
我が身が仏で
道玄坂のヤクザビルで、ホテトル嬢として働いていた時のことだった。
ヤクザであるオーナーは、
「ヤクザというもの自体、法に反しているから、自分自身の存在も「社会的貢献度」というものの枠からは外れる」
と言っていたし、私たちホテトル嬢も、
「私たち自身が違法な「本番行為をする風俗嬢」という存在であるから、やはり誰に貢献したとしても、「社会的貢献度」というものの埒外である」
と、そんな話をしたことがあったのだった。
来るお客さんも、ムショ帰りか、これから人を殺して懲役に行く人。
多くの、年金暮らしの独居老人。
そして、障害者。
そんな、「世間から外れてしまった」ような、寂しい存在である人たちも多かった。
私は統合失調症の悪化のため、漫画どころかストリップすら出来なくなっていた。
後々のさらなる悪化に備え、「何もできなくなった自分」というものになった時の生活費を稼ぐため、2年間無休で1日も休まず、ホテトル嬢を続けたのだった。
週に一回、月曜日だけ家に帰り洗濯機を回し、衣類を干して、その週に稼いだお金を貯金し、またその足でヤクザビルに取って返して働いた。
ムショ帰りのヤクザの人たちは、大概の人がただ疲れきっていて、「ただ隣にいて、手を握っていてほしい。まだ会話に慣れていないんだ。会話というものがしたい」と言ったヤクザがいた。ほとんどの人がそれに近いことを言った。
私たちは、「ムショ帰りの人たちには、事務所に内緒で2回戦サービスする」と決めていた。
そうして、これから人を殺して懲役に行くヤクザの人たち。いわゆる鉄砲玉と呼ばれる人たちも多く来た。
私は刺青が入っていたので、ヤクザにはすぐ同業者だと思われ、なんでも打ち明けられた。
私は住居は川崎だということにしていた。
必ず聞かれるからだ。
どこの組かということである。
大概、「稲川会か」と言われた。
私は返事をしない。
ただ笑うだけである。
いろんな人間模様を見た。
ある時、まだ若干24歳で、胸割りにドクロを四つ彫った若いヤクザの男の子が来た。
「お姉さんが、俺の最後の女になるんだね!」
無邪気にそう言った。
「さすがに4人殺したらさ、俺死刑だよね?殺したやつの墓参りに行けないから、4人分、胸に彫ったんだ」
またまた無邪気にそう言った。
延長して延長して、最後の1時間は、「大好きなおばあちゃんの話を聞いてほしい」と言われた。
彼の両親は彼が生まれてすぐに彼を置いて逃げてしまい、おばあちゃんに育てられたそうだった。
彼はおばあちゃんが大好きで、その思い出話をたくさん聞かされた。
おばあちゃんが病気で倒れ、亡くなったのが、彼が16の時だそうだった。
それから彼は、ヤクザの業界に入ったそうである。
彼の生い立ちの中で、確実にいい思い出として、「おばあちゃんとの暮らし」があったこと。
だけどもその後、彼は世の中に対して、真っ当な希望が持てなかったこと。
ヤクザになると言う選択をしてしまったこと。
そして何の疑問もなく、上から言われた通り、「四人殺して死刑になれ」という役目を、受けてしまったこと。
まだほんの無邪気な子供だ。
彼はこのホテルに滞在している間中、ホテトル嬢を何人も呼び、肌と肌を触れ合わせ、「女を抱く」というそれだけで今生への未練を埋め合わせるしかなかった。
そしてその最後が私であったのだ。
世の中の理不尽さに、この時無性に腹が立った。
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