
だいちゃんのこと。
写真の犬の名前は、「だいちゃん」である。
お父さんと私の、最初で最後の、大切な犬である。
「人間仮免中 つづき」のペンに入る前、私は大きく状態を崩し、救急車のサイレンが、四六時中頭の中に響き渡り、それはまるで鈴鹿サーキットのど真ん中に自分がいるようなくらい大音量で、すっかりおかしくなっていた。
私がいつも、症状が出た時に、苦痛や悲鳴を吐き出させてもらっている、グループ LINE がある。
「candies」という公演をやった時の仲間たちとのグループ LINE で、グループ LINE の名前は「candies」である。
私はいつものように、「candies」の仲間たちに、SOSを発信していた。
しかしこの時ばかりは、何がどう 困っていてどうおかしいのか、全く 明確に伝えることができず、どんな症状が出ているかすらさえ、言語化できなかったのである。
そのぐらい 私は、すっかりおかしくなっていた。
「candies」のみんなが、「いつもと違うぐらいおかしい」「これは多分 ただごとではない」そう気づいてくれた。
そして、「candies」の仲間のうちの一人であり、盟友でもある、パントマイミストのバーバラ村田さん(以下、ともみちゃん)が、北海道まですっ飛んで来てくれたのだった。
そして私の状態を見て、「この町には置いておけない!この環境から脱しなければ、たえちゃんは壊れてしまう!」と即座に判断し、「candies」のみんなに伝えてくれた。
「たえちゃん、ボビーさん!とにかく この町から出なきゃいけない!一旦、わたしの家に来て!状態が良くなるまで、一緒に暮らそう!」
ともみちゃんとその旦那さんは、一週間で、私とお父さんが暮らせるよう、一部屋 空けて電気カーペットを敷いたり机を作ってくれたりして、すぐに私たちを呼んでくれた。
今でも思い出す。
羽田空港からのリムジンバスが、新宿へ到着し、ヨドバシカメラの看板が見えてきたとき、「私は助かったんだ…」そう、絶大な安堵を覚え、その瞬間 ピタリと、幻聴が止んだのだった。
ともみちゃん宅に着いて、「candies」の仲間であるれんちゃんがシチューを作って持ってきてくれ、居間に皆でそろったとき。
ともみちゃんが抱いていたのが、「だいちゃん」であった。
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