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その3【講演会と意見交換会1】歴史文化を守るために~地域と学校の役割~

その2の続きです。


不登校


参加者E
 Eと言います。よろしくお願いします。
 ちょっと気になったことがあるんですけども、私は、小学校1年生が昭和27年なんです。まだ天皇陛下の上にマッカーサさんがいる頃なんです 。中学校の卒業が36年なんです。年がわかると思うんですけど。
 それでね、ちょっと噂なんですけども、中学校へ行かない子が10人近くいるのを聞いたことがあるんです。もうすごい心配するんです。私の時代は、2クラスなんです。それで、自慢じゃないけど、1人も不登校いなかったんです。
 今、先生方のおっしゃるように、偉そうに言いますけど、教師の教育のレベルが 、正直にそんな高くないと思ってるんです。なかったと思ってるんです。それでも不登校の子どもはいなかったんです。

 今日、ここ寄せてもろたんも、それが頭に引っかかるんで。
それ、なんなのかなというのがあるんです。僕らの時は、1つはその頃の特徴としては、先生の中にこれの風体がいたんです。わかります?バシッと来るんですね。
 今、そのことで言えば10年か15年前に 話題になった、Tヨットスクールですね。教育なんですね。
 でも、私はあの人はある意味尊敬してるんです。人が死んでますけども。でもあれが100パーセント正しいとはちょっと思ってないんです。
 もう1つ、気がつくことは、さっき 言われたように余裕がないというに言われたんですね。 先生も、休み時間がどうのこうのとかで、僕らの時代は、逆に言えば休み時間いっぱいあったんです。
 何が違うのかなと思うとですね、親もそうなんやけども、勉強のできる子は 一生勉強したんです。やっぱり、うん賢い子はで、アホな子はほったらかしやったんです 。ですけども、今この年になってみると、時々クラス会やるんですけども、アホはアホなりに生活してるんですね。
 別にそれが落語して、別荘暮らししてるとか、そういうことはないんです。
 何年前かな。10年ぐらい前も、クラス会の時に、私がいじめた子がクラス会に出てきてえらいことになったなと。こう下向いてたんですけども、そんな仲悪くなかったんですね。私はクラス会に来てよかったと。子どもの時に いじめられなかった、言われたんです。でがっくり来たんです。逆にそんなもんなんですね。 だからその余裕のないのは、どういう余裕作ってやるかというのが大事なんかなで。
 その子どもの時、子どもが勝手に余裕作ってたんですね。先生の言うこと聞かない。親の言うこと聞かない。だけどもですね、 1つか2つか3つか数点は、親も子どもにゲンコツくらわしたんですね。それはどういうことかというと、これはまずいかん言うのは言いたいですね。
 それから、先生の言うことを、よくよく聞けということですね。でも算数がどうのこうのとかね、掛け算がどうのこうの、そんなんあんま言わんかったような気がするんです。
 もう1ついいですか、老人会で 役場の人が来て話をしたんですね。何の話かというと、マイナカードの話なんです 。マイナカードがどうのこうのですよ。時に一生懸命説明してくれんですよ1時間ほどね。ほんで、よくわからんのです。何の話なのか。で、何のことはないんですね、1つだけなんです。その子の言いたいことは、1つなんです。健康保険証が12月で使えなくなります、ということなんですね。それを使わない人はこういう紙があります。それのない人はこういう紙があります、くどくど説明するんです。 それが、年寄りには、わからんのですよ。マイナカードが 12月からそれ1本になりますと。そのことだけでいいんですね。余計なこと一生懸命言うてるんです。聞いてるこっちは、こんがらがるんです。ああいえばこういう。 なんちゅうか用紙があります。こっちにはこういう用紙が、逃げ道がいっぱい、教えてくれるんやけども、関係ないんです。老人会ですからね。役場に近い近いわけです。だから、なんかわからんことは、そこ行って聞けばいいだけの話なんでだから。12月から健康保険証使えませんと、教えたらいいんやなという。
 今日いろんな話聞いてて、そういうことやなと。いらんことをいっぱいやりすぎるん違うかなという気がするんです。失礼な言い方やけど。 すんません。

身になる知識ってどういうものか?

