ランニング思考発売のお知らせ&序文掲載
というわけで、昨日からウルトラマラソンについて書いた「ランニング思考」が発売されました。
いつも「一部の人に深く愛される本になればいい」、という考えで本を書いているのだけど、殊にこの本に関しては、これがもし売れるとしたら、それは多分奇跡に近いんだと思う。著者がこんなこと書いていいのか分からないけど。
とはいえ、やっぱり売れたほうがうれしいので、是非に買って宣伝してくださいませ。許可を得て、序文だけ掲載します。
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思えば、嫌なことがあれば、いつも走っていた。
高校サッカー時代。どんなに練習しても思うように上達しなかった僕は、二軍の試合にも出してもらえず、先輩と同級生の笑い者だった。悔しい思いをして泣きながら、高校の隣にあった富士見中学校の周りを400mダッシュした。何度も何度も。
大学生の頃。寮の人間関係でとても苦労した。僕は不器用なので、周りの人と適当に合わせて生活することができなかった。動物的な本能に従って自堕落に生活する「大学生」たちのことが理解できなかった僕は、周囲から孤立していた。どうしても耐えられなくなったときは、寮の近くを流れる玉川上水を上流まで10km走った。
大学卒業後。僕は結局行けなかった留学のための勉強をしていた。普通に受験して「いい大学」に入って普通の「いい会社」に就職していたらどんなに人生楽だったろうと思っていた。社会的に無であることは本当に苦しかったけど、目の前に控えた英語試験の勉強のために、英語の教材を聴きながら毎日10kmを走っていた。
走って走って、身体を疲れさせると、頭が面倒なことを考えないようになり、前向きな気分になった。汗と一緒に嫌な気分も多少は流れていってくれた。この期間に摂食障害にもなったけど、走っていなかったらはるかに酷いことになっていたかもしれない。ある意味で、僕は走ることによって救われていたのだと思う。
23歳まで悩み続けた後には幸運も重なり、全く違った生活をするようになった。24歳からは世間的にいえば「いい会社」に入り、初年度から年俸1千万円超の高給取りとして働くようになった。26歳になって働きながら始めたNPOも注目されて新聞・雑誌・ラジオ・テレビに出るようになった。27歳でファイナンス理論の入門書を出版した。
当時の僕は自意識がとても強くて、自分の「世間ランキング」がどこまで上がるのかを考えていた。ソーシャルメディアをすれば、フォロワーが何人増えるのかが気になったし、ソーシャルメディア上で批判されたらムキになって反論せずにはいられなかった。
そんな中、28歳で転職した先は、外資系投資銀行やコンサルティングファームなどに入社した人の中でも一握りの人しか入れない会社だった。NPOの活動が評価され、29歳のときには世界経済フォーラムの30歳未満日本代表にも選ばれた。世間ランキングここに極まれり、といったところだ。上昇志向がとても強かったハラボジ(祖父)に盆・正月の墓参りをする度に、状況を誇らしげに報告した。
逆境から這い上がってきた人間は、こんな風にコンプレックスと自意識の塊になりやすい。もちろん、特に若い時期にはコンプレックスや自意識が人間の原動力となることはある。でも、そういったものに囚われている人というのは、自己の精神が何かに隷属しているわけで、実はとても惨めな状態にある。
そして、多くの人がその精神的奴隷状態から抜け出せないまま人生を過ごす。もっとお金が欲しい、もっといい人と恋愛をしたい、もっと世間から注目されたい、もっと、もっと、もっと。本当はとても憐れなのに、当の本人たちは自分が成功者と思っていることが多いのは、とても悲しいことのように思う。
それだけではない。自意識やコンプレックスに囚われている人は、決して自分の力を最大限に引き出すことができない。なぜなら、「周りからどう見られるか」を気にしてしまい、心の声と行動が一致しないからだ。心の赴くところと行動が一致しない限り、人は自己ベストを発揮できない。
