『二十代の群像・Sの肖像』/にのみやさをり
にのみやさをりさんの写真集、「二十代の群像・S の肖像」を見た。
むせ返るくらい生々しい、20代と言う「生き物」がそこにいた。
その表情も仕草も生活も、実に暑苦しいくらい躍動している。
「生」の はち切れんばかりの、瞬間。
この写真を撮ったとき、にのみやさをりさんは40代であった。
20代の頃、レイプ被害によって精神が瓦解してしまい、彼女は、20代30代の記憶がない。
そんな彼女の撮った、「泥んこだらけの20代という 息吹」。
土埃にまみれて、汗にまみれて、持て余した 肉体をこれでもかと傍若無人に天真爛漫に、まだ見ぬ未来へ「夢」だけを携えて、ポートレートの中の彼は「生きて」いた。
20代というものが、こんなにも 荒っぽく荒削りで、ただその生命力の赴くままに、「生きている瞬間」。
にのみやさをりさんは、そのもっとも「生臭い若さ」というものを、静止画ではなくまるで動画のように切り取る。
ポートレートの中の彼は、「生の連続」の中を怖いもの知らずに闊歩していた。
私が20代の頃はどうだったろう。
やはり私もそうだった。
怖いもの知らずで闇雲に、その瞬発力と有り余っている生命力でもって、どんな所にも飛び込んできた。
ポートレートの中の彼は、全く 怖いものなどなく闇雲で、弾けんばかりに「存在する」。
汗と精液の匂い、土埃にまみれた路上の上で足を投げ出し、「夢」ただそれのみに浮かれて芝居の台本を読む。
彼は走るように佇み、それはほんの一瞬である。
次の瞬間には海にいて、波の中で女とタバコを吸い合う。
海辺で砂にまみれて。
樹木の前に立つ彼は、眩しいぐらいの眼差しで空を見る。
まるでその果てに、彼の太く強い人生への確信があるかのように。
恐れを知らぬ、年頃。
そんな彼を、40代のにのみやさをりさんは、彼の体臭が匂い立つほどの近さと遠さで、とらえていく。
私はこの写真集を見て、自分がいかに老たかを思い知らされた。
私は何て 行儀がいいんだろう。
私は何という 型にはまってしまったんだろう。
自由になったつもりが、私は飛ぶ羽をすでに忘れていた。
むせ返る 汗の匂い。
「生」と「性」の真っ只中。
疲れ知らずの肉体。
憧れと夢と、瞬間瞬間の楽しさにほころぶ「豪胆な瞳」。
磊落なその肉体を疾走は、今の私からは既に遠い。
私はもう一度、「夢」というものに憧れよう。
あの時のように、暴虐無人なまでの遊びを取り戻したい。
年老いていく齢の中で、それでもなおかつ、弾けていたい。
老成などしたくない。
まだ私は飛ぶ羽を持ちたい。
そんな思いに駆り立てられた、写真集であった。