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『ザ・ノンフィクション』を観て。生かされて生きて今。

ハウス加賀谷さんと松本キックさんの、 3年間を追った ドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』を 今見終えた。

アプリのやり方が 分からず、 日曜日から 四苦八苦 していたのだが、 この印は何だろう というところを押してみたら、 火曜日の ついさっき、 やっと アプリに番組が表示されたのだ。

私のこの アプリ音痴や、 一度使ったアプリでも 次に もうやり方がわからない、 これが統合失調症の 認知機能障害のせいかどうかは分からない。

今現在の私は、 コンビニのコピー機で 一人でコピーを取ることもできず、 郵便局の ATM で 振り込むという作業ができず、 髪の毛を切っても 白髪染めをする時は、 別々の日に 1週間間隔をあけてやらないと、 頭が宇宙になってしまって 全くもたない。

そんなわけで、 ドコモショップのお姉さんにも、 コンビニの店員さんにも、 郵便局の職員さんにも、 美容院のお姉さんたちにも、『 統合失調症 2級で、 頭が宇宙になってしまうので、 手を貸してください』 と お話しして、 Twitter も見てもらって 手を貸してもらっている。

近頃では、 情報について行けなくなり、 自分の Twitter すら見ていない。
もちろん 友達の Twitter も見れない。

『ザ・ノンフィクション』 で ハウス加賀谷さんと 松本 キック さんの ドキュメンタリーをやるということを知ったのも、 ハウス加賀屋さんが 原付に挑戦するということを言っていた、 どうなっただろう、 そう思って ハウス加賀谷さんの Twitter を見て 放送当日に知ったのだった。

ところが 函館では放送されない。
泡を食って アプリを入れて、 そこまではいいが、 アプリのやり方はさっぱりわからない。

アプリを 散々いじって、 やっと今見れたのだ。

番組を見ながら 頭の中にリフレインしたのは、 お父さんや 友人たちとの年月だった。

ハウス加賀谷 さんにとっての松本キックさんは、 私にとっての、 お父さんや 友人たちで あった。

30代の頃、 激しい 陽性症状から 前頭葉が 萎縮し、 セリフを覚えられない、 動線も覚えられない、 陽性症状は出る、 そんな私を 時折 統合失調症の勉強会を開きながら、 ヨーロッパ、 北米ニューヨークと、 演劇のツアーを慣行してくれた、 パフォーミンググループ『 指輪ホテル』 の『 candies』 のグループの メンバーたち。

舞台で陽性症状が出たこともあった。
本番 20分前に 錯乱して、 会場の便器を 粉々に割ったこともあった。

セリフを全く覚えられないので 私はアドリブであったが、 私の相方をやってくれた れんちゃんが、 私が何を言っても うまく 合わせて クライマックスに持って行ってくれていた。

動線は、 全く色の違う シールを 床に貼り、 私は色の順番だけ覚えて、 シールの通りに動く、 そうやって クリアさせてもらっていた。

そして 日本での凱旋公演が終わって からも、 メンバーの皆がグループ LINE を作り、希死念慮や 妄想が出るたびに、 朝から晩まで 意味不明な LINE ばかり打つ 私に 付き合ってくれていた。

そんな時期が9年以上 続き、 ようやく 今、 意味不明な LINE の連投 が止まったところである。

真っ先にそれを思い出してしまった。

そして お父さん。

精神一級時代、 下着の着替えの日から、 入浴の日、 薬の副作用で 食べても食べてもお腹がすき、 85キロまで太った私に 中古の ルームランナーを買ってくれ、 1日1回 ドア開けて外に出る というところからリハビリを始めさせてくれ、 幻聴がひどい時は、 泣きじゃくる私を 抱っこして、 トイレの排泄も 介護してくれたのだった。

2階に泥棒がいる、 盗聴されている。
私がそんなことを言うたびに、 1日に 何度も2階 まで行ってくれ、「 窓にも ドアにも テープが貼ってあって、 空き家なんだよ。 テープを剥がされた跡はなかった」 そう言ってくれ、盗聴の妄想が怖くて 全く話せない 私と、 筆談を続けてくれた 時期もあった。

