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『透明なゆりかご』沖田×華さん著
「透明なゆりかご」を貸していた、同い年の友人と語り合った。
彼女の娘さんは、重度の発達障害である。
今現在、娘さんは結婚してお子さんを産み、内地で幸せに暮らしている。
彼女は、「透明なゆりかご」をぼろぼろ泣きながら読み終え、娘さんに電話して、「この本読んで!絶対読んで!」と勧めたと言う。
娘さんから、「お母さんそれドラマになったやつだよ!私ドラマ見たよ!漫画も読んでみるね!」と聞かされたそうであった。
私も彼女も、子供はとっくに社会に出て結婚し、内地で自分の道を歩んでいる。
私は息子を育てるとき、自分の統合失調症のため挫折し、両親に預けてしまったという経緯がある。
彼女は重度の発達障害を持つ娘さんを育てるとき、精神科へ通わせながら、散々苦労して育てた経緯がある。
今、お互いに、自分の子供はもう大丈夫なんだ、立派にやれているんだ、何の心配もないんだ、そういった安心と安堵とがある。
彼女が話した、初めの言葉が、
「私たちの人生なんて、悩みのうちに入んないよね…。『透明なゆりかご』、あれを読んだら、今後何があっても悩みでもなんでもないよね…。私たちの悩みなんて、本当にちっぽけだよね…。」
というものであった。
もちろん彼女は、私の統合失調症の状態や、どれだけ重度であるかは分かっている。
彼女は家庭の事情で高校に行けなかった。
中卒ですぐ働いた。
彼女はそういったことも、「こんなの悩みのうちに入んない。あの漫画を読んだら、親には感謝しかないし、これから先も何があっても悩みにならない。私が悩むだなんて、もっと悩みがある人に対して、失礼な話だ」と言った。
彼女の言葉には、ハッとさせられるものがあった。
「命」、それをめぐる、様々な懊悩。
「子供を産む」という選択をして「無事に授かり」、色々あったかもしれないけれど「今現在、子供は独立して幸せにやっている」と言う非常に恵まれた「命の結果」を持てた、これ以上の一体何を望むか、こんな恵まれたことはないんじゃないか、日々降りかかってくる諸々の事情など、全く悩みのうちには入らないじゃないか。
「透明なゆりかご」の中には、もっともっとそれ以前に、「命」というそのものに対し、激しく人生を揺り動かされる様々なエピソードが、ぎゅうぎゅうに詰まっている。
私に対し、「透明なゆりかご」の話をしながら、彼女は思わず泣いてしまっていた。
彼女は、重度の発達障害を持つ娘さんを育てるとき、本当にどう対処したらいいかわからず、「今から考えると、これが障害なんだから、怒ったり叩いたりしたら、可哀想だし、理解が足りなかったなぁ」と、以前私に話していた。
そのことは彼女の重しになっていた。
もっと上手く、優しく理解してあげられなかったか。
だけれども、彼女は、「透明なゆりかご」を読んだとき、自分が右往左往して育てたことも、自分だけの悩みだったと思っていた当時のことも、「実は自分は恵まれていたのだ。生まれて育ってくれたこと、それだけでも十分に自分は恵まれていたのだ。あれを悩みだと思っていたなんて、何てちっぽけだったんだろう」と、抱えてきた思いが氷解したと言っていた。
そして改めて、「命」というものへの、その尊さに、それを巡る様々なエピソードの一編一編に、嗚咽が止まらなかった、そう言った。
私は「透明なゆりかご」の、未読であった7巻から、Twitter で我が身を振り返ってツイートして来た。
改めて、事情は違えど、「我が子」というものに対し、自分の不出来を責め続けてきた彼女と話し、感想を言い合い、私も気づかされた。
自分がいかに恵まれていたか。
統合失調症で子育てに挫折したが、しかし私には両親がいた。
両親が立派に育ててくれた。
私はすっかり童心に帰って、特撮から仮面ライダーからガンダムから、息子とわいわい言いながら、一緒に遊んでいただけである。
まったく呆れた母親である。
自分の生育歴についても触れたが、改めて、彼女と「透明なゆりかご」について語り合っているうちに、目から鱗が落ちる思いがした。
両親が私を産んでくれたこと。
そのおかげで得た喜びは、私はもうすでに充分すぎるくらい享受している。
両親の人生に於ける苦労に比べたら、統合失調症がいかほどのものか。
やりたいことはやり尽くしてきた。
そしてお父さん(ボビー)とめぐり逢い、これ以上のラッキーとハッピーはないのではないか??
生まれてきたことへの感謝。
育てて貰ってきたことへの感謝。
命を授かったことへの感謝。
その命が今独り立ちしていることへの感謝。
「透明なゆりかご」に描かれていた様々なエピソードと共に、改めてそういったものが、胸に押し寄せてきた。
彼女にこの漫画を貸したことで、私は気付かされることが多かった。
彼女の純粋な心からの感想に、「透明なゆりかご」という漫画の本当の意義を見た思いがした。
私が狭窄的になって見えなかった部分が、読み取れなかった部分が、彼女の言葉によって迫ってきて、二人で感想を言い合いながら、最後は思わず泣いてしまったのであった。
それにより私は、一切の、自分が抱えてきた「逃れ切れなかった煩悶」から、きれいさっぱりと、解放されたのであった。
彼女が触れてくれた「透明なゆりかご」、この巡り合わせに、彼女の心と言葉に、心からの感謝である。
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