「恋愛体質」第2話
恋愛体質:BBQ
『友也と砂羽』
1.bad premonition
「砂羽さ~ん、お久しぶりでーす!」
桃子が出掛るのと入れ違いに、リビングに勢いよく入ってきたのは、高校の同級生だった鷺沢重音の妹だった。
「あら、和音ちゃん? すっかり大人になって」
懐かしさに飛びついてくる和音を胸に、面食らって妙な顔はしていまいかと内心びくつきながらも、複雑な思い出が頭をよぎる砂羽。だが、
「やぁだ。おばさんみたい。あ、」
当の本人はそんなことには頓着せず、
「ユウヤ! 会いたかった~」
ワントーン高い声でキッチンに立つ上石の腕に絡みついていった。
「相変わらず、元気だねぇ」
つい口をついて出た言葉に不安を隠せない砂羽。その先の刺さるような視線に、ソファの上で一連の流れをキツネにでもつままれたような顔をして見ている雅水に苦笑いを浮かべる。
その目はまさに「なにあれ!?」と言っているようだった。
「鷺沢の妹。かずねちゃん」
ソファに向かって笑顔で答え、
「さっさと準備しよ。トーコが買い物行っちゃったから、雅水、野菜切ってよね」
そういうと手元のエプロンを雅水に放り、テラスに続く大きな窓に向かった。
「えー!?」
こちらを無視してさっさとテラスに向かう砂羽に、迷惑そうに答える雅水。それは決して「野菜を切りたくない」という意味合いではなく、なんで今「キッチンに行けというのか」という抗議の感嘆詞であった。
「最初にとうもろこし焼くんだよね? これ、茹でて醤油漬けにしてきたから…」
軒先から聞こえてくる砂羽の声には、雅水には読み取れるだけの違和感があった。
「あとで覚えてろよ」
小さくぼやいて立ち上がる。
「へぇ、準備いいね」
テラスには、先ほど鷺沢と一緒に火おこしをしていたと思われる寺井がトングを持って控えている。
「そこは女子力でしょ~」
そんなやり取りを眺める雅水は「きっちり説明してもらうからね」と声にならない言葉を残しきびすを返す。
「わたし、なんでも手伝いますよ~」
こちらの気も知らず、キッチンの和音が明るく返してくる。
普段なら気にもならないはずのその態度が、やけに気に障るのは気のせいじゃないだろうと思いつつ、
「ぁ、うん。じゃぁやっちゃいますか」
しぶしぶエプロンをかけ、砂羽にとって今自分はいい防御壁なのだろうという空気を受け入れた。
2.reminiscence
普段なら怪しいメールに返信などしない。ましてや顔も覚えていない相手の誘いに乗るなど言語道断、まったく有り得ない話なのだ。が、雅水の「チャンスは這ってでも掴む」という必死さに負けた。
ほんの少し、興味も手伝ったかもしれない。
なにせ砂羽に連絡をくれた上石という男は、街コンでいちばん最初に対面した「元ホスト」という経歴の持ち主だった。
雅水に押されるまま、いやいやLINEを返信したものの、さすがに1対1では「イヤだ」とごねていた砂羽だったが、幸い先方から「街コンで対面した4人で」との申し出があり。結果、雅水にとっては好都合な運びとなったのだ。
最初の食事は「お酒抜きで」ということでイタリアンレストランを提案。相手は女慣れしているだけあって、お店選びはなかなかなものだった。
それが今、キッチンで和音が纏わりついている男上石と、テラスでトングを握っている上石の幼なじみだという会社員の寺井だ。
一度会ってしまえば勢いがつくもので、別れ際に「また今度」ではなく「じゃぁ次は」と、話を繋げることも雅水には常識のようで、流されるままに2度3度と、休日を彼らに費やすことになっていた。とはいえ仕事柄、そう日を詰めて会えるわけでもなく、街コンから既に3ヶ月が経過していた。
そんなある日、
『あれ? トモじゃん』
その声には聞き覚えがあった。
『おぁ。サギじゃん、なに仕事?』
『サギ?』
(うそでしょ……!)
