとの出会いのきっかけ)」です。

農福連携との出会いは、「花の木農場」という社会福祉法人が運営する農場で働いたことがきっかけで、私なんかよりももっと「生きづらさや働きづらさ」を抱える方々が、日頃の課題は様々にありながらも、農業の生産活動を通じて楽しく働きながら社会と繋がる障害者の方々との出会いでもありました。当時とても衝撃を受けたことを覚えています。私はその農場で働きながら、「農福連携の価値を伝えたい」と思うようになり、法人内外で様々な活動を進めていくことになります。

一方、アフターファイブが暇になった私は、今までの経験を地域の為に活かせないかな、と思うようになりました。たまたま知り合った錦江町長がまちづくりの協議会に誘ってくださり、そこでは、たがやす設立につながる役場職員や地域おこし協力隊員との出会いがありました。農福連携及び全国の関係者との出会いと活動、たがやす初期メンバーとの出会いとコミュニケーションが同時に進んでいたのが、5年ほどになります。

私は働きを通じて農業と福祉の現場に深く関わりながら、地域が抱える様々な課題を目の当たりにしてきました。農業の担い手不足や耕作放棄地の増加、高齢化の進行など、農業が抱える問題は深刻です。一方で、障がいや生きづらさを抱えた人々が、働く場所や工賃向上、社会とのつながりを求めています。この二つの課題が交差する地点にこそ、新たな可能性が生まれるのではないか。そう考えたとき、「農業と福祉をつなぐ場をつくりたい」、「農福連携の地域実装を正しく進めていきたい」と思うようになりました。地域に深く、そして、法人や業種、エリアを越えた広い農福連携の地域実装が必要と考えるようになったのです。しかしながら、それを進める為には組織の働き方は合わないだろうし、法人に迷惑をかけると思い、辞めました(笑)花の木農場の理事長には今でも応援してもらっていて、とても感謝しています。

たがやすの設立構想と、錦江町での(東京メンバーも)仲間作りが進んでいくことになります。

たがやすの立ち上げまでには、代表のみなみちゃんを中心に、多くの対話や試行錯誤がありました。合宿や作戦会議を重ねながら、仲間とともに何とか形を作り上げてきました。

事業ありきで集まったのではなく人ありきで集まったたがやすは、恥ずかしながら事業と呼べるものを持たずスタートしてしまいましたが、設立後は地域内外たくさんの方々の助けをいただき、ありがたいことに農福連携事業、教育事業、認知症フレンドリー事業、空き家事業など、地域に関わる多くの事業を進めさせてもらっています。

2022年設立メンバー:奇跡的に集まることができた

「たまたま」の出会いが生み出す価値

私が大切にしていることの一つに、「“たまたま”を大事にする。」というものがあります。他力本願に聞こえるかもしれませんが、“たまたま”から生まれたご縁やプロジェクトも実際あって、“たまたま”が“たまたま”を生んで、新しい何かが広がっていく感触があります。農福連携という居場所があるのも、地域の皆さんと出会ったのも、今までのキャリアも “たまたま”の流れから生まれたものです。その中で、できることや役割を見出して、動いてきました。実際、旅行会社で働いていた頃よりも多くの出会いや機会に恵まれていると感じています。

「“たまたま”の必然」で出会った農福連携やたがやすの皆との出会いがそうであったように、“たまたま”の出会いが生み出す価値をこれからもたくさん浴びていきたいと思っています。(笑)

「農福連携」の、その先の世界を見たい。創りたい。

少し話しは変わりますが、農福連携を共に進める仲間といつも話しているのは、農福連携は「合言葉」なだけであって、手段であり目的ではないということ。私たちが見たい世界は「農福連携という言葉のない世界」であり、農福連携が当たり前の世界。農福連携の、その先の世界であるということ。その世界をつくる為に、今は農福連携を叫び続けなくてはいけないということ。

もしかしたら私たちの世代では、その世界を見ることができないかもしれません。次の世代、さらに次の世代にしっかり繋げていけるように、理想を掲げ続けたいと思っています。そのためにはまだまだ、頑張らねばです。

たがやすを通して農福連携領域を進めている私はといえば、これまた多くの助けを借りながら「大隅半島ノウフクコンソーシアム」というプラットフォームを立ち上げ、現在大隅半島内外65の様々な主体と一緒に、農福連携の地域実装を進めるべく活動しています。

たがやすがたがやすであるために

先日、中々全員が集まることのできないたがやすメンバーが福井県小浜市にて一堂に会し、合宿を開催しました。詳細な様子については、たがやすの誰かが書いてくれると思いますので(笑)、乞うご期待。

今回の合宿は、たがやすの事業が広がっていく一方で、資金面や組織のあり方、方向性など長期的な目線で話し合うちゃんとした機会を持てなかったので、立ち止まって対話する必要があると感じたためです。

合宿の目的は、
①たがやすの素敵ロゴを作ってくださったUMIHICOのお二人にお会いすること
②農福連携の活動を通じて「たがやす」という言葉のインスピレーションを与えてくれた平原礼奈さんのファシリテーションを皆で体感すること
③対話を通じたたがやすメンバーの相互理解
④対話を通じたたがやすの共通認識をつくること

まさにたがやすの原点を旅する、振り返りのための合宿です。

メンバーそれぞれのインタビューを通じ、礼奈さんが、そしてたがやすメンバー1人1人が場を動かし、整え、お互いの話す言葉に耳を傾けながら、たがやすのあり方や抱えているものを、対話を通じて共有することができました。

小浜の素晴らしい文化を感じながら、素敵な会場で参加者全員と豊かな時間を過ごせたことは、涙がちょちょぎれるほど嬉しかったです。何より楽しかった。豊かさを感じた。

礼奈さんがくれた「たがやすがたがやすであるために」という問い。私にとってはこれからずっと、胸に置いておく大切な問いとなりました。
たがやすメンバーを頼りまくりながら、私は農福連携という領域でまだまだ走りまくります。たがやすがたがやすであるために。


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