衰退が確定した国におけるプランB

経産省の「未来人材ビジョン」はとてもよく書けていて、日本の現状を突きつけるものだった。

https://www.meti.go.jp/press/2022/05/20220531001/20220531001-1.pdf

残念だけど、日本はすでに詰んでいて、今後も停滞が続くと個人的には思っている。僕がその見識を信頼する人たちも、大声では言わないけれども同じような意見だ。


なぜ詰んだといえるのか。いろいろな理由はあるけれども、一番深刻なのは高齢化と硬直的な人事制度だと思う。

社会に高齢層が増えることの一番の問題は「人は年をとると昔の自分より頑迷になる」という一般的事実に基づいている。これは高齢者攻撃の話ではなく、人間の脳は年齢とともに劣化するという事実の話だ。そして、人間はよほど自覚的でないと自分の脳の劣化には気づかない。より多くの頑迷な人が投票権を持っているので、政治は基本的にその人たちを向かざるをえない。

もう一つは人事制度。年功序列がなかなか変わらない。政治家は当選回数、官僚は年次でポストがだいたい決まり、それを飛び越えることはない。大企業も同じような制度であることが多い。ポジションは能力に応じて決めるものである、という正論が通らない。そして、意思決定層はその年功序列の恩恵を受けているので、よほどのことがないとこれは変わらない。

もう一つあげるとすれば、それは言語的な問題と(日本語と英語は文法的に遠いので、日本語話者が英語を習得するのは難しい)、比較的自国マーケットが大きいことから、内向きでもある程度事業が成立するという日本固有の事情もある気がする。多くの企業が国内では厳しい競争にさらされないのでやっていけるけれども、国際競争力は落ちつづけている。


積み木は一瞬で倒れるけれども、大きなビルが倒れるには一定の時間がかかるのと同じように、手遅れになった国が崩壊するには長い時間がかかる。戦争のような大きなショックがない限り、衰退は時間をかけてゆっくりと進行する。

世間が大騒ぎするようになっても、意思決定層にある人たちはいい生活を続けられているので、絶望的な状況になるまでは現状維持が続くだろう。強烈なポリティカル・キャピタルを有する有為なリーダーが全政治生命をかけたら話は違うけれども、そのことだけに賭けるのはリスクが高すぎる。


こういった現状を踏まえ、将来国や社会を支える若い人たちには、次の二つのどちらかをしてほしいなと思っている(もちろん他にも素晴らしい仕事はたくさんあると思うけれども)。

ひとつめは、この国を出て海外で修行をすること。アメリカでも、シンガポールでも、インドでもいいから、自分が地の利を活かすことができない場所、才能ある人々がしのぎを削っている場所で切磋琢磨すること。

人間の能力は、元々の地頭の良さだけでなく、どこに身を置くかで決まる側面が強い。日本の成長期に偉大な起業家がたくさん輩出されたのは偶然ではない。優れた人は、競争の激しい場所、成長が起きている場所から生まれる。残念ながら、今の日本はそういう場所ではない。

絶望的な状態になれば、どんな組織であっても、年功序列や慣習などを無視して、有能な人をトップに据えるようになるだろう。最近日本でようやく株主のアクティビズムが成功しはじめたのは、このことと無縁ではないと思う。将来にはもっと同じことが増えるだろう。海外で腕を磨いておいて、いつか苦境にある故郷の組織から声がかかる人になっていてほしいなと思う。


ふたつめは、この国にとどまり、課題解決に真剣に向き合うこと。国が衰退するとき、その衰退を放置していると、そのしわ寄せは一番立場が弱い人たちにやってくる。パンデミックによって、一部の家庭(といっても100万世帯はある)は深刻という言葉では表現できないほどに凄惨な状態に陥っている。

凋落が避けられないとしても、その痛みが弱い立場の人に寄るのは不公平だ。だから、この国に踏みとどまって、衰退する地方や厳しい状況にある家庭を支える人たち、雇用を維持する人たちも必要だ。それは負け戦における殿役みたいなもので、難易度は高いうえに、あまり脚光も浴びないけれども、本当に必要とされている素晴らしい仕事だと思っている。


僕自身も、ただ言うだけでなく、行動しようと思っている。本業では世界を向いて仕事をする。だけど、片足をずっと日本の児童福祉領域につけて、できることはやっていく。同じような人がもっと増えたらいいなと思っている。


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