頭はやわらかい方がいいのか?
1.頭が固いことは悪いことではない
大人になると、様々なしがらみが出来てくるものですよね。
こどものような純粋な心のままでいたいのに、誰かに気を遣ったり、自分がやりたい気持ちを押し殺したり、
いつの間にか、一つの見方しかできなくなっていたりと、誰しも頭が固くなっていくものです。
だからよく「頭をやわらかくして考えましょう」なんてことがよくすすめられるわけですが、
「頭がやわらかい」というのは、どういう状態のことを指すのでしょうか。
辞書で「頭が柔らかい」を調べると、「その場の雰囲気や条件によって異なる行動をとるさま」と書かれています。
それだけ聞くと、一見「是非とも頭が柔らかくなりたいものだ」と感じるかもしれませんが、
裏を返せば「一本筋が通っていないからこそ、その場の雰囲気や条件によって行動が異なってしまう」という見方もできるかもしれません。
そもそもなぜ「こどもは頭がやわらかく、大人は頭がかたい」と思われてしまうのでしょうか。
それはこどもにはまだ物事を考えられるだけの十分な知識がなく、
大人になるにつれて、物事の価値観というものが自分の中で定まってくるからではないかと私は思います。
だから私は「頭がやわらかい状態から頭がかたくなっていくのは人間の成長段階としてごく自然なこと」ではないかと思うのです。
2.大事なことは「いつでも見直せること」
ただ、禅の言葉に「柔軟心(にゅうなんしん)」という言葉があります。
意味は「固定観念や先入観、思い込みといったものにとらわれない心理状態」だそうです。
私達は往々にして、固定観念や常識というものにいつの間にかとらわれてしまうものです。
必死に生きてきて自分の中で絶対的に正しいと考えていることを誰かに否定されることはとても辛くて苦しいことで、容易に認められるものではありません。
しかしながら、もしもその大前提に見直すべきところがあるのであれば、
あるいは今までの考え方だとそれ以上先に進むことがどうしてもできないと感じられてしまう時は、
どれだけ信を置いていたとしても、大元の固まっていた価値観を疑う必要があるのかもしれません。
その時にきっと「柔軟心」というものが必要で、それはきっと「こどものようにまっさらな気持ちで見つめなさい」というよりもむしろ、
「自分はもしかしたら間違えているかもしれない」という気持ちを頭のどこかには持ち続け、「その上で自分の思考を一つずつ丁寧に積み重ねていきなさい」ということなのではないかと私は思います。
3.頭の固さをコントロールする
頭が固いこと自体は悪いことではありません。
ただその頭の固さが、誰によって作られてきたかということが大事です。
自分の頭で考えたようでいて、誰かの価値観や、世間の常識に従っていただけなのであれば、それは頭を固くしたのではなく、頭を固くさせられていることになります。
自分で固くしたのであればやわらかくすることもできるはずです。
しかし自分でその辺りをコントロールできないと、頭が固くなっていることにさえ気づかないうちに自分自身を固定観念で苦しめてしまうことになります。
いつでもコントロールできるゆとりを持ちましょう。
頭の固さも頭の柔らかさも、思うがままになったとき、
きっと苦しみから解き放たれることと思います。
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