リアリティ・バイツ
ウィノナ・ライダーとイーサン・ホークが主演の「リアリティ・バイツ」という映画を、当時15歳で男子校の柔道部員だった私は、出来たての恵比寿ガーデンプレイスのガーデンシネマに、野郎三人で見に行った。ウィノナ・ライダーのファンという同級生に誘われて見たその映画は、ジェネレーションXの恋と友情を描いたミニシアター系のオシャレなラブコメディーで、当然のことながら当時の私にはまったく響かなかった。ただ、その映画のタイトルだけはなぜか印象に残った。リアリティ・バイツ。Reality Bites。直訳すると、現実が噛みついてくる。
娘が生まれて二週間近くが経ち、さまざまなことが起きている。第一子誕生の直後の心境というものを記録しておくというチャンスも二度と訪れないので、とりとめのないままにこの所の動きを書きつづる。現実というものの重みを、まだふわふわはしているものの、確実に感じつつある今日この頃。現実が噛み付いてくる。それはあるいは甘噛みであり、しかし時にはなかなかに疲れたりもする。
抱っこと沐浴のやり方にも慣れてきた。おむつも変えられるようになった。特に沐浴は、そこそこ上達したような気がする。ポイントは、鷲田清一が言うように、耳を澄ますと言うこと。これは営業におけるクローズにも通じることだが、つまり相手の呼吸を聞き取り、そこに流れる空気に集中し、その身体の動きに添いつつしかしながら自分の持って行きたい方向にずらすということ。ただ、沐浴まではうまくいくのだが、ギャン泣きをされて全く寝付かなくなってしまうと、これはもう現段階では完全にお手上げ。
そんな時は、YouTubeで勉強をする。特にこの人の番組は大変勉強になる。妊娠中は夫婦で「夫が寝た後に」を参考書代わりに見ていたが、今はよりテクニカルなことを教えてくれるこのプログラムがオフィシャルな教科書。今日はこの動画で、びっくりするくらいゲップが自然にできるようになった。
仕事について。子供ができたから家族を養うために稼がなければならない、と思い込み、妙に肩に力を入れたり、嫌な案件も我慢して耐えしのんだり、というのもなんだか違う気がする。取り急ぎ、疲労が蓄積していることだけは確かなので、この辺りでうまくリリースしてあげないと結構キツくなってくる。
二十歳の頃、初めての海外、一人でサンフランシスコに行った。圧倒的な心細さと緊張感に包まれながら街を歩きつつ、人間は生きるという強い意志を持たない限りは死ぬんだ、ということをまざまざと感じた。これまでに国内外の著名人との仕事もしてきた。教科書に載るような人物との仕事もしている。ただ、誰ひとりとして二十四時間いつもハッピーという人になんて出会ったことがない。生活するということは、さまざまなモヤモヤを抱えながら、それでも前進していくということなのだと思う。『風の谷のナウシカ』のセリフではないか、人間の生というものは暗闇の中に一瞬だけ輝く光のようなものなのかもしれない。