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小説『同窓会』3

   《 奇跡のオスカル 》
        ~ 吉澤真実 ~


「あぁ…」

めんどくさい…

実に面倒だ。
玲(あきら)に誘われてなかったら、絶対にこんな場所にはいない。
『…うちのホテルでやるらしいの。今度ばかりはなにがなんでも出席しろって言われてるからマコ、一緒に行かない?』
受話器越しの懐かしい声。
それは、ほんの気まぐれだったとしか言いようがない。今までもさんざん同じことを言われてきたはずなのに〈100周年〉という言葉に惑わされたのか、退屈しのぎの気休めだとでも思ったのか、
「創立記念? そういうのは学校でやるもんじゃないの?」
『式典も兼ねてだから…。歴代の先生方や在校生も参加らしいけど』
「あ~?」
高校を卒業して11年、玲は3児の母となり、真実は1児の母となって大学病院の研修医をしていた。
『面倒がらずに…! お願いよ、マコ』
そんなやり取りの末、今この場所に立っている。
「はぁ…」
ゆっくりと動く、ブロンズの支柱の回転ドアを前にため息をつく。
人ごみの中には滅多なことでは出掛けて行かない真実(まこと)は、華やかな衣装をまとった女だらけのフロアをガラス越しに眺めては立ち尽くし、硝子戸にうつり込んだ自分の姿と対峙してはため息をつき、既に帰りたい気持ちでいっぱいだった。
「吉澤様、ご無沙汰しております」
ちょっといい服を着た背筋のピンと張った老人が、こちらに気づいて45度のお辞儀をしてやってくる。「どうぞ」とばかりに滑らかにスウィングされた腕を見せられたら、その丸い円の中に入らざるを得ない。
「ご機嫌麗しゅう…」
見知ったその顔は仰々しい挨拶を発しながらも親し気に微笑む。
「あ~どうも。そういうかたいの、いいから」
左手を翻し、おざなりに答える。それも昔なじみゆえの照れ臭さからくるものだったが、いい加減大人になった今となってはどうなのか…と立ち止まる。
「相変わらずでございますね」
「じぃちゃんもね。もう隠居すりゃいいのに」
(あ~また…)
言ってしまって後悔するも「最近は、週3のパートでございますよ」と本気なのか解らない老人の言葉に自然と笑みがこぼれる。
「へぇ、随分優遇されてんだな…。玲は? もう来てる?」
正面のフロントには向かわずに、右手に湾曲する階段を正面にして立ち止まる。本音では「面倒くさい」とはいえ、時間に遅れるのは真実の性分としてはあり得ない。
「先ほど学長先生をお出迎えになられ、もうまもなくお席にお戻りかと…」
「ふ~ん。ありがと」
「会場は3階〈プリンセスローズ〉でございます。吉澤様のお席は左回りで前から3卓目となっておりますので…」
「はいよ~」
これまた手をひらひらさせながら、音もならない吸い付くような絨毯の階段を大股で上っていく。後ろで老人がどんな顔で見ているかが想像つくだけに真実は少しおかしくなった。
「こんな日ぐらいドレスアップなさってはどうですか…?」
(…な~んて、ぼやいてんだろうなぁ。おあいにくさま)
軽く首を左右に振って気持ちを入れ替える。
金髪に近い茶髪のセミロングにきつめのパーマをかけ、無造作に後ろでひとつにまとめられた髪はブリーチのし過ぎで悲鳴を上げている。肩幅の広いブラックフォーマルのパンツスーツは、ひょっとすると後姿が男性と見間違われるかもしれないと思うほどにたくましく堂々としていた。
真実は高校卒業以来スカートを履いたことがない。唯一結婚式だけはしかたなく、細身のマーメードドレスを着用したが、離婚が成立した今となってはそれも無益な「我慢」だったと式自体を激しく後悔している。
(我ながら早まったよなぁ…)
真実はつい先日〈離婚届〉を出したばかりだった。
高体連で膝を故障してからろくなことがなかった。不本意ながら、一年浪人の末に医大に入りそれまでにないくらい必死に勉強した。高校を卒業してからは本当に勉強しかしてこなかった。だからきっと血迷ったに違いない…と自分では解釈していた。
それも玲のひとことが発端だった。玲の気まぐれな言葉にのせられ、気晴らしに出掛けて行った合コンで前夫〈長谷川佑介〉に出会った。
(無駄な時間だったよなぁ…子どもまで生んじまった。まぁ、それは唯一の勝因か)
おかげで母親の恋愛遍歴にもピリオドが打たれた。
真実は母子家庭だ。母親の〈操(みさお)〉は小柄な体格というのもあるが、子どもの目から見ても〈天然〉で、そこそこにかわいらしい器量の女だった。それゆえに彼女は、真実の物心がつく以前から自由恋愛を楽しんでいた。
操はなにを考えているのか、母子家庭でありながら「幼子に父親を」とは微塵も考えてはいなかった。それどころかまったく結婚の意思はなく、だが操にその気がなくとも、勘違いして気を良くした男どもに「パパと呼んでくれ」などという戯言を何度となく聞かされてきた。真実にとってそれは〈呪詛〉のようなもので、結果なるべくして〈男嫌い〉になったというわけなのだが、真実にとってみればそれは、自分がいるから操は「結婚ができない」と思っていたし、操の恋愛遍歴に関して言えばすべて、自分に「父親がいないせい」だからと思い込んでいた。
「これで我が家も安泰だ」
なにを持って「安泰」とするのか、真実にとってはまったく理解に苦しむところではあったが、うんざりするほど見せつけられていた操の武勇伝の数々が、孫の出現によってパタリとやんだ。それに関して言えば血迷った結婚も間違いではなかったのだと思える。ようやっと安息の地が得られた瞬間だった。
身軽になって解放された真実は足取りも軽く、さくさくと階段を一段飛ばしで上がっていく。
(3階か…エレベーターどっちだったっけな)
キョロキョロと辺りを窺っているとかわいらしい鈴の音が響いた。エレベーターの到着と同時にドアの開く音だった。
仕切りで見えなくなっている右手のエレベーターフロアに足を進め、小走りに踏み入れドアを抑えつけた。3階のボタンを押しひと息つくと「すみませ~ん。ちょっと待ってください」と仕切りの角から追いかけてくる声がある。
言われるままに「開」に指をのせて待つ真実。
「ありがとうございます」
そう言って駆け込んできたのはかつて〈おてんばオスカル〉と冠されていた〈七浦織瀬(ななうらおりせ)〉だった。
「あ…」
織瀬は真実を見るなり小さく言葉を発したが、すぐに恥ずかしそうに俯いてしまった。
(じぃちゃんも、こういうのをあたしに求めても無理だって気づかないのかね)
ふわふわのセミロングのカールに淡いオレンジ色のワンピースドレス。まるで小動物だな…それが織瀬に再会した真実の第一印象だった。


かつてお嬢様学校ともてはやされた世界で、生徒達の憧れの象徴『オスカル』の名を冠されて過ごした乙女たち。時に繊細に、時に赤裸々に、オスカルが女でありながらドレスを纏うことを諦めたように、彼女たちもまたなにかを諦め、だれにも言えない秘密を抱えて生きている・・・・。

創立100周年の記念パーティーは『高嶺(高値)のオスカル』こと〈御門 玲〉の父親の営む高級ホテル〈IMPERIAL〉で、在学していた当時を圧倒的に凌ぐ煌びやかさで盛大に行われた。世界中で活躍する卒業生や卒業生の息のかかった腕の立つ料理人たちが集められ、エンターティナーショーさながらにその腕前は披露された。


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まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します