『鎮魂景』にのみやさをり・写真集~肉体と欠落と死と生と~
にのみやさをりさんの 写真集『 鎮魂景』。
長らく 見る勇気がなくて しまっておいたのだった。
昨日、 橋場あや 先生の『 地上5センチ の歩行』 の中の作品たちから 、声を、 さえずりを、 嘶きを、 絶叫を、 シンフォニーを、 ノイズを、 全身で 受けた この体の切れ目から、 ようやく細い手が伸びた。
そこには非常に、 懐かしい痛みばかりが 広がっていた。
私は椅子の前で動けなくなった。
それは 刑罰を受ける 十字架のようでもあり、 その前のページで 佇んでいた 彼女の挑戦でもあった。
じっくりと ページを繰りながら、 私は十分に、 そして存分に 傷ついた。
今欲しかったのは、 この痛みである。
私が首を絞められ、 肩を外され、 男根を挿入された、 あの痛みだ。
表紙 は 彼女の肉で埋め尽くされている。
刃物で ざっくりざっくりと、 隙間なく深く切られた 彼女の肉体である。
装丁は真っ赤。
過去ではない、 まさに現在の 血の色だ。
私はページを繰る。
じっくりとゆっくりと、 時には、 逆巻く 雲に 傷つけられ、 受け入れ、 懐かしい恐怖を、 ゆっくりと飲み込み。
時には、 荒々しい波、 その中へ、 自身を突っ込み。
折々に、 挿入された言葉たちを、 私自身への、 葬列の 風景のように。
私は、 非常に懐かしい、 かつて友だった 恐怖と呼ばれる 言葉の亡骸、 納骨堂に 積み上がった 愛しい水子たち、 彼ら彼女らと共に、 この風景の前に立った。
充足。
痛みという充足。
私が自分の 体を傷つけなくなって、 16年経つ。
ああ、 一度だけ、 自分の 頬を カッターナイフで切ったことがあった。
頑丈な私の皮膚は、 そんな傷もろともせず、 たわしでゴシゴシと 流水で洗っただけで、 なんともまあ、 痕跡も残らず 復元したけれど。
背中一面の刺青。
股座の刺青。
MRI で 画像を撮る たびに、 本当は私は、 その都度 焼かれたかったのだ。
低温火傷の痛みと、 火ぶくれした刺青と、 リンパ液の中で、 痛みに悶えて眠りたかった。
MRI に対応する 刺青用の墨は、 私たちの時代から、 アメリカから 輸入され始めたんだっけ。
私の中の、 荒ぶるもの。
この 椅子を木っ端微塵に、 ただの木切れに 破壊する力。
私は、 私がこの手で、 椅子を ハチャメチャに 壊してしまいたかったのだ。
残るは、 地平線、 そして残骸。
空と荒れた砂地。
私は裸足だ。
犯すなら 犯してみよ。
この肉体は、 棘だらけだ。
ささくれだった皮膚が、 薔薇の 茎のように、 みんな、 棘になっている。
私は、 ゆっくりと、 佇みながら、 ページを繰る。
どんな戦きも、 恐怖も、 痛みも、 血液も、 我が身のように。
一番最後のページで、 そこに何が写っていたのか。
瞬時に記憶が途切れ、 私の頭に残っているのは、 ただ、 天と地である。
※この言葉をにのみやさをりさんへ届けたあとの、安堵のあとの私の絶叫を添えて。
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