70歳になる頃には、父や母、叔父や叔母、わたしを取り巻く人たちのようになりたい。
今年で53歳になる私が、父や母の懐の大きさにたどり着けるのは、一体いくつになってからだろう。
今日は、母に、自分の情けなさをぶちまけ、大泣きに泣かせてもらった。
私は子供の頃から本当に手がかかる子だったけど、親戚中のおじちゃん、おばちゃん、みんなから、おそらく1番可愛がられて育ったのだ。
ちょっとした言葉の行き違いや、私が病気の症状で攻撃性が出たとき、散々に迷惑をかけたと言うのに、親戚のおじちゃんおばちゃん、誰も私を責めることなく、声を聞くだけで、お前が今幸せだと言うことがわかるよ、本当に嬉しいよと言う。
50歳を過ぎ、自分の小ささやふがいなさがよくわかるようになり、歳を重ねるごとに、父や母、親戚のおじちゃん、おばちゃんの、苦労も少しはわかるようになり、しかし、未だに私は子供の頃の手のかかる未熟な子供のままである。
今の年齢の父、母、親戚のおじちゃん、おばちゃんの抱えるものを重さもわからず、ただみんなから、お前が幸せだと言うことが嬉しいよ、どんなに幸せだか声でわかるよと言われ、ありがたくてありがたくて、反面、力及ばずの自分が情けなく。
何の恩返しもできない事がどうしようもなく、不がいなくて、せめて私のかけた迷惑を謝りたい、おじちゃんおばちゃんたちに謝って回りたい。だけど、それも迷惑だろうと、どうにも身の置き所がない位、今の私に愛情をかけてくれるそのことへの何とも言えない愛と言うものに打たれ、恩返しどころか、いまだに私は小さい頃の子供のままであることの、どうしようもなさ。
自分の幼さが悔しくもあり、周囲の愛情の本当の意味も今頃わかり、母の積み上げてきた人生経験には全く私は及ばず、今日は母に甘え、思うままに子供のように、己の小ささを吐き出させてもらい大泣きに泣いた。
母は、あなたも泣いたり笑ったり忙しいね!でも泣けてスッキリしたでしょう!まぁ情緒と豊かだと言うことだ!これでいいんだと、バカボンのパパで行こうよ!
ひとしきり、自分の幼い思いを、情けなさを聞いてくれた母は、そう言った。
父にも、母にも、私は本当にかなわない。
その懐の大きさに、毎度救われ、未だに手のかかる子供をやっている。
私は、いつか、私を取り巻く人々のようになりたい。
私は、いつか、父や母や親戚のおじちゃん、おばちゃんみたいになりたい。
あの位大きくなりたい。
あれだけの愛情で、人に接し、力惜しみをせず、懐が大きい、本物の愛情と言うものを持った人間になりたい。