私が体験した熊送り、そして図書館、イザベラ・バード 2 花のカメラマン 土屋 忠紀

図書館には北海道大学付属図書館や北海道立文書館などいろんな図書館があり、私は現場労働者出の歴史にはズブの素人だから怖いもの知らずで、司書さん学芸員さんらに聞いて回った。

「伊達の風土」という冊子に出会い有珠の近所の人で「有珠は何も歴史が残っていない」となげいているのを知り、札幌にいるあいだできるだけ資料を集めようと思った。
熊のことを書いた本、アイヌ人の人々からの聞取り本など手当たり次第に見た。

昔近所にいた人、知っていそうな人に電話や訪ねて聞いた。
「オマエ来るのが 10 年遅い」と叱られた。

熊送り(イオマンテ)は禁止されていたが時の高官や皇族などへの接待や後世へ記録として映像を残すため行われていた。山猟での記録もあった。

有珠アイヌ人の狩り場は大滝や久保内で岩屋の送り場には熊の頭骨がたくさんあったようだ。
この近くの温泉を拠点に夏から秋、川漁や鹿や熊などの山猟をしていた。もちろん温泉に入っていた。
その温泉を伊達の人と酒一樽と交換しその権利を渡した。

熊猟は 2 週間以上も山に入るので、親子兄弟など気心の知れた 2~3 人だ。熊が冬ごもりする 前の秋のうちに見当をつけそこを歩くのだ。

熊が入っている横穴は、かすかに雪が融けていて、 犬の嗅覚で探すのだ。山猟の熊送りは飼熊の熊送りと違い派手さはなくひっそりと行われていた。

サンケオドの右上に住んでいたキミちゃんが上からのぞいたら「女は見るな」と怒られた。
熊の 解体やイナオ作りは女人禁制なのだ。
私の姉は「宴にはいつも花札をしていた近所のおばさんもいた。」と言っていた。

虻田ウタリ(旧)支部長は、「サンケオドは金を持っていたから普段食えない菓子も貰えるので楽しみだった。何回も虻田から歩いたり船でも行った。最後男は刀を持ち、 女性も全員で踊った。」と話してくれた。
我が家は有珠駅前に引っ越したが、サンケオドの家の 近くを通ると家の東側に熊の頭骨が木の上に 2 個のっていた。


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