8月24日 大阪府犬鳴山七宝瀧寺 その1
今日は、久しぶりに夫と二人で休みを取ることができました。
午前中、夫は血液検査に行っていたので…
とりあえず近場に行こう、ということで。
大阪府南部にある、犬鳴山(いぬなきさん)七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)に行ってきました。
犬鳴山は、大阪府と和歌山県の県境付近にあります。
【歴史】
犬鳴山は、斉明天皇の7年(西暦661年)、修験道の開祖である役行者が28歳の時に開基されました。
大和の大峰山より6年早く開山されたので、元山上と呼ばれます。
役行者の開山時に倶利伽羅(くりから)大龍不動明王が出現し、これを本尊としたと伝えられています。
また、弘法大師もご修行になり、山内の七瀑に七福神をお祀りされたといわれています。
それ以来、七宝瀧寺では国家安穏・五穀豊穣・諸人快楽の密法が修されています。
(七宝瀧寺公式HPより)
犬鳴山は、日本最古の霊山・行場です。
修験道の発祥の地でもあることが、近年わかってきています。
真言宗犬鳴派の本山です。
【山号の由来】
犬鳴山、という山号には、悲しい伝説があります。
少々長くなりますが、犬鳴山七宝瀧寺公式HPから引用します。
宇多天皇(889〜898)の寛平二年(890年)三月、紀伊の猟師が犬を連れて、当山の行場「蛇腹」付近で一匹の鹿を追っていました。
猟師の傍の大樹には大蛇がいて、猟師を狙っていましたが、猟師はそれに気づかず弓をつがえ、鹿に狙いを定めて射ようとしたそのとき、猟師の愛犬が急にけたたましく吠えだしました。
すると、犬の鳴声におどろいた鹿は逃げてしまい、獲物を失った猟師は怒って、腰の山刀で吠え続ける愛犬の首に切りつけました。
犬は切られながらも大蛇めがけて 飛び上がり、大蛇の頭に噛みついて、猟師を助けて大蛇と共に倒れました。
ようやく事の重大さを知った猟師は、自分の命を救って死んだ愛犬の骸をねんごろに葬り、弓を折って卒塔婆とし、その後七宝瀧寺に入って僧となり永く愛犬の菩提を弔いつつ、安らかに余生をすごしたと語り伝えられています。
後にこの話を聞いた宇多天皇は「報恩の義犬よ」と賞し、「一乗鈴杵ヶ岳(一乗山、鈴杵ヶ岳とも)」を改め「犬鳴山」と勅号を与えたと伝えられています。
…犬好きにとっては、何とも悲しい伝説です。
では、ここから犬鳴山・七宝瀧寺の境内をご紹介します。
駐車場に車を止め、本堂までは参道を歩きます。
こちらは、参道入り口手前にある観音堂。
鳥居をくぐり、参道を歩きます。
お寺なのに鳥居。
神仏習合の象徴ですね。
(通常、鳥居は神社にある)
参道の脇には、川が流れています。
最近は雨が続いていたので、ごうごうと音を立てて流れていました。
参道には、小さなお堂や石仏がたくさんあります。
苔むした石仏。
少々見づらいですが、不動明王の持つ剣に、龍が巻き付いています。
参道脇の川。
この日は、ミンミンゼミの鳴き声も聞こえていました。
参道を5分ほど歩くと、突然巨大な不動明王が姿を現します。
ここは広場になっていて、お不動さんの前には護摩壇が組まれています。
身代わり不動明王として、信仰を集めています。
こちらのお堂には、七福神の1柱である、布袋尊がお祀りされています。
犬鳴山の布袋尊は、「南海沿線七福神めぐり」の札所にもなっています。
鳥居をくぐり、さらに進みます。
本堂の手前にあるお堂。
奥には、小さい滝がありました。
こちらのお堂には、「韋駄天(いだてん)さん」がお祀りされています。
韋駄天さんといえば、足の速い神様として有名ですが、こちらでは「足腰の仏様」として信仰されています。
普段よく「脚が痛い」と言う夫も、きちんとお参りしておりました。
韋駄天さんと向かい合う形で、十二支の守り本尊さんがいました。
私は辰年生まれなので、普賢菩薩に手を合わせました。
石段を上ると、本堂があります。
本堂の手前にて。
石仏の不動明王と、俱利伽羅剣。
剣に巻き付き、さらに剣を飲み込もうとする龍…
この姿が、「俱利伽羅不動明王」で、犬鳴山七宝瀧寺のご本尊とされています。
ちなみに、本堂の俱利伽羅不動明王は秘仏です。
七宝瀧寺・本堂。
本堂の中は、それほど広くはありません。
ロウソクと線香を立てて、お参りしました。
(続きます)
犬鳴山七宝瀧寺公式HP