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草抜きメインの庭仕事の話

三日連続で夫を見送ってそのまま庭の草抜きをした。
時計を見なくても一時間ほど経つと、この辺でやめよう、と言う気持ちになる。

もっと若い頃は、草抜きがたまらなく嫌だった。
この家に住む限り草との格闘が続くのかとうんざりした。
それが、いつの頃からかそれほど嫌でもなくなった。
やり方を変えたせいかもしれない。

南側の庭には松や梅、椎木などの雑木が植栽してあり、サツキと庭石とで和風にレイアウトされている。
一面に5立方ミリ程度のサイズの滑らかではない化粧砂が敷き詰めてある。
ある程度雑草避けにはなるが、生えないと言うわけではない。
冬の間土の中で養分を蓄えた草が、陽気に誘われピンピンと芽を出し始める。
草の名前など調べたこともないが、放っておくと細く長い幹を伸ばし、ピンクっぽいラベンダー色の可憐な花をつけるのがある。
ワイルドガーデンなら、そのままでもそう悪くないように思う。
和風の庭園に設えた庭にはそぐわない。
気温の上昇とともに自然に枯れるから、それを待てば良いが、その間庭に雑草が蔓延っている、ということになる。
結実させて枯れるまで放置すれば草の思惑通りに、タネが落ちてよく年はさらに繁殖する。

それ以外に、育つと大株になって、力任せに抜くと大きな穴が開いてしまうのもある。
ピンピンピンピン芽を出すが、若いうちならわりとスポッと抜けて根が荒いので泥がつかない。
だけどびっしり隙間なく生えてくる。

元々竹林だった土地に家を建てるために造成したときに、執拗にローラーを往復させ地盤を固めたと聞いた。
養分が少なく硬い土で、庭木の成長が悪く、草も生えにくい。
生えにくいところに生えてくるようなヤツだから、丈夫で強い種類なのだと思う。

これら敵をやっつけるのに、以前はクワのような道具で掻き取っていた。
抜いていたのでは追いつかないと思った。
掻き取った後、バレンで掃いて集めると、化粧砂も根についた泥も一塊になった。
そのまま捨てれば、化粧砂は減るし、泥が減って庭が痩せるし、可燃物ゴミに小石のような砂や泥を混ぜ込むのは気が引けた。
だから、バケツに水を張り、集めたそれらをぶち込んでぐるぐるかき混ぜ、砂と泥と草の残骸を分離させた。
草の残骸だけザルのような道具に取り出して、日に当てて乾かしてから可燃ゴミに出した。

なんとまあ、ご苦労なことである。
こんなことを、草が生えるたび年数回くりかえしていたら、行く末を悲観するのも当たり前だ、と今は思う。
ただ、この方法の良いところは、いっきに片付く点である。
体力がいるが、ダラダラと長引かずやり終えた達成感も味わえる。
数週間、数ヶ月は庭の草のことを忘れて過ごすことができる。

けれども、年と共に体力は衰え、一連の作業を丸一日かけてやり通す、気概も根気も損なわれ出した。
そうとは言え、その季節ごとに草は生え、見ないふりをして暮らすことはできない。
義務感で行ってきたように思うが、いつしか庭を愛でるようになった。
愛着が生まれた。

草は掻き取る、から、引き抜く、にシフトした。
できるだけ負担を少なく体力を温存しながら、毎日エリアを決めて少しずつ手で抜く。
全体は綺麗にならないけれど、やったところはスッキリしている。
小さな達成感を毎日味わう。
小一時間、朝の陽に当たるのも、骨が育っていいかもしれないと思う。
物は考えようだ。

一週間もやれば、小さな庭は見違える。
梅はもう小さな実をつけている。
モッコウバラも白い花がたわわに咲くだろう。
サツキは花を見る前に丸く刈り込んでしまう。
ジグソーを使うのが楽しみだ。


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