山口裕也先生 
 とても示唆的だなと思うことがたくさんあって。
 よく言われることですけど、知識は覚えるものじゃなくて、作り出すものだっていう話が、1つ目。マイナンバーカードは、聞いててそう思いましたね。要するに、知識として伝達するのは、本当にポイントだけでいいと。 もう健康保険証として使えますよ、とか。
 じゃあ身になる知識ってどういうものか?っていうと、やっぱり自分が問題に直面したときに、その問題の解決を通じて得たものだってことですよね。 だからとにかくマイナンバーカードを作っておけば、これは健康保険証として使えますってことだけポイントとして抑えとけばよくて。実際に自分が、お医者さんに行きました。その時に健康保険証の代わりに、マイナンバーカードが使えますよって言われて、読み取り機にピって入るとかっていうことをやった時に、こいつは健康保険証として使えるんだって知識が、自分の中に作り出されるってことですよね。
 知識って、そういう性質のものなので、どんどん伝達して覚えさせても、ちゃんと身になるものにはならないっていうことを、すごく示唆的に事例でお話いただけたなっていうのが1つですね。
 あとですね6つか7つぐらいメモがあるんですけど、1つか2つぐらいにしておこうと思うんですけど。

「身の丈を知れ」≒「自分らしくあれ」

 あと、かつては、「身の丈を知れ」っていう言葉をよく親御さんとか先生とか子どもたちに言ってたんですよね。
 ただ、当時「身の丈を知れ」って言ってたことは、ニアリーイコール、深い愛情に支えられた「お前は自分らしくあれって」というメッセージでもあったと思うんですよ。今はもっとストレートに「自分らしくあれ」「自分らしくあっていい」って言ってくれるようになったという違いだと思いますね。
 だから、僕は結構「身の丈を知れ」って話と「自分らしくあれ」っていうことは同じ意味を持って普遍的に受け継がれてるんだなっていうのを、今聞いてて思いました。
 もう1個ぐらい喋ると、 何がいいですかね、そうだな、少しマクロな話をしておくと、戦後すぐの学習指導要領ですね。ナショナルスタンダード。
 これはですね、試案とその次のものは、日本の近代学校教育史の制度の中でも、最も自由なカリキュラムだったんですよね。これは結構重要なポイントで、経験主義教育って言われてるような、子どもたちの興味関心と個性をすごく大事にした具体的な経験から出発するようなカリキュラムだったっていうことが、多分、相当効いてるんですよ。
 つまり、規定が緩いんです。規定がゆるくて、先生の裁量が大きく担保されているから、先生が人として子どもたちと関わることができたはず。
 あと4つか3つあるんですけど。ちょっとやめときます。
 大事なのは、知識は覚えるものじゃなくて問題解決を通じて作り出すものだっていうこと。
 あとは、「身の丈を知れ」って昔言ってたことは、今は「自分らしくあれ」っていう風に言っていることと、多分同じメッセージ性を持っていた。愛情の伝え方や表現の仕方が違うだけで。
 そして、当時の先生たちを支えてたのは、きっと、学習指導要領が今よりもはるかに規定が緩くて、先生たちの裁量を担保するものだったっていうこと。

