『SAWORI』
にのみやさをりさんの写真集「SAWORI」を見た。
厳然と、そこにあるものなのに、それはほんの瞬間で、霧雨でも降ってしまえば溶けて流れ落ちるような、「その時」あるいは「今」、ばかりが、震える手で抱かれるように写っていた。
「日常」はこんなにも脆く、瞬間瞬間は、指の間をすり抜ける砂のように、次々と、「戻ってこないもの」になってしまう。
傷だらけの今も、愛し合っている今も、泣き濡れている今も、向き合おうとする今も、それはすべて、「たった今」その瞬間だけであるのだ。
その、考えてしまうと虚しくなるような、考えさえしなければ通り抜けられそうな、「自分」のその「日常」が、切りつけた身体から滴る体液のように、「たった今」を残していた。
彼女は時に、自分を葬り去るように、そして時に、生きようと足掻くように、そして時に、愛する者を守るように、写真を撮る。
だけれども、「写真を撮る」というその行為の虚しさを知っているのだろう、「残す」という仕事をしていながらも、その傍らにはいつだって「死」が控えているということを熟知しているのだろう、そんなような「生」ばかりが、刻印のように残されている。
彼女の写真から、「壊れまいとする瞬間」を手のひらで掬うような、彼女の中の「壊れた何か」が刺さってくる。
一度死んで全て無に帰した魂が、ほんの一欠片、この世の淵に手を伸ばして、残した魂を、まだ肉体の中に宿そうとするような、そんなセルフポートレートであると感じた。
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