今年の夏のページを増やす (夏の思い出④)
写真は8月の仕事以外の結果の一部。うまくできました!
楽しく・やりがいがあり・うまくできて達成感・充実感を持った。 8月30日やっと出来上がり洗い上げアイロンをかけた。 地元の祭りの衣装の修理が完了した。 私としては、暑い昼下がり、サスペンスの再放送を見ながら、膝に衣装を載せながら首にタオルを巻き、汗をカキカキ集中しやり切った~!と安堵した。
この作業の工程と感情をじっくり味わうことなく9月になったというわけだ。忘れていたことがあった。と今になって解った。
9月に入り月も変わったのに、なぜか心も体も もたっとしている。 丁度8月31日から一週間ほど友人宅に居候と決めていたので その間に体調が戻るはずと考えていた。ところが、ところがだ
何か集中することに抵抗があるような感じがぬぐえない。
友人に「ここ最近、何か抵抗しているみたい」と言うと 「どういうこと?」と訊いてくれた。 自問自答しながら 言語化して 表現したことは 「私は妹の事を『当たり前だ』としんどいことに慣れてしまったことで、気づかぬ間にジワジワと体を蝕み、急逝したと解釈しているからだ。 だからこそ辛抱しすぎたり、苦しいことを我慢しすぎることは危ないと危険だと感じているから。どうも抵抗が起こっている感じ。 けれどこれは私の勝手な解釈だ。」と伝えた。
そしてさらに考えを掘っていくと やれて【当たり前】の自分だったと思っていたので疲れていることを気づかなかった。 この修理する作業は得意分野でお茶の子さいさい。好きなことだし繕いだから簡単! まずこれが大きな盲点。目の疲れ、手作業ゆえの肩こりなど年齢には抗えないことが「簡単だ」と思うことで疲れているとは気づかなかったのだ!
冒頭「写真は8月~云々…やりきって 安堵した」と言うところだが 気張ってやってしんどかったなア~。としんどかったことをしっかりと受け入れることだったなと。受け入れその労をねぎらう。頑張った自分を「よくやったね!」と言ってやることを忘れていた。
対人支援が私の仕事
普段仕事として カウンセリング・コンサルタントと言い方は色々ですが ご本人がより暮らしやすくなるための支援をさせていただいています。 そんな中で、クライエントさんのお話を聴き、クライエントさんに 「自分によくやったといってみて」と度々いうことがあります。 すると「そうでしょうか。当たり前と思っていました」とおっしゃいます。「だから声に出していってみてください。」と言って、ご本人が声に出しておっしゃった後、ほとんどの方が 目から涙がこぼれています。自分の事はついつい忘れがちになってしまうのですね。 自分の事をまずは大事にするためにも 「当たり前と思っていてもよくやったね。がんばったわ~!」と 自分に言うこと。 これ本当に大事です。今回身に沁みましたわ。
私自身、これに気がついて自分の労をねぎい、心が晴れやかになりました!
写真の倍はあったんですから本当によく頑張りました!
皆さんも出来て当たり前のことも「よくやったな!」と労をねぎらいましょうね。
追加:かき氷も食べたし、籠も作ったんです (*´艸`*)
この夏は楽しいことがいっぱいありました!