COVID-19治療の今後の方向性を肝炎ウイルス研究者が考える
はじめに
僕は医者になってからずっと臨床をしながら肝炎ウイルス治療の進歩を真横で見てきたし、研究者になってからは宿主免疫・治療環境に適応したウイルスゲノム変異を専門にしてきたので、その観点から少し、今後のCOVID-19診療はどのようになっていくのかについて僭越ながら書かせてもらう。
結論から言うと、現在世界中の研究者がこの問題に取り組んでおり(われわれの研究グループも然り)、検査・治療に関してはいずれも急速な勢いで進歩し認可されていくであろうし、実臨床から重症化に関わる因子が抽出され、重症化予測のための適切なフローチャートが作成されるであろうし、感染者は最大限早期のうちに検査・診断される努力をし、その治療指針によって経過観察か治療適応かを判断する形になると思う(多くのウイルス治療がそうであるように)。これまでB型肝炎(HBV)、C型肝炎(HCV)患者数百人以上の治療をしてきた医者としての経験や、ウイルス変異を次世代シーケンサーで調べてきた研究者としての経験から、COVID-19治療について少しコメントしたい。
治療で大切なのは治療タイミング
抗ウイルス治療に関しては、現在話題のレムデシビルやファビピラビル(以下アビガン)をはじめとした、ウイルス増殖を阻害するポリメラーゼ阻害薬が主流になるのだと思っている。正直、抗ウイルス治療に置いて最も効率の良い治療法である。ただし薬剤を安全に用いる為の条件としては、ウイルス特異的に作用する治療薬であり、副作用がほぼないことが大前提になる。現状認可された、もしくはされそうな抗ウイルス薬であるレムデシビルやアビガンは、ポリメラーゼ阻害薬ではあるが、そもそも治療効果のエビデンスが不十分であり、かつ副作用が多く汎用性に劣り安全に使えるレベルではない。ただし、肝疾患診療をやってきた医者として、抗ウイルス薬の強力さ、安全さは身に染みてわかっていて、COVID-19治療においても抗ウイルス薬が非常に強力なツールになりうることは間違い無い。
前述のレムデシビルやアビガンは、最近のメディアを賑わしているが、そもそもがCOVID-19治療を標的に作られた薬ではない。効果も死亡率を下げるエビデンスはなく切れ味も悪そうで、また副作用(腎障害や催奇形性など)もあり、実際にこの薬を頼って治療していいのかどうか現時点では医療者にとっても判断が難しいところであり、重症例にだけ切り札的に投与する、ような印象を残しているかもしれない。実際に、中国で中止になった臨床試験途中結果報告やアメリカのNIHが主導で行われた臨床試験の結果から伺い知るに、劇的に効く薬では決してないであろう。が、そもそもポリメラーゼを治療標的とした抗ウイルス薬の適正な投与方法は重症化時点ではない。僕は肝炎ウイルス治療の専門家だが、例えば、すでに劇症化(超重症化)しているB型肝炎(病態としてはウイルス量がピークを超えてきている、宿主免疫応答が過剰に起こっている状態)に、ウイルス増殖を抑える抗HBV薬を投与しても焼け石に水みたいなところがある。なお、劇症肝炎・肝不全と診断された際の致死率は40−80%である。治療の結果、残念ながら致死的であったとして、その薬が悪かったのかと言われると、悪かったのは診断のタイミングや治療開始タイミングであることは間違いない。現状で、重症例に抗ウイルス薬を投与しても、致死率にはあまり影響がないのは、おそらく治療が進歩しても大きく変わらないのかもしれない。なぜならば、重症化段階に置いて病態メカニズムとしてもうすでに別のステージへ行ってしまっているため、抗ウイルス治療が無双する余地は残されていないのである。ポリメラーゼ阻害薬は、ウイルスが増殖段階という適切なタイミングで治療することが重要であるし、これは、B型肝炎ウイルスの再活性化の診断・治療のフローチャート(https://www.zenyaku.co.jp/iyaku/doctor/rituxan/pdf/HBVFB_1710.pdf参照)が主に、如何に早い段階で適切に診断するかに重きを置いていることからも明らかだと思う。
