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もうひとつの主人公『函館』の町。立ち往生する想い。なぜこのコマなのか、なぜこのネームなのか。

佐藤泰志著『海炭市叙景』に触発されたのが始まりだった。
『函館』は、もうひとつの主人公である。
函館の町の中にちいさく生きている我々夫婦を描きたい。
試行錯誤が始まった。

函館の町の写真を1000枚以上撮った。
一昨年、『吾妻鏡』に触れ右大臣実朝の歌集を買った。
背景に必要な感受性が実朝の歌に詰まっていた。
当たり前だが自分の感受性は実朝には遠い。
実朝の歌に縋るように拙い背景を描いている。

妙子の目線はあくまで妙子でしかない。
ボビーを描くには西行の目線が不可欠だった。
及ばず届かず、しかして西行を捲りながらボビーを描写する。
ボビーの表情ひとつひとつが命である。

なぜ、このコマなのか。
なぜ、このネームなのか。
そこに息吹を吹き込みたく当時の日記から場面を抜き、たくさん溢れる言葉のひとつを五里霧中のまま何とか掴む。

違う。もっと。こうじゃない。
あれやこれや手当たり次第に、日々揺れる日常の感情と、当時の胸中とを繋いで『セリフ』を紡ぐ。
至らず届かず。
頭も身体も手当たり次第の情報も動員して一話描く。

出来るだけの感性に触れたく、友人たちに様々な著作を教えてもらい読む。
干からびないように、日常に心を砕き想いを落とし込む。
泣く。
号泣する。
瞬間を画面に落とし込めないか。
描く。

そして日々、止まる。
動けなくなる。
気付く。
ますます止まる。
込み上げる数々を忘れないよう溜める。
濾過する。
いっぱいいっぱいになり、更に止まる。
立ち往生する。
その度、始めから初めてを描く。

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