よるべなき男の・・事情
第弐話:よるべなき男の身辺事情
「ハナブサの旦那が行くよ」
「ハナブサ様の御一行だよ」
ハナブサが出掛ける際はいつも、3人のお付きの者を従えておりました。そこに我が物顔でついて歩く女「美奈」。しかしながらハナブサは、蚊蜻蛉同然の彼女のことは別段鼻にもかけておりませんでした。
このところの彼はよく町に姿を現すようになったということで、町の女が浮足立っておりました。
「またあの女…!」
「一体どうやって取り入ったんだか」
美奈にとって、女たちの刺すような視線は、まるで後光のシャワーでも浴びるような心地よさで益々気を良くするばかりでございました。
当のハナブサ様ご本人はそんなことには介さず、ただひたすらに身を研ぎ澄まし、全身を耳にして周囲に気を配って歩いているのでございます。
「枷屋のぼんがまたやったってよ」
「また行き方知れずなのかい…?」
「なぁに、またひょっこり帰ってくるさね」
「いつものことみてぇに言うが、帰るたんびにあぁもやせ細ってちゃぁ先が思いやられるってもんだ」
とある畳屋の前を通った時のこと。外で張替え作業をする職人たちの噂話の一端に、ハナブサがついぞ気にかけている呉服問屋の話題が耳をついてきたのでございます。
ハナブサはお付きの中では見映えのましな、ひょろりとした男に目配せし、
「お美奈。ちょっくら用事を頼まれちゃくれねぇか」
と、声を掛けた美奈の方には目もくれずに、顎に手を当て瞬き程度の間に鋭い目つきを投げかけました。
「なんだい、厄介払いかい?」
不機嫌に答えてはいるものの、湿った声音と甘えた視線を忘れない美奈は、そのなりだけでハナブサにしなだれかかるような有様でした。普通の男であったなら、容易くその目に惑わされもしましょうが、
「おふくろ殿に芳賀屋の淡雪でも買っていってやっとくれ」
そんなやさしい言葉をかけながらも、ハナブサの目は既に遠くを見ており、そうなると周りが見えていないことを知っている美奈は、観念し言いつけのままに行動せざるを得ないのでした。
「あいよ。…ほら、行くよ」
ため息を落とし、美奈は低い地声でひょろい男に声を掛け、つまらなそうに歩き出します。
美奈に呼ばれた男は軽くハナブサに会釈をすると、財布を受け取り更に一歩下がって指示を待つのが礼儀でございます。行き届いた師弟関係が実に気持ちのいい瞬間でありました。
「帰りに夕餉の支度を頼まれとくれ。今夜は湯豆腐にしよう」
棒っ切れのように細長いその男は、再度ハナブサに頭を下げ、急ぎ美奈のあとを追うのでした。
「それにしてもあれじゃぁ、枷屋も商売あがったりだ」
「跡取り息子があれじゃぁなぁ」
「な~に、あそこは番頭の作平次さんが継ぐ話になってるって噂よ」
「あの気弱な?…ちょいと頼りない気もするが」
「それでもぼんよりはましなんだろうさ」
「ちげぇねぇ」
ハナブサの目配せで、お付きの残りのうち小男の方が職人の方に歩み寄りまして、
「どこぞの屋敷で祝い事でもあるのかい」
忙しなく手を動かす職人らに声を掛けたのでございます。
「なぁに、つい先立って空になったお屋敷があってな。長く患った御仁が最後に過ごした家だとかで、家具やらを寺で預かっていたものを売りに出すってんで、この畳も引き取ってきたところよ」
「へぇぁ~。そいつぁどちら様の?」
「さぁて、そんなことまでは知らねえなぁ。なんだい兄さん、おこぼれに預かりてぇって寸法かい」
そう言って振り返った職人は、小男の姿にぎょっと致しました。
「ちょっと物入りでね。このなりじゃぁ仕事もままならねぇってんで…」
そう言って小男は、わざと左肩を突き出して見せ、その仕草に一瞬の間があって、若干引き気味で職人のひとりが、
「あぁ屋敷なら、与瀬町の手前に差し掛かった峠のところよ。高~い塀に囲まれたさみしいところさね」
そう、面倒臭そうにあしらいました。
「与瀬…そうかい。そりゃありがとよ」
小男はそれだけ聞くとスッと引き下がりました。なんでも「引き際が肝心」と申しますが、通りすがりの塵のように、相手の脳裏に自分の印象を残さない程度の間合いで立ち去るのが妙技でございました。
ここ最近のハナブサの仕事は『追い出し屋』といういわゆる地上げを生業としていらっしゃいました。
それは決して雇われではない「野生の勘が彼を動かす」とでも申しましょうか、彼の仕事には一切の隙はなく、殺伐としていていつも余念がないのだと周りの人間は申します。ただひとつを除きましては…。
なぜならハナブサには、今、たったひとつだけ弱点とも言える気を惑わすものがありました。
「最近奥に越して来た女の素性は?」
「へぇ。どこぞの旗本の後家さんらしいです。主亡きあと厄介払いされたと。北の方から流れて来た女で、身寄りはねぇようで」
「北…」
