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『ヤクザ短歌』肥沼和之著

ライターの肥沼和之さんから、 ふらりと 同人誌が届いたのだった。

表紙には、

「 この店は 俺が ケツ持ち してんだと 行きつけ なんだと 言うように言う」

という 短歌の横に、 表題 が、

「 ヤクザ短歌」 と記されていた。

気になりつつも、積読を ゆっくりゆっくりゆっくり ちょっとずつ 片付けながら、 やっぱり 非常に気になって、 一気に読んだのだった。

この同人誌は、 2010年~ 2012年 にかけて、 当時 30歳だった肥沼さんが、 28歳のヤクザの青年に 密着取材をした、 その日々の記録であった。

28歳の ヤクザの青年「ヨシザワ」 との出会いから始まり、 この同人誌は、 短歌と エッセイを交えながら、「 続編に続く」 で終わっている。

「 レバーがさ、 食えないんだよ、 君 食える? 勝った気になる 僕はうなづく」

こんな、 若々しい 出会い。
こんなにも、 瑞々しい 出会い。

こんなにも、 自然な罪のない会話。

それは、肥沼さんが 30歳で、ヤクザの「ヨシザワ」が 28歳であったこと、 その一言に尽きると思う。

青年の会話である。

「 僕たちは長い時間、 語り 明かしました。 酒を 飲み交わしながら、 ドライブをしながら、ときに 彼の家に泊まりながら」

前書きの一文 である。

ページを繰って 本文に入る前に、 一行。

「 人間になりたいなあというヤクザ 妖怪人間ベムの 真似して」

何とも、 内容の多くを 語りたくない 一冊であった。
ただ 私の胸の中だけで、 この 一冊限りで、 時が止まったまま、 この文章だけが、この時期の 2人の 記録 だけが、 残ってさえ いてくれればいい。

時が進み、肥沼さんと「ヨシザワ」の 年齢が、 この青年の時期を 過ぎ去って行くのが怖かった。

知りたくない。
私は結末を知りたくない。

ジャーナリストとして生きていく肥沼さん。
ヤクザ として 生きていく「ヨシザワ」。

いや、 すでにジャーナリストとして 生きていた肥沼さんが、 こんなにも 心砕けた 間柄になれたのは、 ヤクザとして生きている「 ヨシザワ」 が青年の面影を見せていられたのは、 ほんのこのひと時の、 時代と 年齢と 若さ によるところは とても大きい。

私は、 この2人の 青年の、 辛さや 嘆きや、 毒や、 そして別れを見たくなかった。

だから、肥沼さんに、 続編は 送ってもらうことはしない。
書いた記事も、 読ませてくれとは 言わない。

この 一冊だけで十分なのだ。
私の 心は、 この一冊の、 前にあったことも、 後々 起きることも、 知らなくていい。

なぜなら、 もう十分に、 この 二人の出会いは、 ほんの一瞬の きらめきで、 その分だけ 十分に、 私の涙腺は堪えられなかったからである。

「結婚?できるわけねえいつ死ぬかわからないからできるわけない」

先も後も知らなくていい。
私にとってこの 同人誌は、 この全く 世界の違う二人の、 ひとつの青春、 その男同士の ファンタジーでいいのだ。

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卯月妙子
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