乳児期も、豊かであってほしいし、みんなに温かく見守ってほしい


参加者B 
 今、小学校からっていう話があったけど、やっぱそれまでの乳児期、生まれた時からこの6歳までの時代も、もっと 豊かであってほしいし、みんなに温かく見守ってほしい。
 生まれてすぐある、4ヶ月健診なり、産んでもうボロボロの状態で、子どもを連れてって、保健師さんに心無い一言言われて落ち込むお母さんとか、自分なりに、なんかこう質問してんねやけど、そんなこともわからないの、みたいな感じで対応されるようなことが、人やからいろんな関わりがあるっていうのはわかるけど。
 弱ってる時、もうボロボロの状態になった時に、病気されたりとか怪我した時に、色々言われたりするのって、すごい辛いので。そこら辺を、もっと行政の方勉強してやるはずやけど、人としての優しさを持って関わってもらいたいなっていうのが、周りにいるお母さんとか、発達で悩んでるとか、いろんな状況を持ったお母さんお父さんたちに、 関わる側としての支援の仕方とか。そういうなのを、もう少し 段階上げて、もっと優しさを出して関わってもらえると、小中小学校行くまでにお母さんお父さんの、「幸せかどうか」ってやっぱ子どもにかかってくると思う。
 子どもの この状況を見て、ダメねって言われてたりとか、病気でしんどいって言われてるところに、もっと頑張れって言われたり。
 そんな痛いのなんて我慢しろみたいな感じの 考えが、やっぱまだまだ根強かったり。自分たちは専門性で話してやるんやけど、その専門性って、生んだばかりのお母さんお父さんって知らないこといっぱいやけど、やっぱそっちの基準で見られるっていうことのしんどさとかを、和らいだ状態で小学校に行くのと、批判ばっかされて小学校に行って、その中に入っていくのでは、やっぱ違ってくるかなと思うので、 乳幼児期をもっと暖かくしてほしいなって感じます。

優しさの賢さに支えられてる

山口裕也先生 
 そうですね、お話を聞いて、1つ決定的に重要なことっていうのは、「我々が直感的に思ってる以上に、人というのもは科学的・生物学的に1人1人異なる存在である」っていうことですよね。
 首の座る時期だって、子どもによってぜんぜん違う。でも、学年学級制を敷く日本の学校教育制度だと、4月 2日以降に生まれた子たちが同じ学年で一括りになる。考えてみてください。4月2日に生まれた子と1年後の4月1日に生まれた子には、1年の差があるんですよ。この差がある中で、1つの学年にまとめられることの難しさですよね。
 乳幼児期の発達差っていうのは、すごくある中で、学年という集団にくくられて、一律の物差しで測られて「できる・できない」なんて話をされた日には、もうたまったものじゃないですよね。だから、文部科学省の関係者にお話ししたことがあるんですけど、幼児教育の担い手になる人が、 これを就学前就学時に達成しなければいけないというような解釈をされるような規定は、全撤廃してくださいって言い方をしたことがあるんですね。
 今は資質・能力っていうことを、小学校以降は大事にしていて、それを踏まえて、幼児教育では資質・能力の基礎って言い方をするんですよね。でも、到達目標として解釈されるようなものは、やめてほしい、と。
 でも、こういう経験が望ましい、っていう言い方はできますと。例えば、子どもたちにたくさん体を使って遊ばせる時間があるといいですよね。思いっきり自分で好きなように絵を描く時間があるといいですよね。そんなふうに経験の望ましさは規定してもいいけど。
 ちょっと幼児教育については、僕も話したいことがいっぱいあるんですけど。時間がなくなっちゃうので、少しまとめると、「社会が優しくあるといいですよね」っていうことかなと。
 この「優しさ」って、感性の問題だけではないんですよ 。よく言うんですけど、「優しさは賢さに支えられてる」って言い方をするんですね。「賢さ」ってのは「優しさ」のためにあるという風に言っても過言ではないと僕は思っているんです。
 考えてみてください。優しさだと思って、もっとやった方がいいよ、こうした方がいいよ、あなたは間違ってるよって言われたら、たまったもんじゃないですよね。「それ、優しさになってません。そういう風に受け取れません私」と。「優しさ」を「優しさ」として伝えるためには、「賢さ」が必要って話。
 じゃあ、どんな「賢さ」を持っていれば、「優しさ」が「優しさ」として伝わるかっていうと、僕はキーワードは2つあると思っていて 。
 1つは、支援者の姿勢としての後追いですね。要するに、「あらかじめ教える」んじゃなくて、「後から追うように支えたり共に考えたりしていく」。この「後追い」っていう姿勢が決定的に重要だと思います 。今、何に困ってる?どんなふうに何をどんなふうに解決したいの?じゃこんな風にしてみよっか。後から追うように支えたり共に考えたりしていくっていうこと。
 つまり、裏返すと「その人の選択と決定を最大限に尊重する」っていうことなんですよ。「1人1人に自己選択・自己決定の機会がきちんと保証」されていて、まずは、自分なりに・自分たちなりにやってみる。でも、困った時に、「いつでもそばにいるから」っていう後追いのサポートがあることが大事っていうことですね。 これは、多分、教育というものを貫く原理と言ってもいいはず。幼児とか修学後の小学校とか中学校とか高等学校あるいは大学、あるいは生涯学習と言ってもいいですよね。社会教育や家庭教育すらも貫く原理だと僕は思っているので。
 じゃあ、小学校では具体的にどうしたらいいのかっていうこととかは、また今度聞いてくださいって感じでしょうかね。



