Introduction①-PTDin Seoul&LA&Seoul
コロナでの自粛が1年半過ぎたころ、すこしずつ日本国内でもアーティストがコンサートを初めた。そう、オンラインで。
そして、もちろんバンタンも。人数制限ありで、イルコン含むワールドツアーが開催されるかな?と、待ち続けていたが、
発表があったのは2021年ソウルでのオンラインコンサートで無観客での開催。
でも、屋内のスタジオではなくて、スタジアムだった。
のちに、メンバーがブイラで、最後の最後まで有観客と迷ったと、語っていた。
Butterのリリース後、それはそれは世界的大スターになったバンタン。
PTD in Seoulオンラインコンサートも、全世界同時中継され
それはそれは、最高なバンタンの代表曲を集めたような素敵なショーだった。
(テヒョンさんは前日?怪我してしまい椅子だったけど、、😢)
そのエンディング終わり
画面が切り替わり
PTD in LA(2021.11-12)✨✨
この日程が発表された。このころは、日本では、
まだまだコロナが未曽有の物で
いくら1人旅でもアメリカへ旅行に行くなんて、まだまだ考えられなかった。
もちろん、仕事もしていて、リモート中心とはいえど、海外渡航の後はホテルなどでも隔離期間もある。
仕事はリモートOKだけど、でも、突然出勤のよびだしだってある。
会社の人になんていうの??って感じだったし。渡航で感染しようもんなら解雇だな。。と思ったし。
そして世間においては、まだまだ閉鎖的な考えで、
「海外旅行なんて何考えてるんだ?」
と、蔑視されていたし、SNSでは渡航する人への嫌がらせも多かった。
有難いことに、オンラインストリーミングが発表されていた事もあり、
私は、もちろんPCから参戦でしょ?
と、行くことなんて考えもしなかった。そう。まだあの頃は。
「なんなら、アメリカの次は日本来るよね?」
と、本気で思っていたし、PTD in JAPANの開催を信じて疑わなかった。
そのころ、情報チェック用のTwitterでは、バンタンの情報つぶやく方だったり、大手さん?などをフォローしていて、いわゆる古参さんたちが、バンタンチケット争奪戦を繰り広げていて、初日のチケットを勝ち取り、エア取ったり、PCR検査の予約やら、ホテル手配したりと
海外渡航にむけての準備をツイートしているのを、いつかの日の為に
ながめたり、情報共有のスペース聞いたり。。。
そこから出てくる情報に、
「ひゃー。。ライブのチケット高いやん、定価はいくらなの?
え?、エアの金額えげつないな、、、燃油サーチャージがエア代金より高いの?ホテルからどうやって会場いくの?サウンドチェックのチケットって、手に入る?ん?チケマス?ってなに?ってかチケット瞬殺だったのね、、、え?転売当たり前なの?え?なんなの???よくわからない~目が回るるる…。」
そんな感想しかなく、、他人事として見ていたし、実際に行く選択しなかったので、皆さんの渡航準備やLAでのアミ活を眺めるだけだった。。
そして、そのアミさん達の熱量に圧倒もされていた。。
そう、まだあの頃は。。。
LAコンが終わり、年末バンタンがお休みしますよ~みたいなお知らせがあり、そして、有観客でのソウルコンが発表。
残念だけど、韓国入国用のビザが取れないのでよほどのことがない限り日本から、ソウルに行けない。。
なので、ソウルコンも諦めは早かった。
というか行く資格がないのでね。。(;^_^A
3日間の日程はオンラインストリーミングにサンドイッチされる日程の2日目は、世界の映画館でのライブビューイングがあった。
日本の映画館のライブビューイング初参戦🙌これは、初参加で楽しかった。
(今考えると、PTDはオンコン含め全部見てるんだな。。私(;^_^A)
実はPTDのコンサートに並行して、私自身の人生を左右する出来事もあった。
健康診断で、乳がんの疑いがあり、細胞診をすることになったのだ。
そして、時期を同じくして父が倒れたり、
またそのタイミングで派遣の仕事も残り1年を残し3月で満期終了を言い渡されたのだ。
「なんてついていないのだ・・」
衝撃的な事の連続だった。ほぼ同時期にこんな事おこる?
突然、人生の崖っぷちに立たされた気分だった。
検査の結果が出るまでの1週間はひたすら落ち込んだ。
程度によってはバンタンに会う前に私が消えてしまうのではないか?と不安だった。
もちろん仕事もなくなったら生活どうなる?とか。。
考えることがいっぱいで、正直バンタン見ても、心ここにあらずな時間も続いていた。
幸いにも、検査結果は問題なかった。が、仕事と父の悩みは続いていた。
なので、Seoulでの3daysの後にラスベガスでのコンサートが発表になったとき、迷ったのである。
渡米しようかどうか?
ただ、状況的に、行けるかどうか。。本当に微妙なタイミングだった。
そして、チケット代金10万、エア・ホテル、諸々20万~30万、
その金額をサラッと支払うには、無職になることが決まっている私には
難しかった。。
なので、ラスベガスもいかない。いや、行けないなぁ。。
と、きっとイルコンがあるから、そこで行こう。って。
イルコンを信じて疑わない私は、ラスベガスもいかないと決めた。
そう、この時の「行かない」決断が、後悔で泣きまくる日々になり、
それが釜山コンへの活力になるのですが、、、
Introduction②へつづく。
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