入浴も着替えもできない私のために、 しーちゃんが 豚毛ブラシから、 水を使わないシャンプー、 食用重曹をたくさん送ってくれていて、「 お湯に重曹を入れて、 お湯の 中で 体をこするだけでもいいんだよ! 十分 汚れは取れるから」 そうやって少しずつ、 8年かけて、 私が自力で お風呂に入れるまで、 バックアップし 続けてくれた。

そんな 諸々が、 番組を見ながら、 どんどん 思い返されて、 何とも言えない気持ちになった。

松本キックさんの愛情。

ハウス加賀谷さんの今。

私も、 今自分が生きているのは、 友人たちと お父さんの、 愛情のおかげである。

羊屋白玉さん、 バーバラ村田さん、 れんちゃん、 ゆきちゃん、 しーちゃん。

そして お父さん。

今の私は できないことは多くなったけれど、 概ね安定して、 日々を送れている。

ここまで落ち着いたのは、ほんの、 ここ5~6年のことだ。

落ち着くにつれ、 友人が増えていき、 そしてそのまた 友人も、 私の病気のバックアップをしてくれている。

私が唯一できることは、 音声入力をして 文章を書くこと、 そして 漫画を描くことだけである。

壁の影に 隠れて過ごしたり、 床に這いつくばって、 妄想から立ち現れる 何者かから 逃れ て過ごしたり、 そんなこともなくなったのも、 本当についここ最近だ。

遅筆の せいで 生活費が足りなくなった時、 お金を貸してくれる、 漫画家の先輩。

お借りしたお金を、 原稿料からわずかずつ、 お返しできるということが できるようになったのも、 ここ数年である。

松本キックさんとハウス加賀谷さんの 30周年ライブのシーン。

私はもうここで、 自分のこれまでと 今、 それが 重なってしまい、 何とも言えず涙腺が崩壊してしまった。

私は、 自分一人の力だけで、 生まれてこの方 何ひとつやったことがない。

多動性障害を持って生まれ、 両親には散々な迷惑をかけ、 10歳から 仏さんが見えるという、奇行奇言が 始まり、 19歳から 統合失調症の治療は始めたものの、 入退院を繰り返し、 実家に帰った頃は、 小学生の息子が 私の 薬の管理をして くれていた。

私が表に出るたび 、息子は薬 と 水を持ってついてきて、「 あそこのお店から悪口が聞こえる」 そんなことばかり言う私に、 小学1年生の息子が、「母さん、 薬を飲んで。 誰も何も言ってないよ」と、 そんな日々が 実に 長かった。

私が長期入院した時、 息子が作って 送ってくれた プラモデルの ゴジラの頭は、 未だに 私のお守りである。

ハウス加賀谷さんの、 滝のような汗と 震える手。

私も日々 滝のような汗をかき、 指先は震えるので LINE を打つのが 嫌になるほど遅い。

原稿を 描くとき、 入れ歯が割れたり、 奥歯が潰れたり、 時には犬歯が脱臼するほど 歯を食いしばる。

タバコも吸わず トイレにも行かず、 何も食べず集中する。

半ば 麻痺した 若干 震える指先で、 原稿用紙に 絵を描くからである。

舞台の上の、 汗でびしゃびしゃになりながら 震える手で 目いっぱいの お笑いをやる、ハウス加賀谷さん。

楽屋での、 調子を崩し 薬を飲む、 ハウス加賀谷さん。

落ち着いて 全てを包み、 舞台上で どんな 何があったとしても、 どんな苦労があったとしても、 一緒に 舞台に立ち続ける松本キックさん。

私は自分の友人たちに、 日々、 命をもらい、 お父さんのバックアップがあり、 ゆっくりで、 漫画家とは言えないかもしれない遅筆 であるが、 非常に理解あり 心ある担当さんと、 原稿を描くという作業ができている。

正直今私は、 いわゆる「 病気による 困難」を 全く気にせずいられる。

私に関わる全ての方の、 愛情のおかげである。

今の私は、 原稿を 描くという行為が まるで作業療法のような 状態ではある。

例えば蕎麦を茹でるという 1つとっても、 私には いちいち 冒険である。

しかしそれでいいのだ。

そう思っている。

関わってくださる全ての人々のおかげで、 生きていることが楽しいと思えているからだ。

例えば昨日、 夜中 私は 入浴し、 体を洗い 髪を 二度洗い するということが 2週間ぶりにできた。

もうたったこれだけで、 ご満悦になるぐらい、 私の今現在は、 病状がいいからである。

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卯月妙子
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