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小説『オスカルな女たち』43

第 11 章 『 感 情 』・・・3


   《 男ともだち 》


「オレ、つかさのことずっと知ってたんだ…」
開店日以来、連絡のなかった〈圭慈〉と会ったのは翌週の土曜のことだった。
「ずっと?」
駅で待ち合わせをし「落ち着いたところで話がしたい」と言って歩き出した。
(落ち着いたところ…?)
圭慈はすでに酔っているようだった。酔わずにはいられなかったのか、酔わずには会えなかった、ということだろうか。
よからぬ妄想を抱きながらも黙って従うつかさの中には、未だかみ砕けていない圭慈のセクシュアリティな問題に、この状況をどう受け止めたらよいのか動揺を隠せずにいた。
「おかしいと思わなかったのか? 前の職場からだって駅いっこだぜ?」
「それは、そうだけど」
だが、圭慈の態度は普段となんら変わらない。今までだってそうだった。再会してから今日まで、圭慈は出会った頃となにも変わらず隣にいる。
「会わないなんてありえないだろ」
確かにそんな思惑がつかさの中になかったわけではない。
「どこかで会ってたってこと?」
(じゃぁなんで今まで声を掛けなかったの?)
「オレは最初、おまえが知ってて無視してんのかと思ってたよ」
(え…?)
「それは…。どういう?」
「やっぱり気づいてなかったのか? お前は…相変わらず。前しか向いてないスキのない女だった」
そう言って軽く空を見上げ、首をもたげた。
「え?」
圭慈は再会した時にも似たようなことを言っていた。
「え…じゃねぇよ」
「じゃぁ、どこかですれ違ったりしてたってこと?」
「お前ってそういうやつだよな」
「だって…」
「ま、そういうところが魅力なんだろうけど」
「魅力?」
ついと隣の圭慈の顔を窺い「そこんとこ詳しく…!」と、腕を掴んだ。
「は? な、なんだよ…」
「あ。もっとちゃんと聞きたい、な…と思って」
つかさは「今どうしてるか」という近況を知るより、あの頃「なんで別れたのか」あの時「どう思っていたのか」と、当時は聞けなかった相手の想いを確かめたいとの気持ちの方が大きかった。
「つかさ、おまえって。やっぱり変なヤツ」
あっけにとられながらも圭慈は、必死なつかさの真顔に声を立てて笑った。
「だ、だって…」
とっさの自分の行動に口ごもる。
「お前は昔から、スキのない、いい女だったよ」
「なに、それ。わけわかんない。だいたい、なんで今まで声掛けてくれなかったわけ? 知ってて無視してたのはそっちじゃない」
少し恨めしく思った。もう少し早く会えていたら…そう思ってすぐさま、早く会えていたとしてなにが変わったのだろうかと思いなおす。
「言葉の通りだよ。つけ入る隙がないっていうか…ガードが堅いっていうか…襲いにくいっていうか、そういう女」
(襲うの? いや、そこじゃないか)
「嘘よ、そんなの」
つかさはむしろ自分は隙だらけだと思っている。
「わかってないところが、つかさってことだ」
「なによ、それ~」
「あの日声を掛けたのだって、本当はそういうつもりじゃなかったんだ」
「そういうつもり? 声を掛ける気はなかったってこと?」
ますます訳が解らない。
「そういうこと」
「なんでよ」
小走りに圭慈のスーツの裾を掴む。
「だってそうだろ?…ずっと長かった髪、いきなり切るんだもんなぁ反則だよ。人違いかと思った」
「えぇ!?」
思わず出た自分の声に驚き、口元を抑えた。
(髪切ったから声かけたの?)