そう思うと同時、砂羽はとっさに顔をそむけた。しかし、そむけたところで隠れられるわけでもなく、
『え。砂羽? おまえ、小柴砂羽じゃねーの?』
通りすがりのはずの男は、自分のフルネームを言えるだけの顔なじみだったのだ。
『え、知り合い?』
おとなしく流れを見守っていた雅水がすぐさま食いついた。
『そう、みたいね』
それは実質4度目の食事で、夜勤明けの砂羽を待ち構えていたファミリーレストランでの一幕だった。
本音はさっさと帰りたかった。急患でもあれば断れたものを、その日に限って仮眠まで取れ、いつもなら眠いはずの夜勤明けが深夜テンションのままで、とにかく砂羽はおなかが空いていた。
奢ってくれるというから化粧直しもせずに急いでやってきた。なのに、なにを焦っているのか雅水は、また彼らと連絡を取り、挙句に「ひとりじゃ心細い」とかなんとかいう理由をつけて砂羽をダシに呼び出していた。
『なに、おまえら。つきあってんの?』
そして結果がこれだ。
『グループ交際でーす』
調子に乗って答える雅水に鋭い眼光を向け「黙れ」とアイコンタクトするも、そんなことはものともせず、
『まぁ、現在進行形ってことで』
と、めげない雅水の不本意な待遇にうんざりしていた。
結果的に、偶然にも「夜勤明け」だという鷺沢も同席することになり、勢いから今日の運びとなったのだ。
鷺沢は砂羽の高校時代の同級生であり、
『えー!? 元カレ? すごい、劇的な再会じゃん!』
ロマンチストの雅水は、そんなシチュエーションが大好物だ。
『そんなんじゃないよ。なんとなくそんな流れだったけど、結局喧嘩ばっかだったし、高校時代のつきあいなんて蚊に刺されたようなもんでしょ』
そうなのだ。砂羽にとってはその程度の、忘れたい黒歴史にすぎない。
『蚊ってあんた。でも、なんか意外』
それは言葉に対する素直な感想なのか、相手に対する興味の問題なのか、とにかく砂羽にとっては触られたくない過去でもあった。
『トーコには言わないでよ』
『なんで? おもしろいじゃない。てか、これからいい付き合いできそうじゃない』
悪い予感は的中するものだ。そして、弊害を呼ぶ。
なんとなく話の流れで、今日のBBQが計画された。
しかも上石の幼馴染という寺井は、会社員は会社員でもゆくゆくは社長の椅子が約束されているという筋金入りの御曹司。今日のこの場所も、彼の会社の社宅のひとつで、出張や転勤などで地方からくる社員に低賃金で貸している借家のひとつということだった。
「あんな子、来る予定だった?」
とるものもとりあえず、雅水は先に仕込み終えた野菜を手に、テラスの砂羽のもとへやってきた。
「うん。女の子、何人か来るって言ってたよ」
「そうだけど。彼らの知り合い? しかもなんなの、あの子。挨拶もなく彼にべ~ったり」
ちらと、室内の和音に目を向けた。
上石は元ホストというだけあって、いるだけで花がある男だった。
雅水が彼を狙っているかということはともかくとして、自分たちが計画したこのBBQで、数合わせに呼ばれたはずの女の子に大きい顔をされるのは気に入らないのだろう。だが、鷺沢がこの話を持ち掛けてきた時点で、砂羽にはなんとなく想像のつく展開だった。
「あの子は無邪気なだけよ。昔から」
「あぁ。元カレの妹だもんね~知ってて当然か」
「棘あるな~」
「あとでちゃんと説明してもらうからね! 黒歴史とか言って逃げないでよ」
その言葉にはため息しかない。
「こんにちわ~」
「お邪魔しま~す」
そうこうするうち「何人か」と言われた女の子たちが到着したようだ。
3.uneasiness
「え、お兄ちゃん。ユウヤの車で行ったの?」
買い物から帰った鷺沢の運転する車のエンジン音を耳にし、とっさに和音はそう言った。
「オレがいちばん最後だったからな」
いちばん出口に近い車だったというだけだ。しかし、
「…へぇ」
意味深な和音の言葉に、砂羽は一抹の不安を覚えた。
あとから合流してきた女の子たちは、和音の音楽大学の同級生ということだった。
「藍禾です」
「結子で~す。わたしたちは、ユウヤさんの顔を見に来ただけなのでお気になさらないでくださ~い」
