持ち家を欲しいと思わなくなった話
実家が古い木造建築の一軒家だった。
子どもの頃は、掃除も大変だし床は冷たいし隙間風も寒いし、嫌だなーとずっと思っていた。なにせ古い日本家屋っていうのは無駄な部屋が多い。床の間だとか客間だとか仏間だとか。なのに何故か私の専用部屋はなく、プライバシーの無さと家族との居心地の悪さに家出を決意したモノだった・・・中学生の時の夢は『ただただ家を出たい!!』なんていう可愛くない子どもだった。そして、いつか適当なマンションを買って・・・と思ってた。
むしろ18歳から一人暮らししてるもんで、20歳くらいの頃に家賃払うのがバカバカしすぎて、中古のワンルームマンションを一部屋買って、引っ越したり結婚するような事があれば内装だけ特化して(壁を全面黒にしちゃうとか、ピンクにしちゃうとか、万人受けはしないけど特定受けする部屋)賃貸に出して・・・割と借り手も常に見付かるのでは??という思考もあった。
今思えばこの思考自体は悪くなかったかな。一応中古のマンション探しとかも軽くして、非現実的ではないなーと思ってた。問題はバリバリの飲み屋・夜職だったもんで、ローンが組めない事だった。現金一括で払うまでは大変だし、税金などを考えたら考えるだけでしんどくなってしまい、『もともと大それた夢なんてない人間だった。今一人暮らしを継続出来ているだけで、家を出たいという夢は叶っているじゃないか。』と、その夢を叶えている代償として捨て金とはいえ家賃を払い続ける事を自分の中で良しとした。
田舎から都心に出てきた人なら一人暮らしで家賃を払う、なんて事は捨て金だとすら考えないと思う。ごく当たり前の事だと思う。
ただ、私は元々出身がかなりの都心部なので、周りの人間も一人暮らしの人がめちゃくちゃ少ない。三十路を越えた今でも、同級生達はみんな実家暮らしだ。結婚しても実家に住んでる人が多い。だからこそこの思考の苦労が生まれるんだよな~そりゃあ元々便利な土地に生まれたのに、わざわざ家賃払ってまで一人で住みたいとみんなは思わないのでしょう!わたしも貧乏だしそう思う!!ただ、それよりも実家に居る時の地獄的な気持ちよりも家賃を投げ捨てる方が私にとっては大事だった、ってだけだ。
それでもいつかはマンションを買って・・・っていう気持ちが、ふと今考えたら自分の思考から消えていた事に気付いたのです。
三十路を超えたら『もし結婚したら・・・』とか『いつか持ち家を・・・』なんて思考が軽々しく出来なくなった。二十歳の時と同じようには勿論考えられない。それを未だに夢を見続けて、軽々しく考えれる同級生だって周りには数人いる。でも私はそんなに夢見がちな性格ではないので、すぐに現実を見てしまう。
今、目の前にない事は考えなくなったのだ。
ああ、だから持ち家が欲しい、という思考はすっかり消えたんだなって。
目の前にない『何か』を妄想して無駄に考えるよりも、今の目の前にあるものだけを考えている。
ずっと独身なら賃貸がいい。気楽に引っ越し出来る身軽さの方がなにより大事だ。
本当に何もかも嫌になってしまっても、違う土地に行けば見える世界も変わるだろうし、都会に本気で疲れたら田舎で農業するのもアリだろうし、東南アジアの物価の安い国で嫌いな寒い冬を過ごさずに生活してもいいかも知れない。
そんな思考に自然になっている自分に気付いた。
独身の女は高齢になると賃貸を借りられない、なんて話もよく聞くけれど、それはまだまだ随分先の話で、それこそ結婚してるかも知れないし、逆に死んでるかも知れない。そんな全く見えない先の事を考えて生きる必要はないんじゃないかな。
こんな小さな事でも自分の中で少しの成長を感じる。見えない事ばかりを心配していた私は、ずいぶん良い意味で鈍感になってくれてるみたいだ。