何度も同じ失敗を繰り返して自分に嫌気がさしている人に伝えたいこと
1.同じ失敗を繰り返してしまう自分
「失敗を糧に教訓を得て次に活かすように心がければ、同じ失敗をすることなく成長しけることができる」という考え方があると思います。
しかしそうは言いながらも「同じ失敗をしてしまう」ということって結構あるのではないでしょうか。私にもそういうことがあります。
例えば、冷蔵庫の中に食品があるにも関わらず、なくなったと勘違いして買ってきてしまうとか、
ちょっとだけゲームで気分転換しようと思いながら、長々とゲームを続けてしまうとか、ですね。
最近だと、マスクをつけ忘れて買い物に出かけてしまうということもあったりします(^_^;)
にも関わらず、同じような失敗をしないためにどうすればよいかという分析をして、そのための対策を行っていないから、また同じ失敗をしてしまうんだと言われたら、返す言葉もありません。
ただ、そんな風に何度も繰り返している失敗、そもそも本当に「失敗」と言えるのでしょうか?
2.本当の「失敗」はそんなに多くはない
本当に「失敗」だと認識するような出来事であれば、
きっと悔しい思いもするだろうし、辛い気持ちにもなるだろうし、
もう二度と同じような嫌な気持ちにはなりたくないと心から思うのではないかと思うのです。
そう思えば、次に同じ「失敗」をしないために、どうすればよいかということを、
誰に諭されるまでもなく、自分で必死になって考えるのではないでしょうか。
それをせずに何度も繰り返しているのだとすれば、それは「失敗」ではなく、少なくとも自分の中で見過ごすことができる程度のことなのだと思います。
むしろ、肯定的に捉えることさえできるようなこと、とも言えるかもしれません。
冷蔵庫に溜まった重複食品も、うっかりしてしまったけど、それはそれで次の料理で活かせるし、それくらい自分はその食品が好きだと再確認できるし、
ゲームで長々とやってしまうことも、全てを忘れてリラックスできている時間に心地よさを感じているということでしょう。
マスクをつけないことだって、本当は自分がそんなことをしたくないことの現れであったりします。
その意味で、本当の失敗というものはそう多くあるものではありません。
しかし「失敗」だと認識してしまった瞬間に、それは「失敗」となってしまうのだと思います。
本当は「失敗」でも何でもないかもしれないことに、自分の心を砕くのはもったいないことではないでしょうか。
3.安易に「失敗」だと思ってしまわないように
「塵も積もれば山となる」ということわざがありますが、
小さな負の感情も、積み重なっていくことで、自分の自信のなさへとつながってしまうものです。
人間にはせっかくものごとを多角的に捉えることのできる柔軟な脳の働きがあるのですから、
それを使って、物事を肯定的に見つめるということをしない手はないと思うのです。
小さな負の感情が大きくなると厄介であるのと同様に、
小さな正の感情も一つひとつ積み重ねていくことで自信となり、自分の成長へとつながっていきます。
どこからどう見ても「失敗」だと思えてしまうようなことであれば致し方ありませんが、
そんなことは人生においてそうそうないと思いますし、
万が一そういうことにであった場合は、その時こそ分析し原因を見出し、次へと活かすという風に、
それこそ脳の力をフル活用すればよいと私は思います。
たいていの「失敗」は「成功への糧」へと変換することができますが、
そもそも「失敗」だと思わないようにするテクニックも身につけておくとよいのではないでしょうか。