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『冥王星・獅子座』

私のホロスコープの配置では、相手のホロスコープの「冥王星」が「獅子座」という配置に星を持つ人とは、関係性が深くなる。

私の8ハウスが獅子座という配置であり、そこに「冥王星・獅子座」がコミットすると、限りなく受容し溶け合ってしまうのだ。

「8ハウス」は、継承、相続、人との深い関わりを意味する場所である。

私の数少ない恋愛遍歴から、「冥王星・獅子座」と自分の恋愛について、考察してみようと思う。

高校1年生の時、初めて彼氏というものができた。
しかし私は、どうにも恋愛というものの勝手がわからず、付き合って3ヶ月目で別れを切り出してしまったのだった。
非常に愛情深くて、私のために新しい車を買うために、仕事を増やしてくれていたというのに(デコトラの運ちゃんだった)、その新しい車に乗ったその日、もうどうしたらいいかわからなくなっていた私は「別れよう」と、今から思うと非常に失礼なことをしてしまったのだった。

そしてその次。
彼氏ではなくセフレというものができた。
私が16歳でその人は36歳だった。
世代的に「冥王星・獅子座」である。
その人はバイセクシャルで、レズビアンの友達も多く、生涯を誓い合った40歳の男性がいて、だけれども遊び人であった。
ハッテン場巡りが趣味であった。
その人とはSMやらスワッピングやら色んな遊びをした。
とにかくその人は、多彩な性癖の変わった友達が多く、地元のゲイネットワークを紹介してくれたり、性転換した友達がいたり、変わった交友関係が幅広かった。
 
ご両親が、しきりに縁談を持ってくるのだが、一貫して突っぱねていて、遊び人の割には、その生涯を誓い合っている40歳の男性との人生を、殊の外守り抜いていた。

もちろん私が、他の男性とやんちゃな遊びをしても、それを面白がっていて、だけれども私に「危ない目にあったら、ここに電話しろ!俺のゲイ仲間の中で一番喧嘩の強い特攻隊長だ。仲間もすぐ呼べる」と、私は地元のゲイネットワークの中で、女だけれども守ってもらっていた。

この人とは高校卒業まで関係が続き、卒業した時「おっちゃんからも卒業するよ!」「またいつかあったらセックスしような!」とそう言って、この3年間の関係は終わったのだった。
とにかく破天荒で行動力があって、地元のレズビアンの相談役でもあり、顔の広い人だった。
しかしこれは恋愛ではなくあくまでもセフレであって、遊び友達であったのだった。

そして上京し、亡くなった夫と電撃的に恋愛をした。
高校時代に彼氏がいたとは言え、未熟で恋愛の何たるかも知らなかった私が、初めて恋愛というものをした。
おそらく初恋であった。

上京した二日目から同棲を始めた。
とりわけ弁舌に長けており、議論をして人に負けるということがない人であった。
IQ は148。とにかく頭の回転が早かった。
「冥王星・獅子座」の配置を持っていた。

最初から自殺をすることを前提に子供を作り結婚した。
私はこの人の遺伝子を残すために子供を作ったのだった。
子供を作るのは早かった。
早い段階で妊娠し、とにかく丈夫な子供を産むために、添加物などを取らず、食品の栄養素の分厚い本を買ってきて、食事にはとにかく気を付けた。
頑丈な子供が生まれた。
この結婚生活は風変わりなものだった。
私たちは「この新しい戸籍は、ひとつの家族でありながら、それぞれを一個人として尊重するネットワーク団体、その最小単位と考えよう」と話し合い、息子のことも最初から大人扱いしていた。
赤ちゃんであっても子供であっても、対等に接した。
それを徹底した家族だった。
おかげで息子は自我の芽生えが早く、自意識の持ち方も早く、口が達者で精神的に自立するのが早かった。
この亡くなった夫は、プロポーズの時に言った通り、早々と自殺した。(植物人間で一年半寝たきりにはなったが)
すでに14歳の時にいずれ自殺することを決めていたという亡夫は、生き急ぐような非常にスピードの速い濃縮された人生を送って来た。
「実録企画モノ」にも描いた通り、自殺のロケハンまでする人であった。
「自殺」というものすら自分の中の美学として作品として終わりたい、と、遺書は何度も推敲され、最終稿は言葉の楽譜のようであった。

