騙されやすい私
先日
点いていたテレビで嘘をテーマにした番組が始まったので視た。
行われていた実験は、一見幼気な子どもに嘘をつかせるように仕向けていると感じたが、よくある普通の心理実験なのだそう。
実験の内容を正しく伝えられる自信がないので割愛させていただくが、なるほど、たいていの子ども(3歳から7歳)は状況によっては当たり前に嘘をつくのだと知った。
学童クラブで喧嘩や揉め事が起きた時に、つかみ合う双方を切り離してお互いの言い分を語らせることがある。
専任の先生に丸投げして私はやらないが。
するとほとんど辻褄が合わない。
どの子も自分に都合の良いことを言う。
先生方はわかっていて、真実を探り出そうなどと思っちゃいない(と思う)
嘘だとわかっていても、頭ごなしに叱りつけたり押さえつけては子どもは納得しないだろう。
言い分を聞くのは儀式のようなものなのか…
番組によると、この実験において子どもが嘘をつくのは普通のことで、嘘を見破られないように嘘を重ねるなどから学齢ごとの成長が見えるのだそう。
親には嘘をつくなと厳しく教えられたが、ある程度の年頃になればそればかりではうまくいかないことを知り苦々しく思う。
通過儀礼のようなものか。
かと言って嘘をついて良いと教えられてはならないだろう、真っ当に生きていくためには。
相手を思いやる故につくホワイトライ(良い嘘)の実験もあった。
子どもと先生に扮した大人とでお互いの写真を撮り合うという設定。
マスクを外した先生の鼻の頭に赤いポッチが描いてある…先生は気づいていないようす。
子どもはそれを本人に伝えるか否か?
解説によると、相手に恥をかかせるのを避けるために伝えないことがあるという。
これは相手を思いやるホワイトライ(良い嘘)で、人間的成長の証らしい。
(うーん、と私は唸ってしまう。
相手を思いやったわけじゃなく、面倒を避けたってこともあるだろう。
伝えられて一番最初に感じる恥ずかしさは伝えた人に対してなのだ。
場合によっては逆ギレして八つ当たりされるかもしれない。
自己保身のため伝えないと言うことは大いにありうると思う。
特に大人より立場の弱い子どもが相手の落ち度を指摘できるとは考えにくい、私としては。
私のこの考え方の是非はともかく、今このタイミングでそれを持ち出すのは野暮なのだろう。
消化不良や尻切れトンボをやり過ごせなくちゃこの手の話は楽しめないのだ。)
番組後半では嘘を見抜けるか?について検証していた。
この頃になるとだんだん飽きてきて、記憶もますます曖昧なのだけれど、
人間は仲間と共同して生きるために、人を信じるように設計されているそうだ。(トゥルース・デフォルト)
そのためオレオレ詐欺のような犯罪に引っかかってしまうという。
(あれももっと複雑なものが入り混じっているように感じるが…)
また、目が泳いでいるなど、目を見れば嘘を見抜けるというのは世界共通の認識だがあまり当てにならないらしい。
嘘は54%の割合でしか見抜かれないと言うことだった。
ほぼ半半だから、当たるも八卦当たらぬも八卦の世界だな、つまりまじない(笑)
そこで私はハタと考える。
嘘を見抜くとはどういうことだろう?
誰かの話を嘘くさいと思っても、それを伝えなければ見抜いたことにはならないのではないか。
腹の中でうそつきうそつきうそつきうそつき!と唱えていても(笑)
それじゃあ見抜いたか見抜いてなかったか本人以外には分からないから、見抜けるとか見抜けないとか、たいした意味はない。
見抜いたことを伝えて初めて見抜いたと言えると私は考える。
そういう意味じゃ私は全く嘘を見抜けない。
騙されやすいと言える。
オレオレ詐欺に気をつけなくては!
Instagramについて、どうせ嘘をアップしていると言う人がいる。
わりとたくさんいる。
私はデフォルトでは本当のことを言っていると思って見ている。
まんまと騙されている。
商売がらみでもない素人のインスタの記事が嘘でも本当でも私にはなんの関係もないからどうでも良いのだ。
嘘だとも思わない代わりにそう信じてもないのだ。
それよりも、大袈裟で嘘くさく紛らわしい広告を疑い倒している。
それは商売だもの仕方がないという、資本主義の申し子のような声もついでに疑っている。
※ヘッダーはTomo館長さんよりお借りしています。
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