スルガ銀行の第三者委員会調査報告書の雑感
報告書が出ていたことも気がついていなかったのだけど、同僚から「これは読んでおくべき」といわれて、件の報告書を読んだ。金融セクターで働いていない人だったら、要約版だけで充分かもしれない。
第三者委員会の報告書の構造
会社で不正があったときに第三者委員会に報告書を書いてもらうのは、会社のリスク管理としての常套手段だ。会社ぐるみでの不正が疑われている場合には、会社からの報告がほぼ信用ならないと考えられるからだ。そこで、公正な第三者で構成される第三者委員会をつくり、そこで報告をしてもらうことで、ステークホルダーの会社に対する不信を少しでも和らげる。
頼む側としてはどうやって頼むかというと、「徹底的にやってください」とかお願いすることが多いと思う。ただし、この第三者委員になる弁護士は往々にして知り合いであることも多く、若干の「武士の情け」を期待したりもする。そして、それを第三者委員会がどれだけ忖度するかは分からないが、往々にして第三者報告書は表面的には徹底的にぶった切りつつ、最後のところで若干の寛容さを残すことが多い。第三者委員としても、全力でぶった切って後で訴訟されたらかなわない、というところがあるのかもしれない。
今回の第三者委員会報告書からも同様のことを感じた。途中まではかなり切り込んでいた様子を感じるが、責任の所在について書く段になるといきなりトーンダウンして、ほぼほぼ亡くなった副社長に全ての責任があるかのような書きぶりになっている。僕の感想でいえば、執行役員の麻生氏および全取締役(社外取締役含む)は全員駄目だろうと思うのだけど。僕は法律の専門家ではないから法的責任についてはよく分からないが。
例えば、取締役会が月に1時間しかなくて、そこで会社の全容が分かるはずはない(うちみたいな小さな会社でも、社外取締役にはスラック全部のチャネルに入ってもらっている)。情報が充分に上がってきていないと思ったらそれを要求するのが社外取締役のいちばん大切な仕事だと思うし、それを会社が怠っていると思うのなら辞任すべきだ。その辞任を通じて市場には「何か変なことが起きているのでは?」というメッセージがいくし、それが社外取締役の仕事だと僕は思っている。
よって、今回の報告書も責任の所在についての記述だけはぬるいなと感じたけど、僕は裁く立場にはないので、途中までの事実描写がかなり詳細で大変役立った。
個人的な感想
うちの会社は連結で600人、関連会社含むと従業員が1100人いるから(いつの間にこんなに増えたんだ・・・)、従業員数ではスルガの半分強ある。そして収益の大部分が利息収入である金融事業をしているので、あまり対岸の火事ではなく、自分事として考えさせられることが多かった。いくつかメモ。
■取締役会が定例1時間のみ&資料ペラペラでは当然にガバナンスは利かない。
→これは個人的に最近ずっと思っていることなのだけど、執行側に情報隠蔽の意図があるとき、取締役会に参加するだけでガバナンスを利かせるのは無理筋だと思っている。なので、取締役は会社のスラックやいくつかの経営層のメールのやりとりに少なくとも入っているべきだと思っている(全部精読する必要はなく、リスク要因と感じたものだけをピックアップすればいい)。結果として結構工数が増えるけど、それ以外の方法でガバナンスを利かせることは不可能。
■各種規程(普通は取締役会決議事項)について通達が設けられいてそれが実際の運用ルールとなっていた。この通達が各種規程の趣旨から著しく逸脱していても経営陣はそれを把握することができない状態にあった。
→運用ルールが設けられるのはよくあることだとしても、それの定期チェックは何らかの形で必要だと思う。内部監査の重要な仕事。それと、そういった実際の運用ルールと規程の趣旨の食い違いは定期的に取締役会に内部監査から上程されるべき重要な議題。
■営利組織においては稼ぎ頭部門の役員の発言力は常に大きい。それでも麻生氏の越権行為は目に余った。疑義を呈する審査部に圧力をかけ、審査部の人事も実質的に掌握していた。内部監査が形式的なチェックリスト埋めるだけに留まると用をなさない。内部監査部のポジションが低い会社であり、内部監査部の情報へのアクセス権や権限が限定されていた。
→稼ぎ頭の営業部に対してブレーキ役となる内部監査や審査部の立場を強くするのは経営の重要な責任。要は「お金が儲かるとしてもルールや原理原則は守ろうよ」という観点があるかどうか。内部監査が軽視される組織は長期的にひどいことになる。高すぎる目標を立てて達成に向けて行員にプレッシャーをかけると、行員には不正をするインセンティブが生じる。審査と内部監査が牽制機能を果たしていればいいが、そうはいかなかった。
■銀行員はサラリーマンだし、他の日本企業と同様、一定のキャリアを積んだあとは転職も難しくなる。だからこそ人事が従業員にもたらす影響力は絶大。人事を営業部が実質的に握り、評価が営業目標達成のみにひも付き、債権の質に紐付いておらず、報酬も7割が短期業績によって決まっていて、さらにブレーキも完全に破壊されている会社においては不正がはびこる。
「結局、これらの不正行為等に関わった銀行員は、銀行のためでもなく、顧客や取引先等のためでもなく、自己の刹那的な営業成績のため(逆に成績が上がらない場合に上司から受ける精神的プレッシャーの回避のため)、これらを行ったものと評価される。 決して、違法性があるかどうか分からなかったとか、会社の利益のためになると思ってやったなどというものではない。 (報告書200ページより)」
この一節を読んだときに、ああ、戦争が終わったあとの軍部の人たちも同じようなことを言ってたな、と思い出した。どこまで深掘りしても責任の所在が完全に明確にされることはないまま、物事が前に進む。そして、忘れた頃にまた過ちがやってくる。
やっぱり原理原則って大切だよな。毎日会社のGuiding Principleを読むようにしている。