母の日の迷子
母の日を純粋に祝えないなんて親不孝者だ。
そう思う人と、私はそう長く付き合いを続けられないだろう。
純粋に感謝し、労ることの出来ていた頃が懐かしい。
はじまりは持ち物がゴミ箱の中に捨てられていた日かもしれないし、渡したプレゼントを初めて喜んでもらえないどころか怒鳴りつけられた日かもしれない。
少しづつの違和感と、傷はふわふわしたかき氷の氷くらい軽くて、降り積もると抱えきれないほど重たい。
出来ないことがあって怒鳴られるのも、叩かれるのも普通だと思っていたし、物が捨てられるのも仕方ないことだと思っていた。
お母さんに言われたことは絶対で、それを守れない私が悪い子で。
だから、自分のやりたいことが増えて、大切なものが増えていくにつれて、隠し事が増えていった。
私の世界のきらきらしているものは、大半がお母さんにとってくだらないものだと、そう気づいた夕飯の時間からずっと。
「そんなの人格否定じゃん」
そう言ってくれた友達の言葉で目の前が晴れたようだった。
私の好きなものはお母さんの嫌いなもので、それを好きでいるのも悪いことだけれど、好きでいることは呼吸くらい大事で、やめられなかった。
何度も話し合いをしようとしても、
「くだらない」
「そんなものが好きだなんて」
「オタクなんて私の娘じゃない」
そう怒鳴られれば何も言えなかった。
私がこの世界から今すぐ消えたいと願った時、一番追い詰めていたのは他でもないお母さんだった。
毎日心の中に虚空があるような、ずっと血が止まらない傷を抱えているような感覚だった。
好きになって欲しいとも言わないし、楽しみ方に問題があるならそう言えばいい、ただ好きでいることは否定しないでほしい。
そう言ったとき、
「そんなのは偽の感情だ。本当に好きなんじゃない。あんたはもっと違うものが好きなはずでしょ
そう言われて、自分が無くなってしまいそうだった。
度々お母さんというものは、私の感情を否定していたのだけれど、この時ほど消えてしまいたくて仕方なかった日は前にも後にもないかもしれない。
小さい頃から厳しい人だと思っていたけれど、私が何もかも上手く出来ない子だから仕方ないのだと納得した。
多分、それは半分くらい違ったのかもしれない。
気づけば自分の感情を無視する方が得意になってしまったけれど、感じたことを、それを私が表現することを否定されるべきではなかったのだと思う。
表現の仕方が正しくないのなら、そう言われるべきだった。
私の心は私のものである、という至ってシンプルな真実に気づけたのは大学生になってからだった。
お母さんにはいつも余裕が無いのだと気づいたのはさらに少しあと。
誰かが、過保護になる毒親はふぐみたいに毒さえなければ良い親なのにとSNSで言っているのを見かけて腑に落ちた。
別に私がお母さんにとっていない方がいい存在なわけでも、大切では無いわけでもなくて、ただこの家には最初からずっと余裕が無くて、間違ってしまっているだけなのかもしれない。
怪我をしたり、体調を崩したり、何か危険な失敗をしてしまった時、いつしか心配されるより怒られて怒鳴られる方が増えていた。
高熱が1週間続いた時、
「あんたはそうやって体調悪くなればいいもんね」
と言われたことを私は忘れられないだろう。
それでも、多分余裕が無くて仕方なかったことは理解出来るようになった。
全ての源が私への愛情であることも。
お母さんが好きですか、そう聞かれた時、今の私は答えを持っていない。
すごいと思うところも、嫌だと思うところも、沢山挙げられても、好きか嫌いかは分からない。
何とも思っていないとも違う、自分の心がまるで迷子にでもなったかのようなそんな心地になる。
毎年、母の日が近づく度に花屋の前を、雑貨屋の前を、カーネーションと赤色に染まった街を歩く足が重くなる。
いつもは同じように見える人達がみんな知らない人になる。
いくら仲良くしていたとしても。
お母さんに悲しい顔をして欲しくは無い、これも多分私の本心だから、プレゼントを用意する。
けれど、怒られないか、不機嫌にならないか怯えながら渡すプレゼントは正しくないと思うのも本当。
私を親不孝者だと言う人がいたら、
「そうですね」
と笑って返すだろう。
誰かから見た私は親不孝者で、悪い人間なのかもしれない。
それでも、私は私の一番の味方をする。
いつか、心からまたありがとうを伝えられるように。