参加者F  
 多賀町で地域おこし協力隊として主に大滝地区の方で活動をしておりますFと言います 。ありがとうございました。
 私は主に大滝地区の方で、子どもの居場所づくりの活動を担当していまして、「おたきものづくりラボ」という月1回の小学生向けのイベントと、あと大滝地区の中学生向けの勉強会を週1回 開催してたりして、割とその子どもたち向けの取り組みはやってるんですけど。やっぱなんか地域で支えていくことが大事かなってすごい実感してて。地域だけじゃなくて 地域も必要なんですけど。学校とかやっぱ 親御さんでは支えきれないところを、地域であったりその外部から来てる、私は彦根市出身なんですけど、外部から来てここで何か手伝おうとする人とか、あと学生さん滋賀県立大学の学生さんが 、うちの活動はアルバイトで来てたりするんですけど、そういう学生さんとかと一緒に支えていくのが大事かなと思ってまして。 なかなか今やってても結構難しい部分はあるんですけど。
 子どもたちの、どこまでを優先するかっていうところと、あと、こっちとしてもやっぱ 守らないといけないところはあったりするので、なんか そこのバランスが難しいんですけど。自由にさせすぎると怪我に繋がったりとか。危ないことに繋がったりもするから難しいんですけど。
 やっぱ学校とか家庭ではできないようなこと、体験とかを、うちではやりたいなと思ってて。でも地域の資源を生かしたものづくりであったりとか。あと、みんなで一緒にご飯を食べるっていう時間があったりとかを、結構重要視しててそういう繋がりとかを、地域の繋がりとか、学生スタッフとの繋がりとかを経験してもらって、また学校とか行って頑張ろうみたいな気持ちになってくれたらいいなっていう思いでやってたりするんですけど。
 もうちょっと、横の繋がりとかも増やしていきたいなと思って、今回参加させてもらったってのはあるので。質問とかまだ今思いついてないんですけど、すごい参考になるなっていうことはたくさんあったので 。
 貴重な機会になりました。ありがとうございます。

教育は時間の限り遠回りをしろ


山口裕也先生 

 教育はよく言われてる大事なポイントがいくつかあって 、2つぐらいご紹介しようかなと思うんですけど。
 一つは、「教育は時間の限り遠回りをしろ」ですね。だから、自由の話で言うと、「時間の限り自由にしてあげてください」っていうのが第1原則と言ってもいい。どれぐらい時間に猶予があるかっていうのは、その校種によっても、その子によっても違ったりはするんですけど。でも、なるべく教育は遠回りさせた方がいいっていうのがあるから、時間の限り遠回りさせ てあげましょう。時間の限り自由にさせてあげましょう。もうちょっと具体的に言うと、「自分なり・自分たちなりにやらせてあげる時間を、なるべく多く取りましょう」ってことになると思います。
 今すごく大事なポイントをおっしゃっていたなと思っていて。それが2つ目に関わるんですけど。 絶対に外しちゃいけないポイントが2つあるんですよね。
 1つは、「人権」です。でもう1つは「生命」ですね。 不可逆に生命と人権を傷つけるものは絶対にダメです。だから、原理的には簡単なんですよ。
 あとは、このイベントのときに野外活動するんだけど、どこまでが大丈夫かなっていうところは、 時間の限り子どもたちにさせてあげようっていうことを基軸にして、でも、ここはやっぱり絶対守らなきゃいけないよねっていうことを倫理上人権上そして生命上考えていくっていうのが原理になるっていう感じですかね。



