アンノン族
いつも楽しませていただいている北楠清名さん【死語現禁】
今日は、"アンノン族"
このキーワードが登場するこちら
好きなんです…この歌。
1976年発表ですが実際によく聴いたのはもう少し後でした。
1980年ごろに、熊本の友人を訪ねて九州一人旅をしました。
長崎にも足を伸ばしグラバー邸を訪れたりオランダ坂を歩きました。
この歌を聴くとあの旅を思い出しますねえ…
✳︎
アンノン族と言うように、an・anとnon noは女性ファッション雑誌として一括りにまとめて言われていました。
けれども、傾向はまったく異なっていました。
an・anは、ファッションだけでなく、ライフスタイル誌、エンタメ誌でもあり、non noはカタログ的なファッション雑誌と捉えていました。
掲載されていたブランドやモデルやスタイリストやカメラマンも、(あまりその辺詳しくないのでイメージだけの話しかできませんが)、異なっていたように思います。
私は高校生の頃にan・anに掲載されていたコムデギャルソンの服に魅了されて、ひとり青山ベルコモンズを訪れました。
けれども、とうとうその重たいドアを開く勇気がなく、入店しないまま帰った思い出があります。
高校卒業後百貨店に入社して婦人服飾雑貨部の配属になりました。
デザイナーズブランドのセレクトショップの担当になると、なんと、コムデギャルソンを取り扱っていたので、ほんとうに嬉しくて夢のようでした。
1978年当時コムデギャルソンは新進気鋭のブランドで、木綿やウール、麻などのオリジナル素材を使い、黒、白、グレー、紺の無彩色の前衛的なデザインの服を作っていました。
それら好んで着る人たちは"カラス族"と呼ばれていました。
メイクも色味のついた口紅は塗らず、男に媚びない服、と意識されていたように思います。
ちょっと近寄りがたい感じはしたでしょうね…
しかし、オーバーサイズに見えるコムデギャルソンは意外に華奢な女性的なラインで、小柄な細い人によく似合いました。
私は当時太ってはいませんでしたが、骨太で平べったい身体つきをしていたのもあって、残念ながらあまりしっくりしませんでした。
その後追随する大小のブランドやメーカーにコピーされたため、コムデギャルソンはモノトーンから脱却しました。
今では私にはとても手の届かないブランドです。
アンノン族から、懐かしいお話をさせていただきました。
最後までお読みくださり、ありがとうございます♪
※グラバー邸の画像はshiny_impala614さんよりお借りしています。
ありがとうございます♪