庵野秀明監督作品 映画『式日』について

庵野秀明監督(『新世紀エヴァンゲリオン』、『彼氏彼女の事情』、『ラプ&ポップ』)による映画『式日』のDVD化が2003年中に予定されている。
http://shikijitsu.ube.ac/index.htm
この映画では、岩井俊二監督の演ずる監督と、この映画の原作者(原作名『逃避夢』)でもある藤谷文子演ずる女性の出逢いから1カ月の間が描かれる。
岩井俊二監督の演ずる監督とは、どうみても庵野監督である。ダイアローグによる物語に平行して、監督のモノローグが挿入されるのだが、その内容は構築性の高い作品(アニメ)をつくって、いきつくところまでいって煮詰まった後で、その構築から外に(実写へ、そして演劇へ)出る方法を模索していることが表明されるのである。
一方、藤谷文子の演ずる女性は、スキゾフレニーの兆候があり、家庭環境や人間関係から逃れようと、独自の世界を構築し(その美しさは映像を見ていただくしかない)、この中に閉じこもるのである。
監督のモノローグを聴きながら、私は岩井監督に庵野監督をオーバーラップし、さらに構築という言葉から柄谷行人の<隠喩としての建築>をオーバーラップさせていたのである。
柄谷行人は、形而上学を建築に見立て、ロジックによる構築性の徹底的な追及の果てに、脱構築的なオープンスペースに出ることを望んだのである。
しかし、この外に出るための闘争は、連戦連敗になることが宿命付けられており、外に出た瞬間に、それは言語化され、形而上学のシステムに再回収されるようになっているのである。
だから、さらなる外へ出なくてはならないのである。
おそらく、庵野監督にとって『新世紀エヴァンゲリオン』はロジックによる構築性の徹底的な追及であり、それから逃れるように他人の原作(津田雅美原作の『彼氏彼女の事情』)に向かい、さらに実写(村上龍原作の『ラブ&ポップ』)に場所を移動したのだと思う。だが、移動した実写でも完成度を上げてしまうと、さらなる外への移動が必要になるだろう。
自由とはそういうものである。

(初出 匣の中の匣)2003/04/18(Fri) 09:56

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