ダレカサンモソウダッタ・・・
「えぇ?…は、こっちだわ。びっくりして…そりゃ、声にも出るわ」
「そ、そう?」
涼しくなった襟足に手を当て、髪を切ることがそんなにも他人に影響を与えるとは…と、改めて考える。だが確かに、初めて目にした〈吾郎〉は惚け、〈継(つぐ)〉は遠慮がちで〈舵(かじ)〉に至っては「失恋した」とまで言わしめたのだ。
「それで声を掛けたわけ? じゃぁ、髪切らなかったらこうして会えなかったってこと?」
「ひとって解らないよなぁ…」
そう言って圭慈は誤魔化すように遠くを見た。
「あたし聞きたいことがあったんだけど…」
「そこ、入ろうぜ」
言いかけた言葉を遮り、本当に「静かな」小ぢんまりとしたバーを指さした。通りからは少し窪んだ位置にあり、ちょっと見逃しそうな場所だ。
「ぁぁ、うん」
つかさは黙って言われるがままについていく。
「いらっしゃいませ…」
少しキーの高いハスキーボイスが迎えてくれた店内は、カウンター席のみの細長い造りで、軽快なジャズミュージックの流れる感じのいい店だった。
(バーテンダーが、女の人…?)
店内の人影にほっとする。
「安心した?」
「え? なんで…」
どうやら圭慈は、つかさが警戒していると察していたらしい。
「俺のこと、怖がってない?」
「ぁ…ごめん」
「そこは違うって言えよ」
「え、ごめん」
「はは…ホント、お前はいいやつだよ」
(褒められてるような気がしない…)
無理もない。玲(あきら)に性癖を聞かされたあの日から、次に連絡があったら「どう接していいのか」とつかさは考えあぐねていたのだ。
嘘のつけないつかさの行動は、ありありと伝わってしまっているようだった。
(でもさっき、男の人の声…が?)
「でも、ごめん」
「気にしてねぇよ」
そう言って圭慈はカウンターの真ん中の席に腰かけ、
「京ちゃん、このひと俺の初恋の人」
線の細い、華奢なバーテンダーに声を掛けた。
「あぁ、つかささん?」
「えっ! 男の人!?」
座りかけて椅子に弾かれるようにのけぞるつかさ。
「あっはっはっは…やっぱり、ひっかかった~」
そんなつかさの姿を見て豪快に笑う圭慈。
「圭ちゃん、もうそれやめにしない?」
女性にしか見えないバーテンダーが呆れた口調でたしなめる。
「やめらんねぇよ、今の顔見た?」
つかさだけが置いてけぼりだ。
「まぁ、座れって。…そ。男。みんな騙されんだ」
「だって、お化粧。あたしより上手だし…」
まじまじとバーテンダーをなめるように見てしまう。
「はじめまして、京谷(きょうや)です」
先ほどのハスキーボイスが、目の前のきれいなお姉さんに見える彼から聞こえる。
「きょうや…さん。ぁ、こちらこそ。…ひゃ~。ホントにきれい」
ようやっと気を落ち着け、圭慈の右隣に腰かける。
「溜息出ちゃうね」
思わず口をついて出た言葉だった。
「つかささんて、面白いですね」
にこりと返す涼やかな笑顔も、女優のようだ。
「はぁ。びっくり…」
ため息が漏れるほどの美女とはこういうことだ…と、いつまでも見入ってしまうつかさ。
「肩の力抜けたか?」
「え、うん。そうね」
(それにしたって…)
「ここなら、突っ込んだ話も遠慮なくできるしさ」
急にしんみりとした顔を見せる。
「あ…」
(そうか…)
「あたしの態度でわかっちゃったか…ご…」
「そこは謝るなよ」
「あぁ、ごめ…じゃないや。なんていう?」
苦笑いしかできない。
「なにを聞いた? いや、いいや。なにを聞いたとしても今さらだ」
そういったところで、圭慈の前にバーボンが差し出された。
「つかささんは、なにを飲まれますか?」
「あ、えーと、ワインなんてあります?」
ここは飲まずには話せそうにない場面だと思った。
「どちらがお好みでしょう?」
「赤。フルボディで」
「酒も強いし…?」
横目で皮肉な顔をする圭慈。
「そんなことない」
「昔は、かわいいもの飲んでた」
「もうかわいい時期は過ぎたの」
ひとしきり談笑したのち、不意にバーテンダーの京谷が姿を消した。

カラフル

心なしか、店内に流れる音楽もボリュームダウンしたかのように思われた。カラン、と小気味よい氷の音が緊張を誘う。
「俺、あの頃、本気でつかさのこと好きだったんだぜ?」
正面を向いたまま圭慈は静かに語りだした。
(過去形だし)
「ホント? 全然気づかなかった」
おどけるでもなく、流すでもなく、つかさはなるべく差し支えないよう努めた。
「嘘つけ」
「嘘じゃないよ。あたしだって…好きだった」
(あ、なんかついでみたいに聞こえる?)
