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人生会議に参加した

人生会議とは

就活やエンディングノートを作成しているという話はよく聞くようになったが、人生会議はあまり耳慣れない言葉だ。
私は昼間の情報番組を視ないからかな。

たまたま出かけた図書館で掲示されていた催事のチラシの中に案内があったので申し込んだ。
主催は市内外の医療機関で働く看護師のグループ、会場は市内の寺の本堂だった。

役所主導だったりすると医療費削減ね、などとついいやらしい勘繰りをしてしまうのだが、ただやればいいというようなお仕着せな感じがなかった。
現場で高齢者の医療や介護、生死と向き合う、若い看護師たちの誠意を感じる良い会だった。

人生会議とはどういうものかについて関心を持たれた方はリンク先をお読みいただくとして、ある程度の年齢になり介護に携わったり自らのゴールが近づいてくれば、多少なりとも「これからどうしようか」と考えたり、具体的に行動すると思う。
私とて本を読んだり人と話したりもする。
にも関わらず、自分がすごく漠然とした知識しか持ち合わせていないのに気づいたのは収穫だった。

延命治療はしません


例えば「延命治療はしません」
自らの経験から、この言葉は一人歩きしているとつくづく思う。


私は父が亡くなる二日前に主治医と今後の治療について話した。

2020年8月コロナ禍で、遠方から来たのだから、という病院側の情けでどうにか面会が許された状況だった。

主治医は、片側が真っ白の父の肺のレントゲン写真を前に、誤嚥性肺炎を繰り返しているが、意識がはっきりしていて認知症がないので、胃ろうは可哀想だと言った。
どうにか口から食べられるようになれば…
延命治療はされますか?と尋ねられたのでしませんと答えると、それがいいと思います、と言われた。

この時点で私は医師の言葉を、口から食べられるようになりさえすればいいのだ、と受け取り、近いうちに死ぬと思わなかった。

主治医と話した後、担当の看護師に明日も面会したい旨伝えた。
看護師は胸の前で大きく忙しく手を横に振って、とんでもない、遠くから娘さんが来たので特例で面会してもらったけれど、もうできません、と言われた。

それで私はますます、まだ死なない大丈夫なのだな、と思った。
今にでも死にそうな患者の家族にこんな非情なことを言うはずがないと思ったのだ。

おり悪く、夫が人工股関節手術の後で退院間も無く、自宅リハビリが始まっていた。
介助や支援が必要だったが父の病状を確認するために家を空けざるを得ず、やむなく一人で留守番してもらった。
そちらも心配で、面会できないならしようもないので取り敢えず家に帰った。

その二日後の訃報である。

電話をしてきた看護師長は、食欲が出てきてプリンを食べさせている時に誤嚥性肺炎の発作を起こした…延命治療はしないお約束でしたので…と言った。

詰まったプリンを取り除くのは延命なのか?
わからない、いくら説明されても。


とあるわりと信用できる医療従事者の専門サイトで、救急医療に携わる医師の記事を読んだことがある。

延命治療をしない意向の施設に入所している高齢者が、夜間救急車で運ばれてくる。施設は覚悟が足りないのではないか?と疑問を投げかけていた。

これに呼応したものではないが、私は訪問先の施設でこんな話を聞いた。
延命治療をしないと家族の同意を得ている利用者…しかし、一人の夜勤帯に高熱を発したので救急車を呼んだ…
搬送先で追い返されたという。

「延命治療はしません」
この言葉は深く重い。

自分はどうしたいのか?という最重要命題は自分のためであって自分のためだけじゃないのである。

もしバナゲーム

さて話を人生会議に戻して。

今の時点で自分の終末期に大切にしたいものが何かを、かんたんなカードゲームで知ることができる。
あまり楽しくなさそうな「もしもの時」について、家族や親しい人たちと語り合うきっかけになるという狙いがあるようだ。
「4人用ルール(ヨシダルール)」というのを行った。

もちろん、ゲームから導き出された結果は絶対ではなく、日々変わる事もあれば変わらないかもしれない。
他のメンバーが選択したカードやその理由を聞くことによって、新しい価値観を知ることができるかもしれない。
どのカードを選択したかは知らせなくても良い。

ルールはリンク先をお読みいただくとして結論だけ申せば、選択した三枚のカードが今この時の自分の気持ち、ということになる。

ただ、トランプのように同じ札が複数ないので、自分の気持ちにぴったりなのが誰かの持ちカードで、手放されなければ自分の手に入らないから、そんなに深く考えずとも良い。
選択肢が少ない方が吟味しやすい利点もある。

私の人生初の!結果は…

①不安がない
②家族が私の死を覚悟している
③穏やかな気持ちにさせてくれる看護師がいる

①を選んだのは、総括していると思ったから。まるッとまとめた。
②は、夫と二人暮らしなので私が死ぬとき夫に覚悟しておいてもらいたいから。
③は、信頼できる有能な医師が主治医でも始終ついているわけじゃない、ランプが鳴ったら駆けつけるだろうけど。
温かな友人知人もたまに見舞いに来てくれるかのがせいぜい。
病院でも自宅でも介護施設でも、看取りとなればたいていそばにいてくれるのは看護師さん…というわけで。

また機会があれば人生会議に参加したい。

※ヘッダー画像はりょーこ【グラレコ✖️理学療法士】さんよりお借りしています。ありがとうございます♪

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