次のパートナーであった人は、私とのホロスコープが重なり合い、「グランドセクスタイル」を形成していた。
「グランドセクスタイル」とは、自己の意識を越えた強烈な配置である。
この配置を形成する関係性は、良くも悪くも長く切れない。
そして周囲にまで、自己を越えた影響を与える。
この人も天体の一角に「冥王星・獅子座」を持っていた。
この人のホロスコープは、「女性を抑圧する」といった配置にあり、彼の職業はまさにその意味で天職であった。
だがしかしここで一つ問題が起こった。
私の星が男性性を示す星ばかりで構成されるホロスコープであることである。
「抑圧されること」それに対する私の持つ天体の反骨は、私のホロスコープ上「パートナーに対する闘争」を意味していた。
なのでどうしても、普通のカップルにはなり得なかったのであった。
勿論、お互いに恋愛感情はある。
しかしお互いに、他に恋愛の対象を求め、「恋愛は他でして埋め合わせ、だけどもおしゃべりは尽きない」と言った妙な関係性であった。
「どういう訳だか一緒にいる」のである。
パートナーも私も、激しい恋愛というものは、お互いの間ではなく、他の人としてしまうのだ。
パートナーの持つ「女性を抑圧してしまう配置」と、私の持つ「広く発信し表へ出て自己を主張したい」という星の配置はどうしてもぶつかってしまう。
私は太陽が1ハウスにあり、「自分そのもの」が非常に強い配置である。
「自分をコントロールするものは自分であり、常に自分が勝負していく」ということを意味する。
二律背反するホロスコープの重なりは、もちろん良い作用もあったが、同時にお互いに悪影響をも及ぼしていた。
「正直言って別れたい」というぐらいお互いに泥沼になっても、グランドセクスタイルの影響か限界が来るまで、離別することができなかった。
離別してやっと、パートナーは自由を得、そして私も自由を得た。
「グランドセクスタイル」この強烈な形成の及ぼす影響は、なかなかに自己の意識の範疇を超える。 

そしてお父さんと私とは、「火と風のグランドセクスタイル」を形成している。
お父さんも「冥王星・獅子座」である。
お父さんとの出会いは、私の人生そのものの転機となったのだったが、これはお父さんの持つホロスコープの、不思議なまでの調和のおかげであった。
お父さんは「1ハウス」に冥王星を持っている。
「自我・自己」のハウスにである。
1ハウスの冥王星はパンチが効いており、お父さんの持つカリスマ性を際立たせている。
冥王星は天体の最終兵器のような星である。
破壊と再生、0か100か、そして人の運命をも変えてしまうような、他のどの天体よりも桁違いに破壊力の強い星である。
そして再生させる力も強い。
とにかくその意味合いは、破壊と再生である。
その「冥王星・獅子座」が1ハウスにある。
冥王星そのものが、燦然と輝く王者の星であり、それが「自我、自己」のハウスに存在しているということ、お父さんという人の強烈な個性とアクの強い無尽蔵のパワー、尽きない生命力、まるでそれをそのまま示しているかのようだ。
私はホロスコープを見て思わず納得してしまった。
そして他の天体の配置が安定をしており、絶妙なバランスをとっている。
お父さんの中には、「人を癒し、守り、再生させる」と言った天体の配置がある。
お父さんのこの配置は、1ハウスの冥王星に劣らず、自己を顧みない強烈なものである。 