あまりあり得ないシチュエーションに、胸元を抑えて気を取り直す。
「ほんとかよ!? そっちの方が嘘くせぇわ」
「そんなことないよ。ちゃんと好きだった…」
(と、思う)
言い切れる自信はなかった。
つくづく自分は〈恋愛体質〉じゃないんだな…と思うつかさ。
「でも『気づかなかった』…というより『わからなかった』っていうのが本音かな」
ワイングラスに両手を添えて、つかさも正面に並んだボトルに目を移す。
「精一杯のアピールだったんだけどなぁ」
「壁ドンも、いきなりのキスも、うれしかったよ?」
「今それを言うか?」
ぎょっとした顔つきでつかさを見る。
「だって、そこがポイントじゃん…」
まずかった?…と、顔を見合わせるも、
「わからなかった…か。そうかもな、俺自身迷ってたから」
意外と素直な返事が返ってくる。
(迷ってた?)
圭慈のセクシュアリティは、いつごろから斜めを向いていたのだろう。
「自信…なかったんだ、俺。他の奴らが言うように、ムラムラしなかったし、どっかおかしいのかなって」
「おかしい?」
「説明しにくいんだけど…」
あえて力強く答える圭慈。
「説明されても解んないと思うけどねっ」
「つかさ~。俺真面目に言ってんだぜ?」
脱力してカウンターにうなだれる圭慈。
「あたしだって真面目だよ」
どういえば正しいのか解らない。
「京ちゃ~ん、どう思うよ」
圭慈はうなだれた姿勢のまま、おもむろに首だけを左の奥に傾けて声をあげた。
すると「出しゃばっていいのか?」というように、そろそろと顔をのぞかせる京谷。その姿がまた、つかさの目を奪う。
「いいじゃないですか、ふたり。なんか、隠語で会話してるようで、お互いのことよく解ってるって感じしますけど?」
隠語で会話。面白い言い方をする。
真田とはまた違ったタイプの、客を失望させない言い回し。
「なんだよ、隠語って」
少し酔っているのか、それとも彼の前ではいつもこうなのか、普段見せない圭慈の態度が「かわいい」と思えるつかさだった。
「お似合いってことです」
そう言って京谷は、バーボンとチェイサーを差し出す。
(なんでもわかってるんだなぁ…。もしかして、恋人!?)