致死的なウイルス感染症に対する治療において、今後必要な武器となってくるのは、ヒトにはほとんど副作用のない抗ウイルス薬の開発と、適切なタイミングでの感染診断だと考える。現状で、軽症者を診断しても治療法が変わらないのだから、軽症者は重症化してからが医療の出番だとする考え方は抗ウイルス治療の観点からすると科学的には正しくないと言える。ちなみにこれは、信頼の置ける薬剤がない現状や、医療キャパシティに限界があるという今の現状は考慮せずに発言しているので、今現在の社会には適応しない考え方かもしれない。あくまでウイルス増殖を抑える抗ウイルス薬の使い方の一般論と思って聞いてほしい。
B型肝炎治療も、C型肝炎治療もポリメラーゼ阻害薬(核酸アナログ、チェーンターミネーター)が現在治療の主流であり、数多くの患者さんの命を救っている。薬剤開発は目まぐるしく、新薬に劣る過去の薬剤というのは儚くもすぐに忘れ去られ、一切使われなくなる。製薬会社の競争は激しく、治療効果が高く、副作用が少なく、治療期間が短い薬剤が残っていく。現在のアビガンやレムデシビルもすぐに忘れ去られる薬剤となるのは目に見えている。ただ、将来出てくるいずれの薬にも言えるのは、抗ウイルス治療は治療タイミングが非常に大切であるということ。タイミングを逸するといかに素晴らしい薬でも、治療中に患者さんが亡くなるケースは十分にありうる。抗ウイルス薬は万能ではないが、治療タイミングを間違えずに適切に使うことができて初めて非常に強力な治療となる。
PCR騒動について
ここで、PCR騒動について思うところを述べたい。PCR検査は、ウイルス診療において非常に重要な検査となる。ウイルス診療のPCR検査は、ウイルスのDNAやRNAをDNA化して増幅させることによってウイルスが存在するのかしないのかを調べる(定性検査)、もしくはウイルス量を調べる(定量検査)検査がなされる。PCR以外にはウイルス抗原蛋白を調べる検査や、ウイルス抗体を調べる検査がある。現時点でウイルス抗体を安定的に産生することができていないため(ユトレヒト大学で実験室レベルでは中和抗体が産生されたという報告がある)、COVID-19においてはインフルエンザチェックで行われるような抗原定量・定性検査キットは存在していない(2020/5/12追記、ユトレヒト大学で初めて作られたのは中和抗体で、中和など関係ない抗体と混同しておりました。なので、5/13に抗原検査キットが初薬事承認とのことです)。将来的には出てくるのかもしれないが、臨床におけるこのウイルス疾患のスピード感を考えると、抗原量が十分な段階で診断するよりも、感染初期段階でゲノム増幅をさせることにより診断できるPCR検査のような検査が主流になるのは理にかなっている。なお、B型肝炎ウイルスではPCR検査で診断できるウイルス量は抗原検査の1/100-1/10であり、初期診断にはPCRが有用である。PCR検査の問題点は検査精度やサンプリング法である。現時点では、有効で初期感染段階のうちに投与できる薬剤が不十分なため、軽症者を診断してもしなくても治療方針には影響ない(まぁ要は対症療法以外に治療はない)ため、自宅に閉じこもっておけ、という意見が多く聞かれる。ここに関してはセンシティブな問題で、ウイルスに感染していることを把握したい患者側と、十分な治療薬が与えられない状態でウイルスをばらまくリスクを抑えたい一部の医療者の間で衝突が起こるのは理解できる。