ハナブサは現在、仕込みの最中にありました。標的になりましたのは伝馬町に看板を構えております呉服問屋「枷屋」所有の裏長屋で、川沿いに面したそれはそれはのどかな集落でございました。実はこの「枷屋」というのが問題の要因でありまして、ハナブサはその息荒く鼻を利かせたという次第でございます。
「今、長屋の差配人は?」
「治郎兵衛っていう、こう…恰幅のいいおっさんで」
右手で自分の腹回りをなぞるように示す小男は、主に情報集めが持ち回りのようでした。
「扱いにくい男かい?」
「これが大の甘い物好きらしく、年中大福持って歩いてるような奴なんですわ。ですから、あまり細かいことは頓着しなそうな野郎で」
「独り者かい?」
「なんでも身内が、谷中の水茶屋の女将だとかで…ひょっとしたらなじみの女はいるかもしれませんが…調べますか?」
「いや。欲のねぇ奴は使えねぇ」
「あぁそら、井戸の手前に住まってる傘屋の娘が通いの女中を世話して貰ったとか」
「水茶屋の女中ねぇ…」
ハナブサはそう言うと、ちょっと悪い顔をして見せました。そんな時、女が横を通ろうものならあっという間に惚れこんでしまいそうな、とにかく艶のあるお顔でございます。
「…ならば、病持ちの貧乏人を探して長屋に住まわせるんだ」
「へぇ」
物腰やわらかに実に手際よく、ハナブサは淡々と作業を進めるのでございます。その有様が小気味よく手下どもはハナブサの下を離れられないという始末。
「じゃぁ…あっしらは今日はこれで」
追い出し家業はじっくりと、時間をかけ巧妙に仕掛けられていくのが術でございます。その敷地内に物売りとして潜り込みましたり、または長屋に住まってそこの住人共々運動を起こしてみたりも然りでございます。なによりも姑息なのは、とにかく信用を得た住人たちを相手取り「さもあらん」とやりのけた末に犠牲者よろしく速やかに消えて居なくなる所業にありました。それらは所詮、寄せ集めの人足たちでしたから、追及の仕様もないのでございます。
ですが、滅多にハナブサ自身が仕込みの最中に出張っていくことはありませんでした。あくまでも遠巻きに、彼は目利きあり、汚いことはすべて手下どもが喜んで働きますのでなんの苦労もございません。そこで役に立つのが3人の連れということなのでございます。
「整いやした」
「そうかい。なら…身元のはっきりしねぇ浪人を雇え。突然いなくなってもだれも探さねぇ輩がいい」
「へい」
「そいつにひと暴れしてもらって…身持ちのいい長屋の住人を散らすんだ」
「へぇ」
「それと気性の荒い大工だ…夫婦者がいい」
「そっちも身元が知れねぇ方がいいんで?」
「気性の荒い輩ってぇのは、ひとっところには落ち着けねぇもんだよ」
「なるほど」
ハナブサには狡猾な異国の手下があり、その名を「レ・ドアン・フォン」というなんとも発音しにくい名前で、周りの者は頭が悪い上に彼の名を正しく聞き取れておらずに「ホン」と呼んでおりました。ですが本人はそんなことは一向に構わず、生きるためにはなんでもしなければなりませんで、なんと呼ばれようがとにかくハナブサの役に立ち、ハナブサに愛想をつかされないよう努力するばかりでございました。
ホンは江戸に在る町人にはない目の色をし、まるで火で炙ったかのような肌の色をして、いつも高みから鋭い目つきで物を見ておいででした。そして、異国人ながら斜めの視点からいつも面白いことを思いつくのだそうで、それに飽きるまではハナブサの右腕として「働いていられる」という仕組みが成り立つのでございます。
次なる手下は力自慢の大男、その名を「山鯨の伝」と言いまして、頭が弱く自分で考えて行動するということがようようできない輩でございました。とにかく力持ちというだけで、どうやら頭だけでなくいろいろと鈍いところがあるようで痛みをあまり感じない体質のようでした。
ヤマクジラ…とはウドの別名でありまして、体ばかりが大きくあまり役に立たないこの男の、いつしか呼び名となりました。挙句、人に指図されないと行動できない彼は「木偶の坊」のようでもありましたから、元の名である「伝」をもじって近しい者には「でく」と呼ばれておるようです。
最後に控えるは「片輪の一筑」と申しまして、片輪の名の通り左腕がなく、右目が潰れた気味の悪い面相をした小男で「びっこ」と呼ばれておりました。なんでも幼い自分に父親に捨てられ野犬に腕を食われただの、カラスに目を突かれ潰れただのと悲惨な逸話がございましたが、本人含め実のところを知る者はございませんでした。
元はハナブサの御母堂様の見世物小屋に囲われておいででしたが、なにせ気味の悪いなりなもので、お金にはなりますが、なにより御母堂様が生理的に受け付けないということで路頭に迷うところをハナブサが引き取ったという事情でございます。なにより彼はすばしっこく、どこにでも潜り込めるという得技がございましたので、よくよく役立ってくれているとのことです。