少し目を見開いて彼を見る。と、
「違いますよ」
こちらの心が読めているかのような返答にドキリとする。
「え、心の声漏れてた?」
「そうじゃありませんが、そうかな、と思って…」
そう言って「ふふふ…」と笑う、そんな姿も美しい。
「なんだよ、おまえら。そっちの方が隠語じゃん」
「まぁまぁ…」
カウンターに突っ伏して、ますますグズグズと、まるで駄々っ子のようだ。
「なにが『まぁまぁ』だ、子どもじゃねーぞ」
「圭ちゃん、本性だだ漏れなんだけど」
そう言って笑う京谷が、性別を超えた関係をのぞかせる。
「もういいよ、つかさは。俺、やっぱ勝てねぇや」
そう言って顔をそむけた。
「まぁまぁ、」
ぽんぽんと肩を叩き、だが、このやり取りが楽しいと思うつかさ。
「うるせ」
ちらりとこちらを見るも、再びふてくされてそっぽを向く。
「…ちぇ。つかさ、俺のこと好きなんだろ? やさしくしてくれよ」
圭慈の肩に手をのせたまま、
「充分、尽くしてると思うけどなぁ」
悪びれもなく、それはつかさの本音だった。
そんなつかさに圭慈は、背を向けたまま、
「縮みあがってキスすらできやしねぇ。俺、お前のこと好きだけど、それ以上にコワい」
そう小さくごちた。
いつかの駅での〈突然のキス〉が思い起こされた。
「こわい?」
「嫌われたくねぇんだ。俺、お前のこと、ホントに好きだから」
情けない姿かもしれない。でも、そんな姿が愛おしいと思う。
あたしだってドキドキしたよ…とはここでは言わないでおこうと思うつかさ。
小さく微笑んで、
「嫌うわけないじゃん」
肩に置いたままの手をゆする、やさしい目で微笑むつかさを京谷だけが見ていた。
「圭ちゃん『キスすらできない』って言うけど、さ。別に…あたしたち、性的な付き合いなんかなくてもよくない? 男と女って、それだけじゃないよね? なにを聞かされてもなにを見ても、圭ちゃんを好きなことには変わりないし」
未だそっぽ向いたままの圭慈に、畳みかけるよう話す。
男だとか、女だとか、難しく考えようとするから困惑するのだ。ひとりの人間として、お互いを尊重し、こんな関係があったっていい。あの頃だって、子どものようにじゃれあっていたではないか。
「この関係っておかしいのかなぁ? あたしはすごくいい関係だと思うんだけどな。たまにドキドキさせられて、笑って怒って、本音でぶつかる。男と女だからって『好きだ』ということに恋愛感情じゃなければいけない理由はないし、無理に男女関係をこじつけなくてもいいんじゃないかな」
気づけば、ふるふると圭慈の方が震えていた。
「づ、づがざ~」
ふいに顔をあげた圭慈の顔は、濡れてないところがないくらいにぐちゃぐちゃだった。
「け、圭ちゃん…?」
思わず、肩の手を離すと、
「あ~圭ちゃん、完全にまわっちゃった…」
そう言って、カウンターの中から京谷が出てきた。
「え? 泣き上戸なの? 嘘、知らなかった」
けらけら笑い出すつかさ。
「精一杯、カッコつけてましたからね」
そう言って京谷は「あとは引き受けます」と小声で微笑み、つかさは静かにバーを後にした。

パンケーキ2

次の週の火曜日のこと・・・・つかさは吉澤産婦人科医院の診察室にいた。   
「珍しいじゃん、つかさが来るなんて…。いいよ、ここ」
先に自分のデスクの椅子に腰かけ、看護師に下がるよう指示する。
「はい…ぁ」
踵を返し奥に行きかけ、
「真実(まこと)先生。電話、どうします?」
「あぁ。いい、いい、うっちゃっといて。どうせくっだらねぇ話だから」
そんな真実の様子に看護師は、少し口角をあげて「わかりました」といって下がった。
「ったく…」
看護師が奥に入るのを確認し、つかさに荷物を脇のカゴに入れるように手を伸べた。
「いいの? 患者さんじゃ…?」
遠慮がちに答えるつかさに、
「くだらねぇ電話してくる奴なんて、ひとりしかいない」
心底イヤそうな顔でつかさを見た。
「あぁ…」
その言葉で電話の相手が「だれ」か、わかるというものだ。
(もと旦…)
なんだかんだと佑介とのやり取りは続いているのか…と、真実の夫婦関係をほほえましく思うつかさだった。
「それよりどうした? 診察、なんだよね?」
カルテに目を落とす。
「うん。だって、婦人科なんて、行ったことがないから…どうしていいかわからなくて」
確かに、妊娠の経験のないつかさにはあまり縁のないところか…と独り言のようにつぶやき納得する真実。
それに対しつかさは切羽詰まった様子でそそくさとバッグを置き、
「もう~まこちゃんが産婦人科でよかったよぉ…ぁいたっ!
