存在しない初恋の思い出《悪夢日記》
春のセンバツを見に行く。
応援席で元同級生がふたり、母校の監督と地元を腐している。
『地元の女、元ヘルス嬢ばっかりで引く』
『どうせここに座ってる女共もそうなんだろう』
『なぁ蓼鎧。お前もそのクチか?』
矛先がこっち向いた。
『パチンコとヘルスは唸る程有っからねえ。
なによお前ら、母校の応援しに来たんじゃ無えの?』
よくよく話を聞いてみると、どうやらふたりは個人的な怨みが監督にあるらしい。
あほか。勝手にやってれ。そこ母校の応援席やぞ。
周りを見て口は開けよ、とだけ伝えてその場を離れる。
通路を挟んでワンブロック隣に、高校時代の先輩が居た。
当時は紺の制服を規定通りに着用していて、髪の毛を上半分だけバレッタで纏めていて、ふふふ、と笑う時いつも手で口許を隠していて。私はその時の先輩の指がとても好きだった。私が初めて恋を意識した女性。
記憶より背が小さい。当たり前だった。先輩は臍から下が無くなっていた。制服の色に似た紺のワンピースのスカートが、座面でぐしゃぐしゃに丸まっている。
お久しぶりです、と声をかける。
『まぁ蓼鎧ちゃんお久しぶり!聞いて!私ね、生まれ変わったの。正確には先週の木曜日、私が庭を掃いていた時よ。空から岩が沢山降ってきて私は下敷きになってしまったのだけれど、見て!私はこんなに幸せだわ。血の一滴だって流れなかった。あの岩は神様の御使いだったのよ!その証拠に私の心はこれ迄にない程晴れやかだわ!』
四白眼に見開かれた目と、テクスチャの粗くなった肌。肘から上だけになった腕を存分に振るって、先輩は喜々とした顔で話を続けている。唇の横で唾が泡になっていた。
……確かに生命力には溢れていた。
元気で良うございました。それでは、と
挨拶もそこそこにその場を離れた。
見ていられなかった。
足元の地面が消えたような、居場所が無いような、虚しさと、諦めと、何とも言いようのない胸の詰まりを感じる。切ない。息苦しい。
そこで目が醒めた。
イヤホンと充電コードが首に巻きついていた。
昨夜は存外に暑くて寝苦しくて、多分寝返りを何度も打ったようで、その際 偶然首元で絡まったらしい。
なんだ物理か。
まさか本当に首が締まって呼吸に難が生じていたとは。
ぼんやりとさっきまで見ていた夢の出来事を反芻する。
口の悪い同級生達も、斜め方向に元気になった先輩も、昨晩眠りに落ちてから今朝起きるまでの間だけ私の意識に存在した人達だ。
現実には居ない初恋の人。
そう思うと妙に寂しくなった。
もう一度あの先輩に会いたいな、と思ったら
やっぱ物理に頼るしかないんだろうか。
それは嫌だな。もう失恋しちゃったし。
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