例えをあげるならこうだ。
お父さんが会社に辞表を出してから、また私と再会するために北海道に来るまでの間。
私にだけは貧しい思いをさせたくない、その一心だけで、毎月毎月、持っているお金のほとんどを私に送り、自分はドラッグストアで特売のチャルメラを一箱買って、1日一食、それだけを食べ続けたことがあるほどである。
お父さんのこの、自分を全く顧みない深い愛情、無私の愛、それを極限まで行ってしまうこと、こういった事は度々あるが、お父さんの太陽である蟹座と他の天体との絡みから、普通では考えられないほどの「庇護する力、愛そのものの爆発的な行為」というものを極限までを、お父さんは平気でやってのける。

私が歩道橋から飛び降りた後、あのぶっ壊れた顔で、その日からずっと変わらず毎晩セックスしてくれたこと、普通なら到底できないことであるが、お父さんはこういう「膨大な愛で人を再生させること」、それをやってのけてしまうのだ。

私はお父さんと出会い、人生そのものがお父さんにリセットされ、新たなの第二の人生を歩むに至っている。

お父さんの持つ、劇的な破壊と再生の星の配置と、お父さんと私の調和のとれたグランドセクスタイル、そしてお父さんのダムが決壊したような濁流のような愛情、それが延々と持続するという配置、そういったものの中に私のホロスコープはすっぽりと抱かれるようにして、私もまたお父さんへの愛情というものが、尽きることなく持続している。

私とお父さんが形成しているものは、「火と風のグランドセクスタイル」というものである。

私は風と火の星で構成されている人間である。
私はオーブが広いが、火と風のグランドセクスタイルの一辺欠けを持っている。
とりわけ私の風の星は強く、風のグランドトラインを持っている。
お父さんも風の星が強く、風のグランドトラインを持っている。
私たちは似た者同士なのだ。
私たちの風は、一緒にいてお互いに心地がよく作用する。 
「人間仮免中」という漫画は私とお父さんと言う組み合わせのもつ、「グランドセクスタイル」の象徴とでも言うべきこと、互いの風のグランドトラインが、完全なグランドセクスタイルを表現したような出来事だったのである。

風は発信する。
風のグランドトラインは、とにかく発信し続ける。
同じ発信でも、グランドトラインが重なり合って出来る「グランドセクスタイル」の持つ発信の威力は相当なものである。
「人間仮免中」は、お互いのことをあり体に描いた漫画であったが、まず売れないだろうと思っていたのに、私の漫画で一番売れた。
お父さんと私のホロスコープが形成する「火と風のグランドセクスタイル」の持つ、発信力の自由度の高さがあった。

私のホロスコープは、かなりな奇形である。
私は恐ろしくホロスコープに偏りがあり、自己の在り方が個性的というより奇妙である。
それによって私は、かなり特殊な人生を歩んできた。
だけれどもお父さんのホロスコープによって、私の偏りは補われ、私はお父さんといることによって、おそらく生まれて初めて「安寧」というものを得ている。

お父さんが人生最後の男、とまで、私がお父さんに没入しまくっているのは、お父さんという人の個性が私にとってかけがえのない愛情の対象であることでもある。

占星術的に見ても、この実に爽快な、「火と風のグランドセクスタイル」と言う、二人で生きてきた突破力の強い嵐のような痛快さと、そしてお互いの星のミッドポイントである「蠍座」の配置が、お互いを飲み込み同化するような配置にあること。
「蠍座」の意味するものは、生と死、性と情念、究極の愛、そして蠍座を司る星は「冥王星」である。
一歩間違えば刃傷沙汰にもなりかねない、熱狂的な愛を現す。
その歴史と持続が尽きることがないという現象が、星の関係性にもはっきりと見えている。

お父さんと連れ添って、早14年。
それでも私たちの間には倦怠というものはなく、むしろ、年を重ねるごとに、私たちの関係性は熱烈で奥深いものになって行っている。

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