どうやら和音のこれまでの様子から、和音と上石は顔見知り以上の間柄で、そのふたりの様子を見にやってきた、ということらしいのだ。
そしてもうひとり上石の仕事仲間だという、
「荻野唯十です」
そう自己紹介した彼は線の細い華奢な肢体で綺麗な顔立ちをしていた。
「あなたもホスト?」
その見た目に、この疑問は否めない。
「ちょっと雅水、失礼よ」
「だぁって、仕事仲間って。今の仕事知らないし」
「今は、起業して移動販売……やってます」
言いながら荻野は、はっとして上石を見た。
「え? なになに、ユウヤも?」
和音の興味はあからさまに上石にしか向いていない。荻野の行動からして、知られたくはなかったのだろうと推察するが、もう遅い。
「どこで? なにやってるの?」
「おまえには教えない」
「なんでよ~。上客なのにぃ」
「入り浸られては困る」
そう言って上石は、チラっと和音の兄である鷺沢を窺う。微妙な関係なのが見て取れる。
「ひど~い」
「いい加減にしろ、和音」
「お兄ちゃんは黙ってて」
「ここでする話じゃないだろ」
「ぶ~」
兄妹ケンカはいい加減にしてほしい。それも砂羽にとっては見慣れた光景ではあった。
「まぁいいじゃない。せっかくなんだから、楽しんで食べよう」
なんだこの茶番。そう思っても今は、こう言うしかない。
和音を頭数に入れたのが上石にしろ、鷺沢にしろ、人選ミスは否めないのだ。台無しになるより今を乗り切りたい。
だが、まったく楽しめる気がしない。
「なんだか複雑になってきたね」
雅水が砂羽に耳打ちする。
「複雑に考えなけりゃいいのよ。とりあえず、飲も!」
砂羽は自分に言い聞かせるように唱えた。
「うん。そうだね」
あたりは日も暮れて、BBQには絶好のロケーションなのだ。
「こっちの肉焼けました~?」
「もうちょっとだね」
火の番をするのは性格がおとなしい寺井だった。独り勝ちのように女子大生に囲まれながらも困った顔をしながら、ひたすら肉を焼いていた。
「なんか寺井さん、お父さんみた~い」
「ぉ、お父さん!? せめてお兄さんって言ってよ」
「え~その手つきはお父さんだよ、絶対」
「はは……絶対なの?」
本人によれば「ソロキャンプが趣味」というだけあって、なかなかに手際がいい。
「ソロキャンて、さみしくないです?」
「熊とか、狼とか、出ないんですか?」
「そんなところばかりじゃないよ」
「お肉くださ~い」
女子大生には物静かな寺井が安全パイと感じたのか、すっかり懐いて焼きあがった肉や野菜を片っ端から食べ潰していった。
「こっちも出来上がったぞ~」
テーブルを境に、鉄板で焼きそばを焼いていた上石がそういうと、
「うあぉ焼きそば~」
あっさりと女子大生は寺井のもとから掃けていく。
「変わるわ。あんま食ってねーだろ」
それまで炭酸水を片手に座っていた鷺沢が立ち上がり、寺井からトングを受け取る。
「おなかいっぱいだけど、焼きそばは入るね~」
もはやだれのためのBBQなのか解らなくなりかけた頃、
「おまえら、それ食ったら帰れよ。送ってくから」
寺井と火の番を変わった鷺沢が、更なる父親発言。
「は~い」
手伝いと称してやってきた女子大生ふたりは、さすがに空気を読んだのか素直に応じた。が、
「え~なんで~」
案の定、和音だけは駄々をこねた。
「明日授業あるんだろうが」
「なんで今そんなこと言うのー。空気読んでよ」
「空気読めねーのはおまえだ」
さすがに責任を感じているらしい。
4.truth
「なんであたしに連絡なんかよこしたの?」
砂羽にはずっと気になっていたことがある。
和音の様子を見ても、元ホストだという上石が女の子に不自由している様子は感じられない。なのにわざわざ連絡をしてまで自分たちとコンタクトを取ろうとしたのには、なにか別な目的があるのではないかと考えたのだ。
「へぇ。やっぱただのお飾りじゃなかったんだ」
その言葉には聞き覚えがあった。
「お飾りって、あんた!」
はじめて会った街コンの日も同じセリフを言われたことを思い出したのだ。
(やっぱり失礼な奴っ!)
