陶芸家は壺を叩き割るのか?
オーディブルのオススメに上がってきた。
有吉佐和子さんと言えば"恍惚の人"が、高校のころにベストセラーになった。
私は著作を読んだ記憶がない。
様々な原作がドラマ化したのも視ていない。
にも関わらず『青い壺』のどの章も既知感のある内容だ。
もしかしたら知らぬだけでテレビドラマのネタになっていたのかもしれない。
うまく説明できないのだけれど、こういうことはないだろうか。
例えば古い映画"男の女"のワンシーン、レーサーである男が遠方の恋人に会いに行くために、土砂降りの雨の中車を走らせている。
ワイパーは全開、雨は容赦なく行く手を阻む。
焦燥感と同時に、切なさや甘い期待、激しい恋心もビンビン伝わってくる。
何も言わなくても『大雨の中ワイパー全開で車を走らせていたら恋人に会いに行く』はお約束になっていないだろうか。
単に個人的な思い入れ?
話を『青い壺』に戻して、
第一章は、ある陶芸家の手により青い壺が誕生する、プロローグ的な小話である。
青い壺は狙ってできたのではなかったが会心の作だった。
しかしそれを骨董に見せかけて売らんと持ちかけられて手放してしまう。
陶芸家は、気に沿わない作品は自ら床に叩きつけて壊していた亡き父を回想する…
同じ道を歩んだ自分は決してそんなことをするまいと誓っていた。
だから青い壺を割らなかった。
そのおかげで物語は進展し意外な結末を迎える。
この、陶芸家が駄作と感じた自作品を床に叩きつけて壊す、って、高名な陶芸家あるある話だと思いませんか?
そんなことはほんとうは滅多にないことかもしれないし、人前じゃやらないだろうし、誰に確認したわけじゃないが、陶芸家はそういうことをすることになっている、みたいな。
作家がこの物語を上梓する以前にあったエピソードなのか、はたまた、この小説が広く読まれたことによって定番になったのか?
小説『青い壺』では、これの他にもあるあるエピソードやステレオタイプが満載である。
退職してから無気力になった男が元の職場を訪れ当たり前のように席について仕事を始める…
両親存命中の子らの捕らぬ狸の皮算用のような遺産相続争い…
かつてのインテリ女学生たちの半世紀後の同窓会における各種エピソード…
失明しかけている老母を引き取り同居する娘と母の美談だけじゃないバトル…
戦前の政府お役人夫人の絢爛豪華な昔語り…
イマドキの若者との世代間ギャップなどなど。
どの章からも「ある人物」や特定のシーンを思い描くことができる。
戦争が終わってかつてと価値観のガラリと変わる中で逞しく日常を生きる人々を、少しシニカルな視点でもって描写している。
全部の中で親近感を抱いたのは物語の本筋とは全く無関係な病院の掃除婦のエピソードであった。
登場人物の中では、掃除婦は庶民である私にもっとも近いゆえに思う。
私はこんなクレバーじゃないけれど(笑)
※ヘッダーの壺の画像は マキさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪
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