引き出しに入っているもの

わたしには一生忘れないであろう満天の星空が心の中にある。




つい最近、高校の頃からの親友に子育ての愚痴というか相談のような話をされた。

ざっくり言うと中学生のお子さんの対応に疲れている様子だった。
思春期か…

我が家の子供たちはまだ小学校低学年と幼稚園児。まだ(親友のお子さんに比べれば)幼い。

その年齢の“我が子”の“子育て”に関してはもちろん未経験なので、わたしは一応(20数年前に…)通ってきた“自分が思春期だった頃の記憶”という道を遡りながら話を聞くしかできなかった。

あの頃のわたしはというと
親の言ってることなんかほとんど理解していなかったし
それ以前に聞く気がほぼなかったし
それどころか「わたし特に悪いことしてないし」という感想に終始していた

…と……思います……反省だね…

だから親友のお子さんの話を聞いて(内容は伏せるが)率直に「あの頃のわたしよりかは全然マシだから大丈夫だと思う」と思った。

でも本当に、年頃になってからの親なんて鬱陶しくてよくわからないことばかり言う存在だったのが正直なところだったので、これから自分もかわいい我が子にとってそういう存在になるかもしれないと思うとしんどい。思春期とはそういうものだと頭ではわかってはいてもキツイと思う。

親友は今そこにいるのだ。

一つ前の記事で「親であるわたしの行動や思想が育児に反映され、この子たちにあらゆる影響を及ぼすかもしれない」と書いたけど、いわゆる反抗期っていうところまでくると逆にあらゆる影響もわかってほしいことも何一つ伝わっている実感がないか、もしくは見事なまでに意図しない方向に影響を及ぼすかといった状況になるのかもしれないなと思った。もちろん親子によるだろうけど。
なんて途方もないのだろう。

で、わたしがうけた親からの影響ってなんだろうと考えたら、ほとんどないんじゃないか?という感想になった。
両親があのときああ言ったこと、伝えたかったこと、今となっては理解できるしありがたい教えだったなと思う。
でも“理解できる”だけでわたしの人生にはあまり“影響”してはいないし「両親の教えを守ろう」とも正直思ってない。

これには両親もガッカリかもしれないけど、一つあったんだ。あったあった、わたしがずっと忘れずに持っているものが。

それは小学生の頃に連れて行ってもらったキャンプの夜に家族で見た、満天の星空。夜中に芝生にシートを敷いて寝転んで見たあの光景。あの美しく壮大な星空は一生忘れないだろうと思う。

あの星空はわたしの心の引き出しに大事にしまってあって、つらいことがあったとき、癒されたいとき、落ち着きたいとき、自分を取り戻したいときとか…そういうとき、寝る前に目を閉じて脳裏に映している。

人物でもない言葉ですらないあの【光景】が、確実にわたしの心の支えであり宝物になっている。
それはまぎれもなく両親からの贈り物だった。きれいにまとめたかったわけじゃなかったけど、最近それに気づいたのだ。


このさき子供たちがどんどん成長して、接し方に悩んだり、親としての姿勢に悩むときがきっと来ると思う。どんなに伝え方を工夫し、ときに目をつぶり、ときにぶつかり、心をゴリゴリに削れながら子供と向き合っても、全く響いてなくて親としての存在価値に疑問を感じる日がいつかくるかもしれない。
いろいろ想像すると正直気が重いけど、うっすら覚えておきたい。

わたしたち親が子供たちにとってどんな存在になるか、どんな影響を与えるかなんて正直わからない。
でもなにか一つでも、一緒にすごす時間の中で心を守れるようななにかをそっと置いてこれたらいいなと。わたしが言ってきたことをほとんど覚えてなくても、むしろ反面教師にされたとしても、ささやかながら心を温めたり救ったりするものが子供たちの心に宿りますように。
これを小さな希望として覚えておきたいと思う。


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