【カンボジアの学校へ行こう!41】 #カンボジアの学校保健の歴史をつくっている#海外の真似をする必要なし#熱血先生応援プロジェクト(空回りしない)
◾️ フェーズ2、2年目。プロジェクト自体は5年目に
コロナの厳戒態勢に入る直前に始められたカンボジアでの「学校保健プロジェクト」も5年目に突入しました。昨年末までに、カンボジアの後発開発地域の一つである、南部タイ国境地域コッコン州の10中学校の教員たちと一緒に、コミュニティーの参加を得ながら、(正直、日本の教育界でもマイナーと言える)「保健」分野の普及に努めてきました。
その経験を元に、今年2024年の1月から、残りの22中等学校(州32全中等学校)にターゲットを拡張。教員研修「フェーズ2」1年目は、先ずは教員たちを対象に、保健室設置と運営、「紙芝居」を使った保健授業、衛生環境などの保健活動に関する基礎的な研修に専念して来ました。
◾️ コミュニティー参加型保健活動
研修2年目となる今回の研修からは、各学校から「地域協力者」にも参加してもらい、コミュニティー参加型保健活動の実践に取り組んでいきます。
実際に、昨年一年、教員と生徒で学校保健委員を展開して来ましたが、その中でも「健康な食生活」、「学校菜園開発」、「地域病院との連携」、「地域清掃」については、コミュニティーの協力なくしては達成できません。
先ずは、地域の人たちにも保健の大切さや、実際に保健活動に参加してもらうことが大切です。そこで、4月7日の「世界保健の日」に、各校で地域の人を招いて保健イベントを開催する計画です。今回の研修では、フェーズ一で実施てきた地域保健イベントについても紹介しました。
◾️ 新たなる挑戦!
フェーズ1での経験を元に、団体では「ミニマム保健室マニュアル」を作り、全国の僻地でも設置できる保健室、保健授業および保健活動のモデル例を作ることに成功した。しかし、課題は残っています。
「生徒たちによる自主的な保健活動」が行われて初めて、持続可能な学校保健が学校に定着した、と言えるのではないだろうか。もしかしたら、まだ日本の教育現場でさえも、多くは実践されていないかもしれない。。。
◾️ 生徒主導の保健活動にむけた特別講演
フェーズ2の研修では、毎回フェーズ1(10校)から、保健担当教員に参加してもらい、自校での成功例と、その背景にあった失敗や苦労した点、改善点について共有してもらっています。
今回の研修では、過去キズナの事業でリーダーシップ研修に参加してもらい、ミャンマーではコミュニティー参加型の学校開発を見学し、昨年の全国中等学校では、全国3位に表彰されたプレアビヒア州のサンクントメイ中等学校校長に講演を依頼しました。政府の学校評価については、まだまだ「見た目」で評価されることが主流なため、通常ドネーションを受けやすい都市部の学校が受賞しがち。そんな中で、キズナが支援する僻地の2校(当校とコッコン州離島の学校)が、全国のモデル校に選出されたのは快挙!!学校とコミュニティーの協力の賜物。
サンクントメイ地区は、プレアビヒア州の中でも際僻地の陸の孤島に位置し、コロナ時にはパンデミックも起こり完全に外部と遮断されるという事態に晒されました。そんな中で、リートン校長は、教員と生徒、コミュニティーをリードして、広大な校内のグランドを農地に開墾。養鶏や淡水魚の養殖を行うなど、学校を中心として地域社会を危機から回避させました。現在も公立学校ながら収益を得る学校として脚光を浴びました。
もう1名の特別講演は、同じ日本財団助成の保健支援活動として、カンボジア教員養成大学の学校保健教官養成プロジェクトのプロジェクトリーダーである、朝倉隆司 東京学芸大学名誉教授に講演の機会をいただきました。
朝倉教授には「日本の学校保健の歴史と成り立ち」について特別講演を頂きました。講演を依頼するにあたり、教授には、昨年度の保健プロジェクトの弱点であ保健室の活用と保健活動にテコ入れをするため、日本の学校の保健活動の例を紹介していただき、それを参考に導入していきたいという希望をお伝えしていました。
しかし、実際に明治、大正、昭和、平成。。。といった100年に渡る、日本の学校保健の変革についての講義をうけてみると、
◾️ 歴史はいま作られている
本当にカンボジアで「学校保健」という教育を文化に反映させていくためには、グローバル化が進む中で、実際に起きているカンボジアの現在社会における健康格差や、健康課題を、研修に参加する大人たち自身が、的確に把握することが始めに取り組むべきことであり、保健活動として何を行うかは、その次に考えていくべきだということを強く感じることができました。
プロジェクトに関わっていると、どうしても短時間で目に見えるようにすることを考えてしまいがちです。教師たちと試行錯誤で取り組んでいる5年間というのも、正にカンボジアにおける学校保健教育の歴史を作っている過程であるということだと思います。
日本における学校保健教育100年の歩みは、華やかなものとは言えませんが、原発事故やコロナの非常時には、全ての国民が、義務教育の中で保健の基礎教育を受けていたおかげで、整然と乗り越えることができたと思います。カンボジアでコロナ禍を過ごした中で、日本の教育の素晴らしさを強く感じました。
朝倉教授が講演の最後に残した言葉。
カンボジアの教師が誇りをもって、学校保健の授業に取り組み、いつか青年たちが、保健教育の重要さを振り返ってもらえるよう、保健委員会の普及に努めていこうと思いました。