椅子に腰かけた途端に飛び上がった。
「どうした!?」
画鋲でも置いてあったのか…と疑わざるを得ないつかさの行動に、真実もつられて腰を浮かせた。
「ち、違うの…」
つかさは左手を顔の前にかざしてそう言い、ゆっくりと且つ恐る恐る椅子に腰を落ち着けた。
「なんだよ、脅かすなよ」
「ふぅ~」
少々顔を紅潮させ、気を落ち着かせるように静止したあと、小声で、
「実はね。おできが…できちゃって」
と、悲痛な目で訴えた。
「おでき? どこに」
「その…」
「おしり?」
「違うの。前…」
「前。陰部ってこと?」
その言葉につかさは、恥ずかしそうに唇を噛みしめながら頷いた。
「いつから?」
こちらはすっかり医師モードの真実は、つかさの恥じらいにむしろ違和感を覚える。
「生理がはじまる前日だったから…3、4日前くらい?」
悪いことでも白状するかのような物言いだ。
週末、いい気分で圭慈と別れた後のこと、帰り道で摘ままれるような強烈な痛みに襲われたのだった。
「なんですぐこないの」
「だって、生理になっちゃったんだもん。…様子見よう、と思って」
力なく肩を落とした。
「そしたらもう、すごい腫れようで…」
「つかさって生理重いんだっけ?」
「そうでもないと思うけど、あたしは1週間びっちりあるから…」
「そうか…」
いくら友人が産婦人科医だとて、さすがに生理中のそれをさらすのは恥ずかしいか…と、友人だからこその事情を察する真実だったが、
「それでそんな?」
座ることすら難儀しているのか…と、顎で示唆する。
「もう、痛みに耐えられなくて…」
言いながら顔をゆがめる。
「仕事は?」
「立ってる分には、まだ…」
だが、つかさの様子からはそうは見えない。
「とりあえず、診てみるから。そっちの、カーテンの向こうに行って」
つかさから見て右手に控える薄いブルーのカーテンを示す。
「え~と…」
と、これまたその指示さえ初体験のつかさは、黙って促されるもののどうしたらいいのか解らない。
「ジーンズと、パンツ脱いで、籠の中に入れて。靴脱いで、椅子に座って待ってて」
通常の患者とは違う自分の友人に、遠慮なく「パンツ」というあたり、いつもの真実に安心するも、下半身をあらわになにやら見たことのない大きなピンクの座椅子におののくつかさ。
しかも目の前の座椅子は普通のそれとは違って、電気按摩器のような両足を押さえる部位までついているし、座席に至っては心もとない幅になにやら紙のようなものが敷いてある。
「この窪みに足を納めるのかな?」
「そう、そこに両足あてがう感じにしといて」
「はーい」
ジーンズとパンツ脱いで…と頭の中で繰り返し、籠の中にそれらを丁寧にたたんで収めた。靴を脱いで足元のマットの上に足を乗せ、ゆっくりと座椅子に座った。そして両足を少し広げて足を納める。思った以上にドキドキしているのは、背中の部分にあたる背もたれが少しひんやりするからだけではないことは自覚していた。
(だれも入ってこないよね…?)
