プロになれる人となれない人
緑星囲碁学園を主宰していた菊池康郎先生の米寿祝いのイベントがあり、当時の友人だった大橋拓文さんに誘われて20年ぶりに日本棋院に行ってきた。内装が若干変わったものの、ほとんど何も変わっていなくて、とてもノスタルジックな気分になった。
当時の友人の半分くらいはプロになった。棋士のプロ試験は本当に大変だ。300万人の競技人口がいるのに、2018年にプロになれたのはたった5人。もちろん運もあるとは思うのだけど、プロになった友人たちの多くは、当時から「彼らはプロになるだろうな」と思える人たちだった。
それは別に才能がどうとかいう話ではない。多分当時そこにいた人たちの多くには一定程度の才能が備わっていたとは思う(そして、本当の天才がタイトルをとっていく)。それよりも、囲碁という競技にどれだけ人生を突っ込んでもう後戻りできないくらい全てを賭けているのかが、プロになる人とそうでない人を決めていたような気がする。
まだ小中学生なのに「囲碁の他に何もない」という気迫で全力で碁を打っていた友人たちは、常に稽古にひたむきで、どんどん強くなっていき、プロになっていった。囲碁よりもサッカーのほうが好きで、将来にプロ棋士になるとは思ってもいなかった(なお中学生時代の進路希望は弁護士)僕と彼らの差は明らかだった。
これって、世の中の全ての仕事に言えることだなと今になって思う。色んなものをかなぐり捨てて真剣に打ち込んでいる人だけがたどり着ける境地というのはある。努力がその境地にたどり着く保証にはならないのだけど、それでも努力しないでそこに行ける人はほとんどいない。自分はこれ以上ないくらいに、今やるべきことに全てをぶっこんでいるだろうか。
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