『朝鮮ガンマン』①

韓国歴史ドラマを見て考える



これはフィクションだと断られている。
韓国歴史ドラマとしては短い方だと思うが、それでも一話が1時間で、
全22話。全部見るのはそれなりに時間もかかる。

見どころはたくさんあるが、まずは最後のヤマ場の中の一コマ。

これは、主人公のガンマンのセリフの場面だ。
若しかすると、韓国歴史ドラマの一つの到達点と言いたくなるほどのセリフと私は感じた。こういうセリフを組み込む脚本家、監督には敬意を表したくなる。

ここでの感慨はたくさんある。
朝鮮半島は王の国で最後の李氏王朝は500年の歴史が在る。
まず感じたのは、日本人には、朝鮮の人びとにとっての王、と言うものの理解は不可能だろうな、と言う結論だ。いわゆる東洋史の知識としての朝鮮史の本は少なくはないとしても、読んでも普通の人では頭に入らないだろうし、頭に残らないと思う。幸い残っても、実感の無い単なる知識である。
 そしてそれは、朝鮮半島の人に、天皇、についての日本人の思いを説明しても理解は困難だろう、と言うことでもある。

 さてセリフに戻る。この時主人公は、いわゆる李氏朝鮮王朝末期の、開化派に連なる位置に居る。開化派を率いるのは、キム・オッキュン(金玉均)で、実在の人物だが、ドラマの中のキム・オッキュンのセリフの流れからすると、脚本家自身ののセリフと思う。
 もちろん、この時期でなければ、そして主人公でなければ、フィクションでなければ使えるセリフではないだろう。キム・オッキュンのセリフにすると、フィクションとしてのドラマはなり立たなくなる筈だ。
 このセリフの意味は、王、と国との区別だ。それが開化、近代化の成果である。現在の日本で言えば、憲法では、天皇は国民の象徴であって国家元首では無い。つまり、天皇と国とは別ものである。それは、いわゆる天皇の「お言葉」でもわかる。「お言葉」のなかに、国民と言う言葉はいつも出ているが、日本国、と言う言葉はない。

 このセリフをさらに深読みすると、一体と見えた、一体と思われたものが、そうでは無くなるときが来る、と言うことだ。この様に言い換えると、世の中にはいくらもある話になる。例えば、会社のためとして一生懸命働くことは自分のためと信じるのが普通だ。順調であれば、出世という形で見返りが得られる。では、おかしくなり、希望退職募集となったらどうするか。退職するのは社員であって社長では無いし、会社自体も残る。
 そのように、実は一体でない、と気がついたときどうするか。同期入社で仲間と思っていたが、会社に残れるものと残れないものとに分かれたら、である。残れるように対応できた人は、出来ない人からは、裏切り者、と言われる。しかし本当は、残りたいという自分に忠実であろうと努力しただけだ。自分に忠実なだけ、というセリフも、ドラマでは、私利私欲まみれの役人などの言い訳としてよく聞く。
 ところで、新しい世のためと考えて改革を目指すことと、私利私欲に耽ることが、自分に忠実であるという意味では同じ、とするとどういうことになるのか。一つ言えるのは、是非善悪或いは道徳という基準で見ては、話しも何も進まないと言うことだろう。

 誰もが承知のように、現在の朝鮮半島に王の国はないし、天皇も王では無いから、このセリフに基づいて王と国の違いを考える必要は無い。 しかし、王はいなくても、国はある。とすれば、カギは、国、となる。
 正直言えば、韓国歴史ドラマはすべて字幕で見るのだから、そう言うセリフを字幕で見た、と言うべきかもしれないし、どの韓国歴史ドラマなのか記憶が定かでは無いが、「家族も守れないのに国が守れるわけがない」というセリフがあった。
 それを思い出すと、ガンマンのセリフは、家族を守ることと国を守ることは違う、とさらに言い換えられるだろうかと考えてしまう。脚本家は、ガンマンに、そこまでは言わせて居ないが、家族、大事な人を守る、と言うセリフは何回も出てくる。どのドラマもそうだが、守りたい人すべては守れない。しかし、一人も守れなかったと言うドラマは作れないだろう。ガンマンも、何人も失ったが、何人かは守った。
 ラストシーンは、本当にフィクションの場面と感じるが、それでいいのだろう。下々の世界の住民にとっては、家族がすべてだ。そこでの毎日の生活は家族を守るためだ。これは実は重要な事だ。普通の生活人にとつて、出来ることは、家族を守ることであって、国を守ることでは無い。普通の生活人が、普通の生活しながら国が守れるのなら、軍備の必要は無いはずだ。国は庶民に守れるものではないからこそ、軍備・軍隊が存在している。
 そしてそのように、庶民のレベルで見るのなら、王を守るか国を守るかは関係ない世界の話しだ。つまり、ガンマンは庶民では無い。しかし、庶民ではないからこそ、フィクションとしてであっても、ドラマの中に出られるのだろう。ガンマンの台詞をもじって言えば、「王を守ることと、国を守ることと、家族や大切な人をを守ることはすべて違う」のだ。だから、一般庶民のなすべきことは、是非善悪の話しよりも、家族と大切な人を守ることだけなのだ。
 もちろん、どの様にして家族を守るのか、と言うことは、最終的には、国を守ることに繋がるかもしれないし、つなげようとする人もいるだろう。その問題は、別のドラマでヒントが得られるかもしれない、と言うことにしておきたい。