「最近、生理のたびにあちこちに固いものができるの。お尻だったり、内腿だったり、生理が終わると自然に治るから気にしてなかったんだけど、さすがにこれは…」
痛い…と顔をしかめ、無防備な下半身に恥ずかしさを隠せず、誤魔化すように口が滑らかになる自分を滑稽だと思うつかさ。
(妊婦はみんなこんな思いをしてるのか…)
冷静に考えても周りはトイレよりも広い空間で、自分を隠しているのは薄いカーテン1枚とあっては、心細さも倍増だ。
「準備できた?」
と、今度は自分の背後から真実の声がする。座椅子の背後にはこれまた入り口と同じブルーのカーテンがひいてあり、そちら側で真実が待機していることが解る。
「ぅ、うん。座ったよ」
いよいよ、真実がこちら側に入ってくるのだろうか…と待ち構えていると、
「椅子動くよ、体楽にして」
という言葉と同時に、静かに機械音が鳴った。
「わ…動くの、コレ?」
などと悠長な言葉を考えている間もなく、ひじ掛けを掴み、椅子が後方に回転すると同時に自分の身体が斜め後ろに倒されていく。
「わ、わ、なにこれ、こんな…?」
驚きもままならないまま今度は両足が持ち上がっていくのだ。
(うそ~)
あれよという間にカエルの解剖のような自分の下半身は、カーテンの向こう側で真実にむかって「こんにちは」である。
(は、恥ずかしい…)
「ま、まこちゃん、これ…この」
(椅子!)
現代医学を恨みたくなるような所業に、カーテンのこちら側で顔を押さえようとも、カーテンの向こう側は「こんにちは」であるからして、なんとも複雑な心境だ。
「ちょっと脚広げられる?」
「う、うん…」
言いながらつかさは言われるがまま、だが些少に太ももを動かす。
「あ~これは痛いね」
そう言いながら、つかさの外陰部を辱めている原因を触診する真実。
「ひ…っ」
「あ~ごめん、痛いよなぁ…だいぶ固くなってるし」
「いたい…です」
「毛嚢炎かな…」
「のうもう…?」
「もうのう。毛嚢炎ね。簡単に言うと、毛穴のつまりでニキビみたいのができてる感じ? ほら脇の下とか、かみそり使ったあとにできる固いやつあるだろ?」
「あ、うん…」
「あれと似たようなヤツ…膿もたまってるんだろうけど…切るか」
「え~!? き、切るの?」
(それはちょっと、想定外…)
見えないカーテンの向こうが怖い。
「あっはっは…うそ嘘。だいぶ固まってるし、これは今切ったら大した膿も出ないし、切った方が痛い。場所的に治りも遅い」
「ちょっと、まこちゃん、この状態での冗談は…」
「ごめんごめん。できてすぐなら切った方がよかっただろうけど…これは、切らない方がいいだろうなぁ。ちょっと痛み続くだろうけど、薬で様子見よう」
「そうして~!」
いつの間にか顔を覆っていた両手は祈るように胸の前で力強く握られていた。
「ついでに中も診とく? 内膜症とか、筋腫とか」
「そ、そんなこともできるの?」
相手が女医だということをすっかり忘れている言動に、
「見くびるな。あたしはこれでも医者だよ」
と、当然の答えが返ってくる。
「そ、そうか。じゃじゃぁ、お願い。よくわかんないけど」
それが今一番の答えだ。余計な心配が頭をよぎる。
「ちょっと器具入れるよ~」
「は、はい」
「そう固くなるなよ。ん~さすがに子宮はきれいだね。内膜症もないし…筋腫もない」
そう言い終えるか終わらないかの間に再び機械音が鳴り、椅子が回転しだした。
「お、おわり?」
「そ、おわり。着替えてこっち出てきて」
「はぁ~」
自然と大きなため息が出てしまう。
「ちゃんと止まり切るまで降りるなよ」
「ぅ、うん」
危うく飛び降りそうになる自分の衝動を押さえるつかさ。
(なんで解ったんだろ…見えてんのかな? カーテン、透けてる?)