上石は最初から、砂羽のやる気のなさを指摘していた。
「あの子たちはユウヤって呼んでるし、鷺沢と寺井さんはトモって呼んでる。トモヤなの、ユウヤなの、それとも…?」
「ユウヤでもトモヤでもない」
「 え、なに。本当はなんなの?」
「トモナリだ。仕事柄、名前にはこだわらない」
「ぁ、そ。それでいいわけ?」
「別に問題ないだろ、呼び名なんて」
「あぁ、そ」
「でも、本名を知ってるやつは少ない」
「あぁ。え」
それはどういう意味なのか。
「街コンはタカのために参加したんだ」
「寺井さんの?」
「あいつ。あぁ見えて、彼女いない歴イコール年齢、だから」
「えっ!?」
高学歴、高収入、ゆくゆくは社長だという境遇からは想像のつかない人物像だ。
「じゃぁ」
女を知らないのか、と尋ねようとして辞めた。
「初体験の相手は世話してやった。でも、そのあとは自分次第だろ」
まるでこちらの胸の内は「お見通し」だとばかりに、上石はイケメンをフルに活用した笑みを浮かべた。
「あぁ、そう」
(やっぱ、ムカつく)
「あいつ。子どもの頃から体弱くて、あんま学校行ってねーんだ。まぁ学校なんか行かなくても家庭教師がいたから大学まで出てるけど」
「へぇ……筋金入りのおぼっちゃんなんだ」
「そういう言い方やめろよ。環境なんて人それぞれだ。望んだわけじゃない」
上石はなかなか情に厚い男らしい。
「ふ~ん。で、お友だちのためにひと肌脱いだってわけ」
「そういうこと」
それで、どこがどうなって自分に「連絡をくれたのか」というところが釈然としない。
「……で。タカは、古河さんが気に入ったらしい」
「え、雅水? じゃぁなんで直接雅水に連絡しないのよ」
それは当然の疑問だった。
「奥手だから」
「それでなんで、あたしよ!?」
「オレが直接連絡したら、彼女勘違いするだろ」
「随分な自信だこと」
とはいえ確かに、雅水に連絡が行っていたならすぐさま飛びついただろうし、当然「自分に気がある」と受け取るかもしれない。
(こいつ……)
顔だけのホストではなかったか、と改めて感心する。が、
「見直した?」
イケメンの笑顔にはいささか抵抗がある砂羽。
「そういうところがムカつく」
女心が解り過ぎるというのも考え物だ。
「ハハ……いいね、その返し」
「でも、この先はどうするのよ。雅水、全然気づいてないわよ?」
「段取りはしてやるさ。でもその先までお膳立てしてやるには、男としてどうなのよ」
「あぁ。まぁ?」
「あとは自力で」
「そうだろうけど」
そう言って焼き物に集中する寺井に目を向けた。
「でも。あれじゃぁ、手も握れないわよ。あたしが言おうか?」
「それじゃぁ今までと同じだろ?」
「まぁ。そう、ね」
手は貸してやるが、肝心なところは、ということだろう。
「さっき女の子たちが寺井さんのこと、お父さんって言ってたけど。あんたはまるでお母さんだわね」
「かもな。子育てもイケると思うぜ」
「は。自信過剰もそこまでいくと厭味。じゃぁあんたにはこれもただのつきあいなわけでしょ。ならあたしとなんか喋ってないで、和音ちゃんたち送って行けばよかったじゃない」
そのつもりでアルコールを避けていたんじゃないのかと問えば、彼はまったくの下戸だった。
「あの子は友だちのいもーと」
それだけ?
「へぇ」
てっきりふたりはそういうものだと思っていた。
「それよりちょっと、聞いたわよ。シートベルトの話」
それは和音の意味深な返事の理由だった。
「あぁ。別に」
「別にじゃないわよ。それって鷺沢も知ってるの? トーコになんかあったらどうしてくれんのよ」
大人数で楽しくBBQのはずが、あちこちに火種していることを砂羽は申し訳なく思っていた。
「なんかあったの?」
「知らないわよ。トーコはなにも言わなかったけど」
「別になにかあってもおまえに関係なくないか。それともなに? サギに未練とか」
「まさか。ねぇその含み笑い、やめてくれない?」
見透かされているようでイライラする。
「いい男だろ?」
「ばかじゃないの!」
「なにも言ってなかったんだろ、彼女」
「そうだけど。 トーコはそういうことに慣れてないから」
「慣れてるとか慣れてないとかの問題か?」
お互いに「オトナだ」と言いたいのだろう。だが、
「たいていの女は不意打ちに弱いけど。おまえには通用しないなー」
「なにが」
「殴られそうだ」
「ぁ当たり前よ。誰だってそうするわよ」
「じゃぁ、試しに乗ってみる? オレの車」
「は。乗らないわよ」
「あ、そ」
「なによ」
「ざ~ん、ねん」
膝に肘をつき、口元を抑えた友也の表情が読めない。
この展開はどういうことだろう。しばらくなかったときめきに、砂羽は心揺さぶられていた。