こころの充電
ごく最近体感したこと。
クライエントさんと自分の体験から 心の充電ができているはずと思って終了させて次の行動を始めると すぐ充電が切れる。
充電池って中途半端にしていると 満帆に溜まらないとか聞いたことがあるでしょ?そんな話。
こころは、エネルギーってそんな感じではないかなと強く思うこのごろ。
お母さん達からよく聴く相談
何もせず家にいるのが心配
本人は気付いていないかも・・・エネルギーが切れている
充電不足というかやる気に慣れない状態ではないか?
その理由がわかりにくい
今日はまず3つ挙げてみる
1つ目は「ねばならぬ」教育を親が押し付けていなかったか?
2つ目は発達段階で反抗期をバッチリやり切ったか?
3つ目は発話が少なく 脳内の会話だけでグルグルして不安
その中で今日は1つ目の話
「ねばならぬ」教育を親が押し付けていなかったか?自分でそう解釈したか?
これは押し付けている本人が当たり前だと思っているので気がつかない!
で、子どもは【止めたい・断りたい・休みたい】と感じる
が、自分でそれはダメだ!やらねばならぬが発動してしまうということに気がついていない。ねばならぬが当たり前だと子どもも思っている。
もちろん親も気がつかぬ。
その理由はそのように育ったから。
親だったり学校教育だったり社会の背景だったりがそうさせていたかも。
大事なことは十分に休んで充電していいと許可を出すこと
3歳ころまでは 「這えば立て。立てば歩め」の親心と言うように
変化して言うことを成長と捉え手をたたいて喜ぶ。
3歳を超えるとしっかり走り出す。途端に禁止を始める。
そっちいちゃダメ。走っちゃダメ。などなど
すると子どもは行動をだめだと言われているのでなく
自分自身がダメと解釈しがち。
そして自分はだめだと認定するのだねえ。
そうすると 積極的に行動しようと思えなくなり ビビってしまう。
それを見て追い打ちの「なんでそうなの?」とか
「ぐずぐずしない。」「なにをしても遅いね」など
子どもの脳に入れなくていい言葉がたくさん入っていく。
子どもが親に忖度・我慢するようになる。
忖度・我慢の状況を当たり前だと思ってくると
自分がどうしたいのかということさえ分からなくなるのではないだろうか?
その時に 自分の気持ちは「ちがうな~」とか「違和感」を感じているはず
充分休憩してください。
十分休ませてあげてください。
それができないのは実は自分が休んでいないから。
きっとそうなんです。
私は対人支援をしていて 幼稚園・保育園に通っている幼児から大人そう80代の方までお話を聴いています。
共通しているのは 役割や立場や能力や外見ではなく
その人の存在を認めてもらった方は 困難にも果敢にチャレンジしたり乗り越えたりしています。
ご自身の存在を 言葉の表面の解釈で
自分自身を大切にしてもらえていないと感じた方は
何かと生きていくうえで「自分は大切にしてもらえていない」と感じて
疲れたり、我慢したり凹んだりすることが多い傾向が見られます。
休んでいたとしても、「休むべきじゃない」とか「働かなければならない」とか「自分自身じゃだめだから もっと、もっとやらなきゃ」という思考があなた自身を縛っていて ゆっくり充分休憩させてくれないのではないかと感じています。
半面十分休んだり自分に充電させている方は自分にも人にも優しい。
人の事をとやかく言わない。
私自身は前者「マグロ」のように動いていないと死んでしまう。という思考が無為識の中でグルグルしていました。充電しているようで充電しながらアプリのゲームをしている感じ。これでは充電しきれませんよね(><);
この頃やっと好きなことをしようと思えるのですが
何もせずゆっくりしていることは68年間やったことが無い状態。
つまり充電器にはセットしているが、その状態で作業しているということです。
この8月末からやっと十分休む事が体験出来て(充電中は何もしない)
頑張らなくても「やりたーい」気持ちが内側から
泉が滾々と湧き出るように エネルギーが湧いてきています。
これぞ充電100%オッケー⤴👆
あなた自身も少しゆっくりとしたペースにしませんか?そしてあなたの家族にもその経験をすることを許すというか、同じ体験をしてみませんか?
学校教育の中で「皆一緒」という考えが心を蝕んでいるかもしれません。
他者と比べるという最大の原因はそこだと思っています。
あなたはあなた。唯一無二の存在です。
私も自分の何度もそう言ってきました。
だから人と違ってもまずまず 大丈夫です✌
あなたは一人じゃないですよ。
少なくとも私は応援していますから。
「ねばならぬ」を 「何々するに越したことはない」と自然に言変えられるようになると随分ましになります。
充電機を思い出してくださいね。
きっと中からやりたい気持ちが湧いてきますから💝