静かにマットに降り立ち、そそくさと着替える。
(ひゃ~。恥ずかし…っ。これじゃおりちゃんも躊躇するのわかるわぁ)
「すごいね、電動なんだね」
カーテンを閉め、恥ずかしさを隠すためか、なにか話さずにはいられないつかさ。
「そりゃ、今時『パンツ脱いでベッドに』ってところはないよ…って、そうか、つかさは初めてなのか」
「うん、初めて。みんなこうやって診察してるのね。ちょっとドキドキしちゃったよ」
「そりゃそうだな」
(まこちゃん、ホントに医者なんだなぁ…)
改めてデスクに戻る白衣姿の真実を目の前にして尊敬の念が止まない。
「アトピーとかあったっけ?」
「ないと思うけど、最近はほら、ストレスとかで蕁麻疹が…」
ここ数年の吾郎との攻防で時折体調を崩していたことを告げる。
「あぁ、そうか。体調いかんでは体質も変わるからな。だいぶ皮膚もデリケートになってるんだろうな。ナプキンが合わないってこともある。かぶれとかは?」
「かぶれではないけど、ここ最近はこのできものが悩みの種、かなぁ」
言いながら、そろりそろりと椅子に腰かける。
「ふ~ん。結構できるの?」
「ん~おしりとかは、核的なものが残ってたりするかも…小さいけど」
「なるほどね。抗生剤と、あ、飲むやつね。あと軟膏出しておくから。出来た時は患部に塗って、薬は飲み切って、痛み止めも出しておくか…どっちも4日分ね。それでしばらく様子見て」
言いながらパソコンに打ち込んでいく真実の姿に、
「今は、診察もパソコンなんだね」
と、感心しきりのつかさ。
「病院いったことないの?」
「そんなことないけど」
「その様子だと、健康診断も受けてないな…」
疑いの眼差しを向ける。
「ぅ…。そう、だね」
「たまに行っといたほうがいいよ。子宮筋腫やら、乳がんやら、油断ならない歳だからね」
「そう、だよね…」
(そういう年齢、なんだよね…)
当然のことながら織瀬のことが頭に浮かぶ。
「あれからおりちゃんに会った?」
「ン。あぁ、ちょっと前にな。なんかあった?」
「ん。やっぱりちょっと心配」
「まぁ、なるようにしかならないだろうけどな」
「そうだね」
「今はイライラしたり、落ち込んだり、やっぱり普通ではいられないだろ」
「そう、なんだよね…」
子どもを切望していた織瀬が、子宮を切除しなければならない現実に、ただ「できない」という過程ではなく「作れない」という結果を突きつけられては、他人が思う以上にその心情は複雑だろう。
「大丈夫かな」
「大丈夫にしていくしかねぇだろ」
「うん…」
「真実先生」
診察室の奥から真実を呼ぶ声。つかさを気遣い、真実が下がらせた看護師だろう。
「はい」
「先ほど分娩室入られた安達さん、そろそろです」
「はいよ~」
奥に向かって返事を返す真実に、
「え? これからお産?」
まだ、待合室に患者さんいるのに…と余計な心配をするつかさ。
「まぁそんなこともある」
「それから…予定日が過ぎてた三上さんですが、破水したそうでこれから来院です」
そんな会話もよそに、さらに奥から声がする。
「あ~きちゃったか…了解」
そう言って真実はようやく立ち上がった。
「え? ふたりも?」
「みたいだな。悪い、つかさ、あとは受付で対応するから」
「うん。解った。がんばってね」
自分のバッグを取り上げ、真実を労う。
(頑張って…って変だな)
「ありがと」
「ぅぅん…」
(大変だなぁ…)
診察室を出ると、受付の方から別の看護師が、
「これから先生はお産に入りますので、診察時間ずれ込みます。外出の方はこちらへ…」
カルテを片手に手際よく動く姿が目に留まった。
その様子を見ながら、さらにつかさは真実の日々の働きに感心するのだった。
(なんだか、貴重なものを見た気がする…)


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まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します