将来的な方向性としては、安全に投与できる治療法の開発が進み、重症化しうる軽症者を囲い込むための重症化リスク診断の開発が進むことが予想されるため、軽症者や無症状者をいかに早期に診断するかという方向性へシフトしていくことになるであろう。検査手法として、PCRを超えるブレイクスルーが生み出される可能性もあるのかもしれないし、より安全に周りにウイルスをばら撒かないサンプリング法が生まれるのかもしれないが、やはり安全なサンプリング法でかつ検査の精度を上げていく努力をしていくことは重要である。軽症者は家で寝とけというつき放したようにも思える考え方は、あくまで手段がない今の現状であり、そこは今後の展開次第で柔軟に考えたいところだと思う。
抗ウイルス薬の問題点
治療の問題点についても述べたい。B型肝炎、C型肝炎の治療で(抗HIV薬においても)大きく問題になったのは、薬剤耐性株の出現である。ウイルスに変異が入るタイミングはウイルスゲノムの複製時であり、ウイルスはヒトの細胞などと比べて非常に増殖能力が高いため、短期間で容易に変異を起こしうる。置かれた環境の中で最も生存に適したウイルス株が選択的に増殖していく。多くの人はウイルスの変異という言葉を極度に恐れているように思うが、正直、現在の野生株が最も増殖効率が高いため、現在の形でプラトーに達して広がっているのであり、変異型は野生型に劣ることが多い。具体的には、変異株がある特殊環境で増殖しても結局その環境がなくなれば直ちに野生株が主な比率に戻っていくことがしばしば経験される。ただ、置かれた環境に応じてウイルスはしたたかに変異を起こすことは確かである。これを選択圧を受けて変異するという表現をするのだが、実際にB型肝炎では免疫環境が弱まるとその免疫環境をすり抜ける液性免疫に対するエスケープ変異株が増殖することが経験されるし、薬剤投与中に最大限ウイルスを押さえ込まないと、その薬剤投与環境を選択圧として容易に薬剤耐性株が出現する。このような薬剤耐性株を出現させないように、治療としては複数の薬剤を同時に使用して、一気にウイルスの消滅を図るようなコンセプトでHCV治療はなされる。薬剤Aに対してはpの確率で薬剤耐性が出現する、薬剤Bに対してはqの確率で薬剤耐性が出現するとして、ある1つのウイルスが同時に薬剤耐性を得る確率はp×qとなり、確率的にはほぼ0に近くなる。COVID-19治療に関してもこのような多剤治療が将来されるかもしれないし、そもそもこのウイルスの薬剤治療期間は上記のウイルスよりもかなり短い期間になるので、薬剤耐性はさほど大きな問題にならないことも予想される。あと、ワクチンエスケープ変異株が出現することはある。B型肝炎ウイルスが潜伏感染した肝臓を、生体肝移植した際に、グロブリンやワクチン投与をすることがあるが、ある程度の期間、弱まった宿主の液性免疫とウイルスが共存する環境下において、ワクチンによって作られた液性免疫をすり抜けてウイルスが活性化することが報告されている。そういった環境で増殖したウイルスは大概ワクチンから逃れるエスケープ変異を持つことが知られているが、実臨床でワクチンエスケープ株には抗ウイルス薬が効くので大きな問題になることは少ない。そして、現状SARS-CoV-2は長期間潜伏しないと考えられるので、ワクチンエスケープ変異株が心配になることはないと思われる。
以上、将来的には安全で有効な抗ウイルス薬が開発されるであろうということ、またワクチン開発も同時に進んでいくであろうということ、そして、今の臨床家達には受け入れがたいかもしれないが、適切な治療タイミングを逸さないように感染を早期に診断する検査ツールの開発を進めていくべきだということ、これらが揃うことにより、今後積み重ねられる臨床エビデンスからも治療タイミングについての考察が得られ、診断・治療のフローチャート(治療ガイドライン)が完成され、今よりももっと腰を据えてこのウイルスと向き合える状況になることが想定される。