進行 
 ありがとうございました。よく 苫野さんとかとお話を聞いてると、「遊びしたるから学びしたる」っていう言葉をよく言っておられて。それが今の探求と繋がるように、どうしていこうかみたいな話をよく聞くんですけど。そういった話と、あとその「信頼して任して待って支える」っていうのがなんかすごく大事だよっていうのを学校の先生だけじゃなくて よく言われるんですが。

自己選択 自己決定 後追い


山口裕也先生 
  さっき言った通りっていうほかないですね。「自己選択 自己決定 後追い」っていうことが教育行為としては大事になる。苫野が言ってるのが原理だとすれば、それをもうちょっと実践に落とすために、僕が先ほど紹介したキーワードがあるっていうことが1点目というところですね。
 もう1点お話をしとくとですね。「遊びと学びっていうのはそもそも区別できるものではない」っていうことなんですよね。
 遊びと学びが表裏一体に行われるような教育であることが本当は望ましいっていうことでもあります 。だから「遊び浸るから学び浸る」っていうのは、移行のプロセスとして捉えることもできるんですけど。
 望ましさの観点からいうと、「遊びイコール学び、学びイコール遊びであることが望ましい」っていうふうに考えるといいと思います。 要するに子どもたちが思いっきり自分の好きなことをしてたら、結果的に必要なことが身についちゃった。学べちゃった。っていう状態が最高であると。 
 それは、僕は実現できると思っているし、実現しかけている学校や自治体さんもあるっていうことで。今日は時間でしょうから、一区切りにしたいかなと思います。

進行 
 ありがとうございました。時間が来ちゃったんでこれで終わろうと思うんですが。多分ご存知かもわかんないですけどこれは、ここに書いてあることが、私にとってはもう バイブルみたいになってまして。先生なんかお若いんですけど、やってはることはもうすごい一生かけてやらないといけないようなことを、結構40代ですよね。

山口裕也先生 
はい。

進行 
 もう全部やっちゃったみたいな感じで。さっきのCSの話も、国が動く前から一緒ぐらいにこう動いてはりまして。 もうここにこうしたらいいでしょうみたいなのが書いてあるんですよ。
最後は杉並区におられたんですけども。杉並区でも、まちづくりと 学校と地域をちゃんと結んだシステムを作り上げて。
学校も、建てられておられますし。今でも杉並区の地域コーディネーターの方とか喋る機会があるんですけど、色々問題があって大変だっていうのは、まだ言っておられますけど この本を読んでいただけたら。

山口 裕也 先生
 これは誰だったっけ、ウェーバーだったかな、が言ってるんですけど、政治っていうのは、情熱と判断力を持って、堅い板をぐりぐりっと、じっくりじっくり、くり抜いていく。そういう作業だって言うんですよね。だからここを焦ってはダメなんですよ。 情熱を持って判断力を持ってじっくりじっくりやっていくことが大事。そういう風に思っていただけるといいかなっていう風に思います。


進行 
 もっと色々書いてあると思うんですけど。自分の子どもが当事者っていうか、現場にいるので。なんとか変えたいなと思って、色々取り組もうと思うんですけど。子どもからやめてくれって言われるんで。何もできなかった、1年過ぎちゃったんですけど。 さっき言われたみたいにやっぱり皆さんそれぞれで色々できることがありますし。
 20年はちょっと長いかもわからないですけど、5年10年のスパンで考えて取り組むっていうことはできると思いますで。 この辺の地域ではやっぱそのドライバーをどうするかっていうのが今日の問題かなという風にもちょっと思いましたので。また皆さんからご指導いただきながら、色々取り組みにつなげていけたらなと思います。本日はありがとうございました。

挨拶

多賀町まちづくりネットワーク 中川信子
 先生皆さんどうもありがとうございました。色々 学びになることがいっぱいで、なんか時間がかかっても前に進めば 進んでいくんだろうなって思うんで、みんなの気持ちを、常に前に向けていけるような、そんな街づくりをしていきたいなと思います。ほんとに今日はどうもありがとうございました。

進行 
これで終わらせていただきます。ありがとうございました。

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