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ミラン・クンデラ『小説の技法』

ミラン・クンデラの『小説の技法』読了。岩波文庫版をKindleで。学生時代に読んだのは初版だったので、今回は訳が少し違う。久々に読み返し、やはり学ぶべきところが非常に多い。小説は小説のみが語りうることを語る。つまり複雑な世界を複雑なままに把持するということ、単純な正解に簡単に飛びつかないということ、ドン・キホーテが冒険の旅に出た時に世界は多様な解釈に開かれた大いなる疑問符に変容したということ。

全体主義において小説の歴史は終わる。小説は世界の中で人間がどのように存在しうるのか、その可能性を探る実験場である。そこに単一の作者の固定されたメッセージなどは存在しない。

そしてこの指摘。19世紀においてラスコーリニコフは自らが犯した罪に耐えきれずに、最後には自分から罰を求める。20世紀においてヨーゼフKは、突然与えられた罰に見合うだけの罪を求めて自らの来歴を探る。「このような罰が与えられているからには、私には何らかの罪があるはずだ」というわけだ。自分の不幸の源泉を自分自身の中に求める、というこの習性は、支配をする側からすれば何とも便利なものだが、そこには薄暗い未来しか見えない。

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