自意識とコンプレックスの塊である僕に解放をもたらしてくれたのは、ウルトラマラソンだった。とても大切な友人がいなくなってしまったとき、その人との思い出をなぞりたいがために、フルマラソンしか走ったことのなかった僕は208kmを走るレースに参加した。形容しがたい痛みと苦しみを経験した末にこのレースを完走したとき、肩に乗っかっていた色んな精神的な重荷が落ちて、今まで自分を苦しめていた思い出が、実はそんなに大したことでないことに気付いた 。それは人生で初めての経験だった。
徹底的に打ちのめされる経験をして、心の底から自分のちっぽけさを思い知りながら、それでも目指すゴールに向かって行動を続けるとき、僕たちは自分一人で出来ることは何もないことを思い知る。そのときに、僕たちは人の優しさや運命のめぐり合わせに感謝することを知り、心は素直になっていく。自意識やコンプレックスというのは心の複雑骨折のようなものだけど、曲がった心が真っ直ぐなものになっていく。
また、苦しみ抜いて長い距離を走りつづけると、あるタイミングでとても静かな世界に足を踏み入れることにもなる。もちろん実際には周囲に音はあるし痛みもあるのだけど、それが違う星の出来事であるかのような、静謐な世界に足を踏み入れることにもなる。この上なく心が安らぐ場所で、静かに自分を見つめることができる。修行を重ねた僧侶が瞑想するときに見える法悦の世界はこういうものなのかもしれない。
それにしても、苦しみはほんとうに沢山のことを教えてくれる。誰だって人生においていつかは修羅場を経験するが、非常に長い距離を走ることを通じて、僕たちはそういう試練を意識的に作り出すことができる。
逃れようのない長い苦しみを意図的に作りだし、苦しみの中で自分を静かに見つめながら、心を整え、仕事や人間関係、生き方について大切なことを学び取ること。一言で言えば、僕が長い距離を走る一番の目的はここにある。初のウルトラマラソン経験の後、僕は、心が疲れてきたときには長い距離を走るようになった。まだ解けないわだかまりは沢山あるけど、長い距離を走って苦しみ抜くたびに、僕は心の重荷を一つずつ落としてきたように思う。
僕は凡庸なランナーだ。なので、この本は長い距離を速く走る・完走する方法を主題にした本ではない(多少はそういう内容を書いているが)。そういった本が読みたい人は、プロのランナーやトレーナーが書いた本を読めばよいと思う。ランニングを通じてダイエットをしたいといった人にも、本書は全く役に立たない。確かに走ると痩せるけど、ダイエットをしたいのであれば、毎日適切な量の有酸素運動をするだけでいい。
この本は、才能のないランナーだからこそ人一倍苦しみを経験することを通じて、僕が学んだことを主題にしている。自意識から抜け出すこと、心を整えること、弛まずテキパキと物事を進めること、運命のイタズラに文句を言わず感謝すること、など、僕は、自分の人生を本質的に変えたこの学びを、本書を通じて可能な限り伝えたいと思っている。
昔の僕のように、自分が抱えている自意識やコンプレックスから抜け出すことが出来ずに困っている人には役立つかもしれない。また、普段から運動をしていて、それによって心が落ち着くことを経験している人にも、参考になる部分があるだろう。
とはいえ、僕が本書で書いたことを完全に理解してもらうためには、フルマラソンをやっと完走できるような状態で200kmを走ってみたり、アキレス腱が切れかかるくらい足を酷使ながら真夜中の冬の山奥を走ってみたりする必要があるかもしれない。その意味では、本書の最大の理解者はウルトラマラソンのランナーたちなのだろう。
本の構成としては、僕が走ったレースのうち特に大きな意味合いを持っている佐渡の208kmウルトラマラソン、520kmの川の道フットレース、1648kmの本州横断マラソンの三部立てとなっている。それぞれのレースにおけるランニングの記録を書きながら、そこから僕が得た学びを書いている。本州横断マラソンは長くなったので、ランニングの記録そのものは巻末付録とした。
本書を通じて、走りたいと思う人が一人でも増えますように。