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RIP SLYMEが聴きたくなって

蒸し暑い夜の帰り道、無性にRIP SLYMEの「熱帯夜」が聴きたくなる。聴き終えると、黄昏サラウンド、JOINT、oneなども聴き返したくなった。

音をおさえつけるようにフィットさせて安定感が心地よいRYO−Zさん、ビビッドな高音に沁みる歌詞を乗せてくれるPESさん、あのときのキュン!を思い返させてくれて包み込むような歌いまわしのILMARIさん、抑えてるのに唯一無二の存在感が滲み出してしまう、音程もさることながらリズムとの遊びが毎回聞き逃がせないSUさん、そして長きにわたりやっぱり聞き返したくなっちゃうよね、なビートとうねりを作り出すDJ FUMIYAさん…。

曲を聞きながら毎回、それぞれの持ち味を勝手に出し合い(ひとりで)たしかめ合い(ひとりで)噛み締める。RIP SLYMEという存在について想いを巡らせる。

2001年か2002年、『うたばん』にRIP SLYMEが出演した当時、トーク部分を含め〝one〟を歌うシーンを何度も観た。CDを聴くより先に録画したものを繰り返し観ていたため、ここはみんなでかぶせてノる、ここはこんなふうに歌うみたいなのが全部うたばん版で脳内にインプットされていて、あとで音源を聴いてみたら拍子抜けしてしまったことがある。こんなことはよくあることなんだろうと思うけど、音源とのギャップが特に大きく衝撃を受けたのはこのときが初めてだった。

音源は妙に整えられ過ぎていて、メインでラップしている人以外のメンバーの声が、息遣いが、ノリが、ぜんぜん感じられない。それらが彼らの大きな魅力のひとつだと感じていたからなおさらびっくりした。ライブにもめったに行ったことがなかったし、よく聴いていた音楽はわりと音源どおりに聴けるものばかりだった。当時、音源以外で聴くといったらもっぱら音楽番組だったのだけど。

現在もライブにはよく行く方ではないけど、『ライブの良さ』が語られるときによくこのRIP SLYMEのoneで感じたギャップのことを思い出す。

いや、RIP SLYMEでさえ生で観に行ったことはないんだけど。中高生だった自分にとってのライブとは、『うたばん』であり『Мステ』であり『HEY HEY HEY』であった。そんなチープで、ホンモノを知らない学生時代の自分は、夢中でテレビからなにかを感じ取ろうとしていた。

あのとき家族にあきれられながらVHSビデオテープを何度も巻き戻し再生をしていた頃の自分が観ていたものは、なんだったのか。いかにこの音楽がすばらしいかということよりも、こんな見たこともない魅力的な人たちが仲間と楽しいことをしている世界が存在しているんだとか、演者から放たれている光のようなものを画面から漏れなく浴びようとしていた。なにも知らないまま、埼玉の端っこで。



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